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2025.08.19

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戦時下、人々は何を読み何を考えたのか。「読書調査」から掘り起こす読書と生のリアル

日中戦争から太平洋戦争へとなだれ込んでいく戦時下の日本で、人々はどんな本を読んできたのか? それを記録する貴重な史料「読書調査」を手がかりに、読書傾向を通して当時の日本人の姿を炙(あぶ)り出していくのが本書である。
戦時下の読書という言葉から、弾圧を受け、ひそやかに、細々となされる読書をイメージする人々も多いかもしれない。しかし実際には逆で、日中戦争の開始から、さらに日米開戦を経ていく過程で、読書は銃後の国策として奨励、振興がなされていく。
1920年代から行政主導で広まった「読書調査」は、やがて「読書指導」というかたちで、世代別・職業別などさまざまな読者層に向けてフィードバックされていく。それは人民に対する統制であり、善導でもあり、また指導する側の曲解も少なからず含んでいた。「良書と悪書」という区分けも、このころに生じる。著者は、アンケート調査記録からは「見えない声」の存在も意識しながら、戦時下の日本人と読書の関係を見つめ直していく。
読書を通した戦時下の思想統制に本書では関心を向けているが、戦中の雑誌や書籍を、そのまま当時の読者の思想のように考えるべきではない。それは読まれたかもしれないが、そうでないかもしれない。また、戦時下における刊行点数や売上部数が、そのまま多様な読者層への広がりや影響と重なるわけではない。読書傾向調査という窓から、改めてこの時期を見直す意味がそこにある。
著者がこう語るように、本書は当時のベストセラーの売り上げ部数だけを額面通りに受け取るような内容でもない。大人だけでなく、子ども、勤労青年、勤労女性、農業従事者、大学生に至るまで、さまざまな読者層によって異なる読書記録をつぶさに拾い上げ、明治以降の日本社会に育まれていった多様性を捉える。それらが戦時下という時代にどのような影響を受けたのか、それぞれのグラデーションは興味深く、読者の多くは初めて知ることばかりではないだろうか。

たとえば児童向け雑誌というジャンルにも、時代の影響が如実に表れた。下図は、娯楽読み物を中心とした雑誌『譚海』(博文館)が、1940年9月号からミリタリー雑誌『科学と国防 譚海』へとガラッと方針転換したときの表紙の対比図である。本書にはこのほかにも、さまざまな書影・図表が多数登場して飽きさせない。
このとき、内務省・文部省や出版業界内団体では読書調査の結果を受けて、「児童向け雑誌にはフィクションよりも科学・歴史読み物を増やそう」という改善方針がとられていた。いかにも戦時下の国策と思ってしまうようなビジュアルだが、軍事雑誌にせよという当局からの命令があったわけでもなく、実際には「出版社側の時局への過剰な適応、忖度」でもあったという。表向きには語られないこうしたディテールも面白いが、当時の子どもたちがそんな内部事情を知るわけもなく、時代の変化を残酷なまでに感じていたはずだ。

進学せずに働く勤労青年層も、日本の読書文化を支えた若年層のひとつである。現在よりはるかに厚みがあった彼らもまた、読書傾向調査・読書指導の対象となった。各地に生まれた青年団は、やがて大日本連合青年会という全国組織の発足に至り、機関誌『青年』は発行部数百万部にまで達したという。そのなかで行われていた「読書会」のディテールも興味深い。
ただ、当初の『青年』読書会は、指導や教育という上からの活動というよりも、「修養」とともに一緒に読む場を共有する「社交」を重視した活動だった。青年団運動の指導者でもあった山本瀧之助がこの読書会を「輪読会」と呼び、席次に上下のない、車座でそれを行うことを重視したのもそれゆえである。『青年』にはこの雑誌を用いた「輪読会の手引き」が掲載されているが、そこでは小説を息抜きに用い、また唱歌や遊戯を取り入れることも推奨されていた。読書における修養と娯楽とは、対立するものではなく実際には分かちがたく結びついてもいた。
だが、翼賛体制のもとで青年団は次第に指導、統制色を強め、娯楽性は批判の対象ともなっていく。一九四〇(昭和十五)年に文部省は青年団から「自由主義的民主主義的傾向」を排除し、報国、錬成を目的として一元的に統合していく方針を打ち出していく。
一方、女性読者の存在も見過ごしてはならない。女工として工場労働などに従事する女性、農村で家業を支える女性、教師や事務員として都会で働く女性も含め、彼女たち「働く女性」もまた大きな読者層として、時代のムーブメントを作り出していた。

「どうしても女工手凡ての方ともっと直接に触れあふ必要がございます。それで、月刊修養冊子『泉の花』の発刊を企てました」という発刊の辞を記した希望社主宰・後藤静香は、1929年に『泉の花』58万部という記録を叩き出す。しかも「新聞広告を用いず売店に出さず、只個人より個人への紹介」という誌友普及方式でそこまでの支持を集めたというからすごい。とはいえ、その編集方針や基本精神はやはり時代を感じるものであり、自立した現代女性の共感を得られるものではないかもしれない。
後藤静香、そして希望社は「皇室を中心」とし愛国、救国の精神を基盤としている。その思想は、決して工場や労働環境を批判、破壊する方向に向かうものではなく、職域の中で自己を磨いていくことを説き、一人一人の労働が国家を支え、日本を救う意義あるものとする。労働者が働く環境や雇用者を批判し、変えていくよりも、働くことの中に喜びと価値を見出すように、いわば労働者の内面を変えていくよう説いていく。
そうした「時代の流れや社会の仕組みにアジャストしていく」大衆心理が受け入れられる一方、個人として抵抗するように活動した気鋭の女性作家たちもまた、多くの読者から支持を集めた。『小島の春』小川正子、『病院船』大嶽康子、『煉瓦女工』野澤富美子といった人々である。本書を読んで、実際に彼女たちの作品に触れてみようと思う現代の読者も多いのではないだろうか。

一方そのころ、若きエリート学生たちは、同盟国の思想をわがものにしようと読書に勤しんでいた。下図は、1942年に行われた早稲田大学の図書館利用学生900人を対象にした読書調査。「感銘を受けた図書」「座右の愛読書」という項目のどちらにも、アドルフ・ヒトラー『我が闘争』が上位にランクインしていることに驚かされる。
著者は、「感銘を受けた図書」1位と2位を占める、西田幾多郎『善の研究』、倉田百三『愛と認識との出発』にも注目する。これらもまた、若者がファシズムを理解するための土台、大東亜共栄圏の確立を目指す自国の正当化へと繋がる理論武装だったのではないかと見る。その詳細で根気強い分析は、ぜひ本書で確かめてほしい。

とはいえ、彼らの読書傾向をただ「ファシズムへの傾倒」ととるのは、いささか性急だろう。それは自己改造とも、順応主義とも、心理学でいうところの防衛機制のプロセスともいえるかもしれない。これもおそらく、戦時下に生きた人間のリアルな表情のひとつだ。
読書を戦争と相いれない行為、あるいはそこからの逃避としてのみ見なすのではなく、戦争へと踏み出すための営為としても、見直してみるべきではないだろうか。
すでに「戦前」は始まっていると言われている昨今、いまの日本人の読書傾向調査は、一体何を浮かび上がらせるだろうか? 忘却に埋もれてしまいがちな「読書」を掘り起こすことで、現在進行している水面下の現実へと思いを繋げる、秀逸な研究書である。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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