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2025.09.11

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ひめゆり学徒だった山内祐子さんが語る──17歳の未来を奪った戦争

「もう次から次へと死ぬからね、学友が死んだといってもね、一滴の涙も出ない。涙なんか、どこに行ったのか、もうわからない」
そう言うと、山内さんは、乾いたような笑い声をあげました。あまりにも重苦しい思いをあえて笑いで吹き飛ばそうとしているように思えました。
ひめゆり学徒隊の生存者の1人である山内祐子(やまうちさちこ)さんは、2025年8月現在、97歳になる。戦後、故郷である今帰仁(なきじん)村の小学校教員となった彼女は、50代後半ごろから自らの戦争体験を子どもたちに語ることを始めたという。それまではなるべく戦争の話題を避けて生きてきたが、周囲の頼みで仕方なく始めたことだった。

2024年12月、戦後80年という節目を前に、沖縄戦について調べていた沖縄県立向陽(こうよう)高校の生徒たちは、山内さんの体験談を聞くために今帰仁村を訪れる。本書は、彼女たちが過ごした特別な時間を記録した1冊である。著者はTVディレクター・作家の渡辺考。現場に立ち会った彼は、そのもようを誰でも手に取りやすい、平易で読みやすい児童書にまとめた。それは、若い人たちにこそ「戦争の真の姿」を知ってほしいと願う、戦禍を生き延びた人々の思いを形にすることでもある。
「高校生ならば、あんまりかた苦しくならずにお話しできていいですね」
少女のようなショートカットで、額
も頬も、年輪のようにたくさんしわが刻まれています。にこやかな表情なのですが、両方の目には力があふれ、こちらの奥深くを見通しているようです。
山内さんは自らの生々しい記憶を絵にして紙芝居化し、これまで何度も子どもたちに語り聞かせてきた。その話しぶりは率直で、過去を美化するものでも、過度に感情的でも感傷的でもない。等身大の10代の少女が、戦争という極限状況に呑まれていく過程を、淡々と語って聞かせる。それでもやはり、いまでは「それを受け入れるべきではなかった」と悔いるような瞬間の記憶は、80年が経ったいまでも痛切な感情とともに蘇ってくる。そんな言葉の数々が印象的だ。
先生は「みなさん、名誉ある女子学徒隊員として、祖国のために、じゅうぶんに働いてください」と力強く語りました。山内さんは、眉をひそめながら、こう言います。
「先生はいつも、国のために死ぬことは名誉なことだと繰り返していたね。このときもずいぶんと勇ましいことを言っていましたよ」

引率の教員十八名、師範学校の生徒百五十七名、第一高等女学校の生徒六十五名、あわせて二百四十名が動員されました。洗面用具、日用品、筆記用具、メモ帳などをリュックサックに詰め、南風原(はえばる)へと歩き始めました。
1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸。日本軍は「本土決戦までの時間稼ぎ」として、沖縄を悲惨な戦闘の舞台に選んだ。そのなかで、山内さんを含む沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校(2校あわせて通称ひめゆり)の生徒たちは軍の命令で女子学徒隊員として動員され、看護要員として陸軍病院に駆り出される。あと4ヵ月ほどで日本が敗戦を迎えるとは知る由もなかった彼女たちは、大人たちに教わったとおり、苛酷な献身を懸命に続けた。
「看護婦の一番大きな仕事は飯上げ。晩になると、自分の腰ぐらいの高さの大きな木のたるを持っていくわけですね」
まさに命がけの仕事でした。病院の炊事場は、三百メートルほど離れたところにあったため、丘を越えないといけなかったのです。泥の坂道を敵の弾丸をくぐりながら、友人と二人がかりで百人分の食事が入ったたるを運びました。雨の日は、特にたいへんでした。沖縄の雨は激しく、ぐちゃぐちゃになった泥道をのぼりおりしました。ドカンドカンと音をたてながら、弾が近くに落ちることもありました。それでも、飯上げをやめるわけにはいきませんでした。
言葉だけでは戦争の現実を子どもたちに伝えきれないと思った山内さんは、当時の記憶をもとに何枚もの戦場の絵を描き上げた。本書にもいくつかの絵が掲載されているが、まさに凄絶としか云いようがない。美しい自然に溢れた沖縄とは思えない光景が、そこには描かれている。
上 陸軍病院で兵隊たちの看護をしました。
下 病院壕まで食料を運んでいた「飯上げの道」。アメリカ軍の砲弾(ほうだん)が飛んでくることもありました。

