本書は、著者が「常に抱いていた」という一つの疑問から始まる。
レオナルド・ダ・ヴィンチといえば「万能の天才」として広く知られており、誰もがそう信じて疑わないだろう。だがはたして本当にそうなのだろうか。
この問いを出発点として著者は、レオナルドが遺した足跡と数々の作品からその人生を紐解いていく。ちなみに本書を読む前、私は彼のことを「ダ・ヴィンチ」と呼んでいた。しかしこの呼び名は名字ではなく、単に「ヴィンチ村出身」の意だそう。つまり彼個人のことを語るなら、「ダ・ヴィンチ」よりも「レオナルド」がふさわしい──当たり前と言えば当たり前のことかもしれないが、本書の冒頭で提示されるまで気づかなかった身としては、たったそれだけのことでも、彼をこれまでとは違ったふうに受け止められた。
そうして血肉の通った存在となったレオナルドの素顔を、著者は全六章にわたって明らかにする。私は事前のイメージから、レオナルドは若い時分よりその才能を開花させ、成功し続けていたものとばかり思っていた。しかし実際はそうでなかった事実が、次々と挙げられる。たとえば壁面に漆喰(しっくい)を塗り、それが生乾きの内に彩色する「フレスコ画」は、当時のイタリアで主流の画法だった。だがレオナルドは、それを一点も手掛けていない。
初期の作品はテンペラもしくは油彩との混合技法ばかりで、のちにレオナルドの名を不朽のものとした、あの《最後の晩餐》ですらテンペラ画法だった。イタリアの画家でありながら、まったくフレスコ画を描いていないレオナルドは、当時の常識では考えられない例外的な画家だったといえる。
ここから著者は、フレスコ画法を取り入れなかったレオナルドの性格や修業期間を推測し、彼のライバルたちが成した仕事と比較しながら、その制作姿勢をつまびらかにする。才はありながら、どこか不器用としか言いようのない仕事ぶりは、レオナルドの「万能」感を徐々に薄めていく。とはいえ、だから彼が「天才」ではなかったかと言えば「そんなことはない」と、著者は語気を強めて補足する。著者の狙いは、多方面にわたったレオナルドの仕事を追うことで、彼の虚像と実像を見極めることにあった。
もとより、私はレオナルドの発明の才を疑うわけではないし、彼の人間像を矮小化(わいしょうか)するつもりも、彼の才能を過小評価するつもりもない。だが、事実レオナルドが技師や発明家として活動していたとしても、それはただ彼一人が傑出した技師・発明家だったというわけではなく、彼に比肩しうる数多くの先達や同時代人たちがフィレンツェやミラノといったルネサンス諸都市で活躍していたことはすでに明らかである。レオナルドは芸術と科学の両面で活躍した最も独創的な人物のように言われるが、むしろ、そうした人物のなかで最もよく知られている例だといい直すべきなのである。
著者は1957年に岐阜県で生まれた。武蔵野美術短期大学美術科油絵専攻を卒業後、学習院大学大学院美学美術史専攻博士後期課程を満期退学した。在学中には、ローマ大学文学哲学部美術史学科にも留学していたという。その後、さまざまな大学で非常勤講師を勤めたのち、実践女子大学文学部美学美術史学科の教授に就任する。専門はイタリア・ルネサンス美術史で、レオナルド・ダ・ヴィンチの研究を主としていた。
しかし2006年10月、著者は49歳の若さでこの世を去った。その業績は多くの人に認められ、また人柄も慕われていたようで、著者を悼む声は今もインターネット上で散見される。
本書は2003年にKADOKAWAより発刊された『レオナルド・ダ・ヴィンチという神話』を文庫化したものであり、それは著者にとって最後の著作でもあった。没後17年となる今年、本書が新たな形で発刊されたことは、レオナルドの仕事が今に遺されたのと同じように、著者の仕事を後世に伝える上で大きな意義があるといえよう。本書を通し、人間味あふれる「レオナルド」の人生と素顔、そして著者の研究を知ってほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。