太平洋戦争末期、日本の都市は次々と空からの爆撃に焼き尽くされました。その被害は首都圏や大都市にとどまらず、北海道から沖縄まで全国に広がり、終戦のその日まで続きました。
2025年7月に刊行された『日本列島 空襲の記録』は、2015年刊『日本空襲の全貌』(洋泉社)を原本に再構成し、「本土空襲」の実態を1冊にまとめた決定版です。
執筆者は戦史研究家の平塚柾緒氏を中心とした8人。平塚氏は太平洋戦争研究会を主宰し、全国各地への取材とアメリカ国防総省などから入手した一次資料を駆使して、戦争の記録を後世に残す活動を続けてきました。米軍B29の延べ出撃数3万3041機、投下爆弾約16万トンという膨大な数字と、250点を超える貴重な写真が並んでいます。

さらに第五章では視点を地方へ移し、福井、徳山、八戸、鹿児島など、空襲の記憶が薄れつつある地域の被害を掘り起こします。そこでは、地方だから安全だったという思い込みがいかに危ういものであったかが明らかになります。最終章では原爆投下作戦、特別ルポではアメリカ・ニューメキシコ州のトリニティサイト(原爆開発の現場)訪問記が添えられ、戦争の終着点までが描かれています。


被害統計や作戦概要といった硬質なデータもたくさん掲載されており、延べ出撃回数や投下爆弾量など、空襲の規模をより実感できる説得力もありました。そしてそれらの数字の背後には、確かに人々の生活と物語が存在していたことを思い出させてきます。
本レビューを担当している私自身、静岡県浜松市の出身です。郷土の歴史を学ぶ授業では何度も空襲について教わりました。浜松は軍需工場を抱えた都市であり、本書でも触れられている通り、繰り返し空襲に見舞われた地域です。その惨状や被害者の話は、30年以上前に耳にしたものですが、今でも記憶に残っています。が、まさか都会の爆撃のついでに荷物を捨てていくみたいな感じで爆撃されていたなんて思いませんでした。

空襲というと東京大空襲や広島・長崎の原爆投下が強く語られます。しかし本書は、それが全国規模で行われた計画的な作戦だったことを明らかにします。米軍は軍需拠点だけでなく地方都市まで計画的に攻撃し、日本列島全体を焦土化していきました。
今年は終戦から80年。当時を直接知る人々は限りなく少なくなりつつあります。今後、私たちが戦争を学ぶ場の多くは、生きた証言ではなく、資料や記録に頼ることになるでしょうし、当事者以外の語り部などノイズにしかなりえません。だからこそ、一次資料に基づいた記録は、過去から学び、未来を守るための拠り所となるはずです。
学術文庫版のあとがきで、平塚氏は本書を再び世に出す理由を語っています。戦後80年が経過し、当時を直接知る人々が急速に減るなか、「本土空襲」の記録を後世に残す必要性を強く感じます。
米軍の戦略爆撃による生産力破壊や物資不足、海上封鎖の影響など、戦争遂行能力の崩壊過程をあらためて整理し、全国規模で記録することの意義を知らしめられました。


全国を覆った炎の下で、生き延びた人、命を落とした人その一人ひとりに人生と物語があったことを忘れない。その記憶と教訓を受け継ぎ、「二度と繰り返さない」と誓うための1冊です。歴史を知ることは、過去の出来事をなぞることではなく、未来に向けて選択を誤らないための羅針盤となるのではないしょうか。