ここに2枚の絵がある。その彩色、色柄から、どのような意味が読み取れるだろうか?
1枚目はボッカッチョ『王侯の没落』フランス語訳写本に描かれた「運命の女神」の挿絵である。人間の運命を司る女神が白い目隠しをしており、6本の腕が生えている。それはさておき(さておけないかもしれないが)彼女の衣服はまるで虹のように多彩な縞柄だ。これは何を指しているのか? そして2枚目は、フロワッサールが著したフランス国王シャルル六世の年代記において、王妃イザボー・ド・バヴィエールのパリ入市を描いた場面の挿絵である。バイエルン出身の王妃を迎え入れるパリ市民が、ここでは揃って赤と緑のミ・パルティ(衣服の色を左右に分けるデザイン)の衣服を着ている。これはどういう意味を示しているのか?
中世ヨーロッパでは、色のひとつひとつが意味を持っていた。中世世界における色彩のイメージは、現代に生きる我々が当たり前のように理解しているイメージとは大きく違う場合があり、あるいは現代にも連綿と受け継がれているものもある。その文字どおり多彩な色彩文化の広がりを明らかにしていくのが本書である。
イタリア服飾史および色彩象徴論を専門とする著者の徳井淑子(お茶の水女子大学名誉教授)は、本書で主に取り上げる時代を「12世紀から15世紀」と限定(もともと中世とは「西ローマ帝国が滅亡した5世紀後半からビザンティン帝国が滅ぶ15世紀半ばまで」を指すとのこと)。そして本書を「色彩研究と中世文明研究の交差するところに位置する」と説明する。最も有効な参考文献として本書にたびたび登場するのが、伊藤亜紀・徳井淑子による邦訳もあるシシルの『色彩の紋章』だ。この書物は15世紀前半にフランス語で書かれ、少なくとも14版を重ねたという、まさにリアルタイムの中世色彩論である。さらに、当時作られた写本の挿絵、絵画、ファッションなどを手がかりに、中世ヨーロッパの人々に好まれた色、あるいは忌避された色が、それぞれに持つ意味を明らかにしていく。
我々にはまったく無関係な話題かというと、そうでもない。序章で著者が引き合いに出すのは、アニメーション映画『シュレック』に登場する醜いモンスター(とされている)主人公・シュレックの、緑色の肌である。この色味こそ、まさに中世ヨーロッパの色彩感覚を正しく表しているのだという。
醜さを表す緑がかった肌と、美しいフィオナ姫を表す緑のドレス、このように相反する美醜をいずれも緑で示すところが、いかにも中世の色の世界なのである。しかも緑がかった肌の色はやや黄色を帯びて無気味に輝くような緑色、そして美しいドレスの緑はしっとりと深く落ち着いた緑色で、色のニュアンスを分けているところも秀逸である。中世の緑も、春に蘇る自然の美しさを代表する色であると同時に、混乱と破壊を表す「悪魔」の色でもある。
自然の美しさでもあり、悪魔の色でもあるとは、一体どういうことか? 本書にはこういうツカミが随所にあって、読者の乗せ方がとてもうまい。逸る読者の気持ちをどうどうとなだめるかのように、まずは第1章「中世の色彩体系」から、色彩イメージにまつわる概念の基礎が『色彩の紋章』を参考に解説される。かいつまんで言えば、色の体系の両端には《白》と《黒》が存在し、中間に《赤》がある……光の白、闇の黒、血の赤という「人間にとって最も親密な色」が中世の三原色になったという話はとてもわかりやすい。だが、そこから緑、青、黄といった色が獲得していった意味は、なかなか意外である。
たとえば青。それは誠実さを示す一方で、欺瞞を表す色でもあるという。16世紀の画家ブリューゲルが描いた「ネーデルラントの諺」はもともと「青いマント」「世の誤謬」と呼ばれていたとも言われ、そこには夫に青いマントを着せている妻の姿が描かれている。これなどは典型的に、解説がないと作品の含意がわからない。
つまり「青いマントを夫に着せる」とは、妻の欺瞞、不倫を表している。じつは15世紀のフランス語にも「寝取られ亭主は青い服を着せられる」という言いかたがあり、ブリューゲルの絵はまさしくそれを描いている。
