「実は先生にお願いがあります。私は原爆で両親と弟3人を亡くしました。みんなの分も生きないといけません。これから先、二度とあんな戦争が起きないように、核兵器がなくなるように声をあげていこうと思っています。私を長生きさせて下さい。みんなに会ったとき、平和になったよ、そう言えるよう頑張りたいんです」とハハが深く頭を下げた。
「わかりました。約束します。頑張ります」
先生はハハの手を握り、2人は固く握手をした。
90歳でSNSのアカウントを開設した富美子さんは、あるきっかけで自らの戦争体験を書き綴り、大きな反響を呼んだ。極めて明晰な記憶と力強い意思をもって戦争反対を訴える言葉に、多くの人が心動かされた。現在、彼女のアカウントはフォロワー約85000人という人気を博しているが、それは「あの時代を経験した人の声を聞きたい」という望みの表れでもあるだろう。人々が再び戦争に飲み込まれようとしているという気配……世界を見渡せば、その危機感はすでに現実のものとなり、日本もまるで“流行”に乗るがごとく不穏なムードを日々強めている。
そんな時代に自分の体験を広く語り伝えようとする著者の決意表明が、冒頭の引用箇所である。ヘアメイクアーティストを本業にする長女・森田京子さんは、長崎から東京に移り住んだ母(文中では「ハハ」と呼ぶ)と同居中。びっくりするほど活動的なハハの生活を支えながら、アカウント開設も手伝い、苛酷な戦争体験の記憶をできるだけ詳細に書き残すことにも協力する。本書は、かつて実際に起きた戦争の悲惨な記憶を“当事者の言葉”として伝えつつ、長崎に生まれたあるひとりの女性の一代記と、現代の東京に暮らす母娘の日常を活き活きと描く。それは女性たちの、そして家族の物語だ。
母の主観で語られる部分と、長女の視点で描いた部分は、フォントを変えて区別して描かれる。心の奥底にしまっていた「あの夏」の記憶を掘り返す作業は、90歳代の母親に多大なストレスを強いることになったとも言うが、語り部となることを選んだ母、聞き手を務める決意を固めた長女の努力と献身によって、凄まじいインパクトの文章に結実した。
「ここを下ったら、きっと」そう確信し、下り始めた。坂の両側に痛ましい状態の死体が折り重なっていた。ものすごい数だった。坂の上の方に家がある人たちが帰ろうとしていたのか、皆上の方を向いて倒れていた。その中から「水をください」と、か細い声が聞こえた。女の人がすがり付いてきた。「あとできっと持って来ます」どうすることもできず、そう口走り、逃げるように通り過ぎた。
どこからだろう、気がつくと同年輩の男の子としっかり手を繋いでいた。海星の生徒だったことは確かだが、それしかわからない。ただ黙って2人で下って行った。かなりの距離を下った。
坂を下り切ると、目の前の町はペッタンと平らになっていた。

香焼島の工場からキノコ雲を目撃し、駒場町に向かった富美子さんは、生き残った妹と再会を果たす。そして、焼け野原と化した自宅の方へは戻らず(すでに妹はその惨状を目の当たりにしていた)、叔母夫妻の家を目指して歩き始める。圧倒的なまでのディテールが、その日に味わった焦燥と、脳裏に焼きついた記憶の強烈さを読者にも刻みつける。
浦上川を渡ると、家があった駒場町だが、その簗橋(やなばし)は渡らず、横穴壕がある油木町から稲佐町へと南へ下った。稲佐町で稲佐橋を渡り、また南へ下り、大波止へ。ここまで約4キロメートル。数えきれない死体を見た。そして銅座町へ。銅座町から丸山町への道に入ると、今度は人ひとり、犬一匹、猫一匹すらいない。みんなどこへ行ったのか、人はいったいどこへ行ってしまったのか。無人の町は不気味で恐ろしく、心細さが限界に近づいていた。私は「とにかく正覚寺。正覚寺を過ぎれば叔母さんがいる」、心の中でそう繰り返しながら黙って歩き続けていると、ついに限界に達した妹が言った。「叔母さんたち、いるやろうか」繋いだ手に力が入った。ぽつんと言ったその言葉は、私が一生懸命に頭の中で振り払っている言葉だった。
本書は長崎の原爆投下だけを悪夢として伝えるわけではない。生き残った人々の人生はその後も続いたが、ふと戦争の影が蘇ることもまた当時の日常だった。それはどんなに平凡な人間の暗黒面も無差別に開く、パンドラの箱のようである。
私に強烈な吐き気と寒気をもたらしたのは、南方から帰った元陸軍兵の自慢話だった。その男性は、現地の女性で遊び「することしたら、橋の上から川に投げ捨ててやった」といやらしい顔で笑った。普段は優しい人で、どこの子どもも可愛がっていた。その人が急にそんな話を始めることが信じられなかった。その人は、何かにつけ、その自慢話をした。優しい顔を醜く歪めて。
歪んだ顔を見るたび、子どもの頃に見たあの顔を思い出した。いきなり朝鮮人をサーベルで殴りつけたあの巡査の、あの醜く歪んだ顔だ。
中盤以降は長女の視点も混じって、ちょっと他とはひと味違うハハのパーソナリティがより魅力的に浮き彫りになっていく。76歳を過ぎて東京進出を決意するシーンは、特に痛快かつ味わい深い。間違いなく多くの読者に勇気と感動を与える名場面であろう。
自分がしたいことは何か、もう一度考えようと思った。そして東京に行こうと決めた。
長女が「東京に行く」と言ったとき、迷わず「行きなさい」と言った自分を思い出した。女学校の専攻科に残りたいと言ったとき、「行けば良かやかね」と背中を押してくれた叔母を思い出した。
今度は自分自身に言った、「行きなさい」、「行けば良かやかね」。
もちろん、老いと衰えは人間にとって避けられない。年齢を重ね、さまざまな体の不調に見舞われるハハの病歴も、ある闘いの記録のようにして率直に語られる。だが、いまのところダウンする気配はない。自分にはまだ語り継ぐべきことがある、できるだけ長くこの世界の行方を見届けたいと心に決めた人は、こんなにも強いものなのかと改めて思い知らされる。
「今の世の中に不安を感じています。最悪なことでも忘れたいことでも、言い伝えなければ繰り返されます。都合の悪いことは隠したり無かったことにしようとする人たちがいます。私は私にできることを今しています。それが、まだ途中です。どんなことをしてでも生かして下さい。私は耐えられます。お願いします」