※書籍にはモノクロで掲載されています。
©山内祐子
悲惨な状況のひとつひとつが、想像を絶する。防空壕やガマ(自然の洞窟)に設えられた野戦病院は、設備的にも衛生的にも、怪我人や病人を収容するべき場所では到底なかった。限界にまで追い込まれた人間の条理を超えた行動も、少女たちは目の当たりにする。
壕の中は空気の通りが悪いため、奥のほうは二酸化炭素がいっぱいでした。これでは息ができません。新鮮な空気を吸うためには、壕の外に出るしかないのですが、外は危険な状態です。それでも空気を吸いに行く人はいたといいます。
「壕の奥では、頭や胸がクラクラする。死んでもいいから入り口に行っておいしい空気を吸いたいと思うわけ。だから入り口のほうに行って、弾に当たってやられる人もいた。空気を吸うために死ぬ人もいたんだよ。(中略)暗い壕に暮らして、人間にとってね、空気と水と太陽が本当に大事だと思ったね。それ以上、ぜいたくを言ってはいけないと思ったね」
本来輝かしくあるはずの年頃だった彼女たちが、この状況下で、どんな諦念や絶望を抱いたのだろうか。それとも、最初に引用した言葉のように、そんな感情すらも失われていたのか。

迫りくる敵から逃れるため、壕から出て南部へ撤退する人々の姿も、山内さんは描いた。その光景は、ほとんどこの世のものではないようにも見える。
人々は死の恐怖にさらされながら、南部へと逃げました。

※書籍にはモノクロで掲載されています。
©山内祐子
「ずっと熱が出ていたような気がするんですよね」という山内さんの言葉が印象的だ。それは体験者ならではのリアルな体感であり、戦争という特殊な状況に生きた人々の心理を象徴するフレーズにも聞こえる。山内さんはさらに「よく生きのびてこられたねとつくづく思いはしますね」と続ける。それは、看護婦でありながら不衛生の極みのような状況に身を置き続けた者の皮肉な感慨でもある。これらの言葉も、やはり体験者にしか語れない。戦争を知らない世代の我々は、もうすぐ肉声としては聞けなくなるであろうこのリアリティを、心に焼きつけておく必要がある。
「この手はですよ、兵隊がね、こっちかいてちょうだいと言ったらかくし、うみがじくじくしているところも一生懸命にかいてね。死人も片づけたし。その手を洗う水はないし、ちょっと何かでふいただけで、その手でおにぎりもつくって食べたしね。もういろんなばいきんを食べたはずですけどね」
山内さんのしわだらけの右手。その一つひとつのしわの奥に、何かがひそんでいる……。戦争の記憶は、心だけでなく全身に消えることなく刻まれるものだと痛感しました。
その後、日本軍は統制を失い、ひめゆり学徒隊は戦場の真っ只中で、突然の「解散命令」を下される。この命令以前に亡くなった生徒の数は19人、しかし命令後に行き場を失った生徒たちは、117人が命を落とした。恐ろしいまでの「責任の所在の消失」も、戦争がもつ残忍な表情のひとつである。
一人の友達から、こんな提案が出ました。
「十三人みんなでぎゅっと抱き合ってさ、真ん中で三発同時に爆発させたらね、きっとみんな、いっぺんに死ねるよ」
現代の高校生たちは、80年前に同世代の少女が発したこの言葉を、どう受け止めるだろうか。自分たちと無関係な「過去」の話でしかない、という認識は、もはやできなくなっているかもしれない。世界中で飽くことなく紛争や衝突が続き、国民単位で「おかしくなっている」国々の風潮を、日々のニュースで目にしていれば尚更だ。

どんなに悲惨で残酷な状況であっても、終始落ち着いた語りを貫く山内さんだが、その感情が思わず大きく揺らぐ瞬間も、本書は捉える。それがどんな場面なのかは、実際に本を読んで確かめてほしい。
山内さんは、ちょっとあきれたような声でこたえます。
「この気持ちは言葉では言えん」

そして、少し怒ったような口調で続けました。
「今、簡単に言われるか」
そして、こちらを見てはっきりとこう言いました。

「言葉にできますか。そんなものを超えた感動ですよ」
最後に、元教員である山内さんが「教育」について述べた言葉も、引用しておきたい。「正しく学ぶ」ことは日本人のみならず、全人類にとっての大きな課題である。そのなかにはもちろん、沖縄の長い歴史も含まれている。
山内さんは、何よりも大切に感じているのが、教育だといいます。
「教育という力は恐ろしいなって思いますね。死になさいと、国のために死になさいというのをね、教育の力でそう鍛えられて、本当に少しも死ぬということに対して疑問も持たなかったというのはね、どんなに教育というものがね、恐ろしいものかと」

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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