それぞれの色が意味を持つということは、その色があしらわれる対象も違ってくる。シュレックの肌の色にもなった緑はどうか? 華やぐ春の自然を表すポジティヴなイメージと同時に、変動、栄枯盛衰、永遠に続かないものといった負のイメージを備える色でもあった。そして、緑は子どもや道化の着る服の色でもあったという。
世間の常識に遠慮する必要のない彼ら(引用者注:道化)は、社会のタブーや偏見などのいっさいから解放され、ゆえに自由にものを言い、真理を語る愛すべきひとたちである。とはいえ、社会常識のなかで生きる一般人からみれば、彼らはもちろん常軌を逸した人たちである。道化に緑の服が着せられたということは、緑色にそのようなイメージがもたれていたということである。
緑色がそのようなひとのしるしであるなら、理性を欠いた子どもにふさわしい色であることはよくわかるし、未熟さのしるしになることも同じであろう。要するに子どもも道化も理性を欠いており、ゆえに彼らは緑がふさわしい、というのが中世人の認識である。
なんとも乱暴な時代に思えるかもしれないが、現代と中世では倫理観や常識も若干異なるので致し方ない。また、中世の子どもたちは黄色の服も着させられた。この色は「しかるべき身分の大人が着る色ではない」という認識を持たれ、ヨーロッパでは最も忌み嫌われる色だったという。ユダヤ人差別のシンボルカラーにもなり、現在でも注意・警告を促す信号色、バイオハザード・サインなどにも使われている。いまだに「忌避すべきもの」というイメージが残っているのだろう。また、フランス語で黄褐色を示す「フォーヴ」という言葉は、裏切りという意味もはらんでおり、イエスを裏切ったユダの衣服の色としても描かれることが多かったという。
20世紀初頭の芸術運動、野獣派「フォーヴィスム」という語を生んだこのことばは、獣の艶のある黄褐色の毛色を指し、中世では裏切り者という比喩的な意味で使われることがあった。「あいつは裏切り者だ」というときに、中世フランス語では「あいつは黄褐色だ」というのである。
色はやがて思想的、政治的な意味合いも帯び始める。冒頭に引用した挿絵「イザボー・ド・バヴィエールの入市」の彩色から、作品に込められた意味を読み解いていく第7章「紋章とミ・パルティの政治性」には、まるでミステリー小説を読むような面白さがある。また、当時のファッションの流行を、服飾店の現存する帳簿から検証していく過程も楽しい。なお、文庫版ではモノクロで掲載されている本文中の図版は、電子版ではオールカラーで紹介されているので、気になる方はそちらもチェックしていただきたい。
本書が最も主眼を置いているのは、中世ヨーロッパという時代環境に生きた人々の、色彩に関する独特の感覚、そこから知れる感情生活であると著者は語る。それは一部の芸術家が持ち得た美的センスとはまた違うものだ。貴族階級から一般庶民まで、日常において身近に親しんできた色彩のイメージは、いまも息づいているものが少なくない。そこから往時の人々の暮らした世界に想いを馳せることは、他者を理解しようと努める日常的な努力とも似ていないだろうか。
繰り返しになるが、本書はただ中世のことだけを知りたい人が読めばいい専門書というわけでは決してない。たとえば、小説や漫画、アニメで人気を博す「異世界転生もの」について、色彩設計の面から考えてみるきっかけになるかもしれない。多くの作品が中世世界をベースにしたヒロイックファンタジーを構築していると思うが、作り手はその文化をまるごと作り出す必要に直面する(もちろんそういう作業が好きな人だからこそ挑むジャンルではあるだろう)。その世界観を作り上げるうえで、色彩はかなり有効な土台になるのではないだろうか。そんな創作上のヒントすら授けてくれそうな1冊である。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。