ふと思い立って、スマホにアプリを入れた。それは世界地図を元にしたパズルゲームで、それぞれの国をピースとして該当の位置に当てはめると「正解」になる。地図に疎い私が復習するにはもってこいのゲームだったが、中でもアフリカ大陸は難問で、解くたびに「この国、どこにあるんだっけ…‥?」と首をひねった。ニュースやスポーツのイベントを通して知った国名であっても、場所まで正確に覚えていたのはごく一部。その上、地域の歴史や成り立ちまでもとなると、さらに心もとないのは言うまでもなかった。
そんな私の前に登場したのが本書。原本は1977年に刊行された、日本語で書かれた初のアフリカ通史『世界の歴史 第6巻 黒い大陸の栄光と悲惨』(講談社)で、今回の文庫化にあたり改題された。500ページを超えるボリュームにひるむ気持ちもあったものの、これまでアフリカの通史に触れたことはなく、せっかくの機会とばかり手に取った。
文化人類学者として知られる著者は、1931年に北海道で生まれた。1950年に青山学院大学文学部仏文科(夜間部)へ入るも、翌年に東京大学文学部国史学科へ入学。その後、麻布学園で日本史を教えながら、東京都立大学大学院で社会人類学を専攻し、1960年に同大学院修士課程を修了した。1963年にはナイジェリア・イバダン大学の講師としてアフリカへ渡り、現地での調査を重ねたという。帰国後は東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長、静岡県立大学大学院教授を歴任し、1999年には札幌大学で学長を務めた。2013年に81歳で世を去り、今年は没後10年となる。
はじめに著者は、アフリカ史へのまなざしを語る。ヨーロッパとの関わりにおいて、アフリカの歴史がどのような状況におかれ、どのような点で実態と異なる捉えられ方をしてきたのか。それらを簡潔にまとめた上で、本書における歴史記述のあり方を明らかにする。
アフリカの政治・文化が基本的には話し言葉による伝達機構のうえに成立しており、文字による伝達機構が他の世界におけるような比重を占めなかったせいもあって、歴史的過去が他の世界におけるような形で伝えられていないという事実は、植民地勢力によってただちにイデオロギー的に利用された。すなわち歴史を持たない大陸というのが、十九世紀から二十世紀にわたってアフリカにはられたレッテルであった。
それゆえアフリカ大陸は、「歴史を持たない=文明・文化を持たない」土地とみなされ、ヨーロッパの植民地となることで初めて歴史を持つにいたるとされた。一方的かつ傲慢でしかない植民地支配側の言い分だが、これが本邦での歴史観にも長く影響してきたことを思うと、アフリカ史を知ることの重みはずっしりと増してくる。そして著者のように、現地で生きる人々の言葉や生活に触れ、目にしたものを自身の手で詳細にスケッチし、歌や踊りといった表現や残された資料を掘り起こすことで、初めてアフリカはその過去を私たちの前に現す。
本書は全8章にわたり、アフリカ大陸に生きた部族や、かつて存在した王国の数々をつぶさに物語る。記述は編年体の形を取っているが、単なる古代→中世→近代といった一方向への流れに沿った展開だけではなく、各地の王国それぞれの起源や発展とともに、場所も時代も行きつ戻りつしながら、多くの人生を取り上げる。
特に第5章「南アフリカのナポレオンたち」では、強烈なカリスマ性を持った王が何人も登場する。ズールーランドのシャカ王に、バストランドのモシェシュ王、ンデベレのムジリカジ──才知を力とし、部族を率いて広大な土地を収め、戦い、死んでいく。そこで流れる時間はめまぐるしく、劇的だ。あまりの濃密さに、「これで『歴史がない』なんて、どうしたら言えるんだ!」と腹すら立ってきた。
ちなみに著者は要所要所で、アフリカと日本を比較する。古事記や日本書紀、織田信長に今川義元に卑弥呼といった、日本史を習った者なら誰もが知っている固有名詞を散りばめる。
そうすることによってアフリカと日本の、地方(ローカル)的と思われる歴史現象の中に普遍的な要素を浮かび上がらせるきっかけを与えることができると思ったからである。
その狙い通り、読書中「次はどんな例えが出てくるのか?」という期待と、「自分ならこれを何と比べるだろう」という気持ちが芽生えた。そういった点でアフリカ史を身近なものとし、その存在を確かなものと感じるのは新鮮だった。
40年以上前の本ながら、読みやすくわかりやすい1冊。納得の復刻であり、この機会に多くの方へ届いてほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。