世界で初めて児童相談所を設立したのは誰だろうか。
そう問われてパッと答えられる人は少ないのではないかと思う。実は私も本書『アドラー珠玉の教え』を読んで初めて知ったのだが、どうやらアルフレッド・アドラーという心理学者の偉業らしい。ウィーンの教育改革に携わった際に、その一環として1922年に設立したとのこと。
当時の心理学者といえば、パッと思いつくのはジークムント・フロイトだろうか。アドラーもかつてはフロイトの研究グループに属していたが、ソリが合わなかったのか、1911年に袂を別ち「アドラー心理学」を打ち立てている。その後は先に挙げた児童相談所の設立や精神科医としての仕事を通じて名声を確立し、1937年に亡くなるまで精力的に活動し続けた。彼の教えはアメリカの心理学者たちの尽力によって彼の死後まとめられ、あの『7つの習慣』を書いたドラッカーや『人を動かす』のカーネギーなどに影響を及ぼしている。フロイトやユングほどの知名度はないものの、19世紀の心理学を代表する1人と言える。
本書『アドラー珠玉の教え』は、彼の言葉を現代人にも分かりやすいように噛み砕き、身近な例を挙げて解説を加えたものだ。世界で初めて児童相談所を設立したことからも分かるように、もともとアドラーは社会的自立や子供の教育に興味のあった人なので、その言葉は悩める現代人にも時代を越えて届く。
たとえば、最初のキーワードとして挙がるのは「劣等感」。気軽に全世界と繋がるインターネットのおかげで私たちの世界は一気に広がったが、同時に「凄い人々」が目に入る機会も増えた。とんでもない才能の持ち主はネットの世界にはゴロゴロしており、それらとつい比べてしまって劣等感を抱く……なんて良くあること。私の好きなサブカル分野の話をすると、中学生や高校生くらいで素晴らしいイラストを描いたり、10万回100万回と再生される楽曲を動画サイトに投稿したり、といった規格外の人材ばかりが目についてしまう。もちろんそれはネットによってこの世界の上澄みが見えやすくなっているだけのことではあるのだけど、そんな開けた世界では劣等感を抱かずに生きていくのは難しい。
ではどうすればそのような劣等感から逃れられるのか。本書に引用されたアドラーの教えを見てみよう。
――劣等感とは、自分の持つ身体的特徴や能力を他の人と比べて劣っていると受け止め、それに対して引け目や恥を感ずることである。劣等感は、自分が劣っていると思い込んでいるところから生まれていることが多い。それほどに、劣等感は主観的なものである。だから、主観が変われば劣等感の質も変わりうるのだ――(p28)
劣等感は主観的なもの、と断ずるアドラー。その言葉を著者はダイエットの強迫観念と絡めて説明し、
――実際には痩せていて理想的身体増に近いのに、あるいは理想体重をすでに下回っているのに、「もっと痩せなくてはいけない」「まだこの部分が太っている」と認識して食事制限をしてしまうことも珍しくない。――(p29)
という具合に、より親しみやすい事例に沿って説明し直し、アドラーの言うように考え方の変革を促している。そのような形で著者はアドラーの言葉を77個も紹介し、現代を生きる悩める人に捧げている。
あまり馴染みはないかもしれないが、アドラーの心理学はとても前向きで、その考え方は自分を見つめ直すにはとても有効だ。本書は最初から最後まで通して読まなければ役に立たない本ではないから、ちょっとした不安に見舞われたり、行動の指針に悩んだりしたときに、気になったところをつまむように読んでみると良いかもしれない。
レビュアー
ミステリーとライトノベルを嗜むフリーライター。かつては「このライトノベルがすごい!」や「ミステリマガジン」にてライトノベル評を書いていたが、不幸にも腱鞘炎にかかってしまい、治療のため何年も断筆する羽目に。今年からはまた面白い作品を発掘・紹介していこうと思い執筆を開始した。