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2024.10.25

レビュー

われわれは国家の暴走を止められるのか? いま胸に刻むべき戦争の真実とは?

戦争は終わらない

太平洋戦争に関する本にふれていて、驚いたことがありました。
戦争の「終わり方」を考えている軍人が、ほとんどなかったことです。
えっバカじゃねえの。思わずつぶやいてしまったことをよく覚えています。
昭和20(1945)年のはじめ、日本は制海権も制空権も失い、全国の市街が焦土と化していった。もはや戦況は絶望的であった。それでも戦争継続を呼号する強硬派は「本土決戦」を画策した。しかし、その構想やその作戦内容を見ると、常識とはかけ離れたものだった。
本土に上陸させた米軍に大打撃を与え、戦況を一変させるのだという。そうすれば米国はじめ連合軍は不安に陥り、停戦を望むだろう――。単なる願望を客観的事実とみなした上での作戦なのである。なにしろ日本には戦闘に必要な航空機はもちろん、通常の武器弾薬さえ満足になかったのだ。
二度にわたり映画化された半藤一利さんの実録小説『日本のいちばん長い日』には、この妄想(と、断じていいと思います)が終戦ギリギリまで生きていたことが語られています。核爆弾をふたつも落とされ、コテンパンという表現が生ぬるいぐらい痛めつけられているのに、なお戦おうとする人が多くあったのです。

著者はこれを日本の宿痾(しゅくあ)であると述べ、戦争を終わらせることがどれほど困難であったかを語っています。
じつはこの宿痾――「単なる願望を客観的事実とみなす」は、現在もまったく治癒しておりません。近年もありました。「原発は絶対に安全です」という単なる願望が、世界史に残る大事故をひきおこす大きな要因となりました。

「魔性」を追いかける

本書は、『日刊ゲンダイ』に掲載された連載記事から、いくつかを選び、5つの章にわけて構成されています。

【第1章】 「日米開戦」への道 いつ? 誰が?―――なぜ日本は無謀な選択に至ったのか
【第2章】 戦争の真の姿 軍国主義国家の指導者たちの迷走と暴走、そして国民の悲劇……
【第3章】 いかにして戦争は終結に至ったのか? そのとき、天皇、指導者たちはこう動いた……
【第4章】 「平民新聞」は時代をどう伝えたか 日清戦争、日露戦争…軍国主義化する日本と社会……
【第5章】 テロリズムの台頭と戦争 歴史を暗転させてきた暴力主義とその系譜……


【第1章】から【第3章】までは、太平洋戦争の開戦から終戦までを題材にしたものです。多くの人が取り上げており、著者本人もこの時代を題材とした著作をいくつもお持ちです。悪い言葉で言えば「手垢にまみれた時代」と言っていいでしょう。読者である自分にも「またこの時代かよ」とあなどる気持ちがあったことを正直に告白しておきます。

ところが、読み進めるうち気づきました。あ、これはちょっとちがうことを書いている本だぞ。
政治、経済、外交などの事件や事象を仮にA面と考え、社会、事件、文化などの現象をB面と称して、近現代史を考えると、明治からの歴史の裏側がよくわかるのではないか。
著者自身も語られていますが、明治以降の日本のテーマは司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」でした。「あの雲をめざして坂をのぼっていこう」、雲とは世界の一等国です。著者も軍事的にはまったくそのとおりだと認めています。しかし、これはあくまで高級軍人や政治家など、支配階層の考えで、一般の市民はそうじゃなかったんじゃないか。これを追求するのが本書の大きな主題になっています。

本書の前半に述べられた戦争通史も、ふつうに語ったのでは通り過ぎてしまうような事実が多く述べられています。太平洋戦争中に兵士がしょっちゅう幽霊を見ていたとか、新兵へのいじめと表現するのもはばかられるようなおぞましい暴力がおこなわれていたとかのレポートは、かなりの紙数をついやした重厚なものです。
さらに著者は、後者の事象が戦後も大きな遺恨を残していたことを語っています。
弾圧側の人間が逃げ回っていた例は少なくない。戦争に絡む人間模様は、平時になってかえって異常化するように思えるのであった。
これらの事象もまた、「戦争という魔性」の表れなのかもしれない。

メディアはいつ終わったのか

戦時にイキイキと活動しはじめる「魔性」を描き出すために、本書の後半は「戦前」を明治時代にまでさかのぼって記述しています。

戦中のメディアが大本営発表のみとなり、嘘ばっかり言ってたのは有名な話です。日本がはじめて大敗を喫するのはミッドウェー海戦であり、この後は負け続きになりますが、ときの首相の東条英機もこの敗戦を知らなかったという説すらあります。真珠湾ではなばなしい戦果をあげた連合艦隊が壊滅したことを東条は知らなかったというのです。トップでさえそうなんだから、その下は推して知るべし。そりゃやめようという話にはならないよな、と思います。

「戦争の時代」がはじまるのは一般に1931年の満州事変とされますが、これは軍の独断専行によるものでした。通常ならば首謀者は軍法違反に問われ、犯罪人として裁かれなければなりません。しかし、そうはなりませんでした。満州から帰国した軍幹部たちは、英雄として称えられ喝采を浴びており、とても悪者として糾弾できる状況になかったからです。これを先導したのは新聞やラジオなどのメディアでした。メディアがこれを英雄的行為であると絶賛し、大衆もそれに同調したのです。

いつからそんなことになったんだろう。著者は明治36年(1903年)に、約1年半発刊されていた週刊新聞『平民新聞』に着目します。いわば左翼新聞ですが、いまだソビエト連邦は生まれておらず、社会主義国家は世界のどこにも存在していません。ただ知識人の頭の中だけにある状況で、論陣が張られていたのです。主たるテーマは日露戦争非戦論でした。

『平民新聞』は公然と国家の政策を批判し、非戦をとなえる最後のメディアでした。これが弾圧によって廃刊になったとき、ファシズム国家・日本が誕生したと言ってもいいでしょう。

テロは日本のお家芸だ

最終章で、著者は大久保利通の暗殺を起点として、日本のテロを振り返っています。明治以降(正確には幕末から)、要人暗殺テロは間断なく頻発していました。あいつ邪魔だからやっちまおうぜ。そんな凶暴な考えがまかりとおっていたのです。
反省すべきことに、こうしてテロを追いかける視点を、自分は持ち合わせていませんでした。戦後の平和教育でボケていたのかもしれません。日本の近代史はテロの歴史であり、日本はテロ国家であった。それは認識すべきでしょう。近年、元首相の銃撃事件がありましたが、ああいうことはずーっとあったのです。

テロの歴史と対置され描かれるのが、大正時代に起こった「文化村」「新しい村」創設の運動です。これは農を土台として理想郷を構築しようという動きですが、理想主義はやがて敗れていきます。昭和最大のテロのひとつ、五・一五事件の実行者は、文化村創設者の門弟だったのです。

なぜ、どうしてこうなったのか。本書は歴史の裏側、庶民の側に密着することにより、それを描いていこうとしています。たいへん重要な試みであり、貴重な書物であると言うべきでしょう。
本書は、歴史の中の「光と影」を明らかにすることを目指している。「影」の部分をもう一度きちんと押さえておきたい。
余談ですが、本書を読みながら、うそ寒さを覚えることがたびたびありました。「この状況は現代に似ている」は歴史本の常套句で、いついかなる時代を題材にしてもこれに類することは語られがちです。でもこれって。そう感じずにいられませんでした。

レビュアー

草野真一

早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 何が便利で、何が怖いのか』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。

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