サヨナラ サヨナラ オセワニナリマシタ
戦後78年目の夏、この本を読んで硫黄島からの声にならない声をたしかに聞いた。
米軍との36日間におよぶ組織的戦闘と、そこからさらに続いた塹壕戦で、日本軍の硫黄島守備隊2万3000人のうち2万2000人が戦死。その致死率は95%。その戦没者の1万人の遺骨は、今も見つかっていない。硫黄島は今や米軍占領下ではなく、日本の領土である。にもかかわらず、どうして遺骨は見つからないのか? 遺骨収集は進まないのか? 本書は、その謎を追ったノンフィクションである。
著者は北海道新聞の記者・酒井聡平。祖父が父島で小笠原諸島の防衛を担う部隊に所属していたこと(父島には硫黄島からの通信を中継する基地があり、玉砕の最後までやり取りが行われていた)、また自身が10歳の時に父を失った経験から、戦後日本に数多くいた戦災遺児へ強いシンパシーを抱くようになり、硫黄島をライフワークと定めて先の謎を追うようになる。
著者は硫黄島をこのように語っている。
「終戦」とは戦闘の終了に過ぎない。「戦禍」には終わりがないのだ。硫黄島はそんな教訓が刻まれた島なのだ。
2019年9月、著者は苦労の末に政府派遣の遺骨収集団の一人として、自衛隊機で硫黄島に上陸する。首なし兵士の遺体、土に帰る寸前の小さな骨、火山活動による地熱で10分と作業ができない壕内、ガス、不発弾、ムカデ……。汗の匂いが立ち上ってきそうな、苛烈な状況下での遺骨収集の描写。その向こう側に、喉の渇きを訴えながら、地下壕を掘り続け、暗闇のなかで米軍と戦う74年前の守備隊の姿がゆらゆらと立ち現れる。硫黄島を奪われることは、米軍による精度の高い本土空襲を許すことだった。つまり守備隊が硫黄島で1日、1時間でも抵抗し続けることが、家族を1日、1時間、守ることにつながる。硫黄島での戦いは、そういう戦いだったのだ。そして最期には「生きて虜囚の辱めを受けず」の言葉を守り、一発の弾丸、一個の手榴弾で自決していった。
本書の前半は硫黄島での遺骨収集の話なのだが、神妙な気持ち……ではなく、正直「面白くて」ページをめくる手が止まらなかった。不発弾ひとつにしても警報級の危険な状況なのに、この島では日常化してしまう奇妙さ。遺骨収集団に参加する人たちの思いに触れて感じる胸の痛み。新聞記者の確かな筆力によって読ませる部分もあるが、なにより遺骨収集に関わるすべての人へ払われる敬意を感じた。内地へ遺骨を戻すために黙々と汗を流す参加者、厚生労働省の担当者、自衛隊員はもちろん、「しょせん骨だろ」と著者に言った同僚の新聞記者にさえ、自分を奮い立たせてくれたと感謝する。その敬意を、私もまた払いたい。
僕が家に着いたとき、妻は塩を小皿に入れて用意してくれていた。お葬式から帰ってきた時のように。僕は「塩は必要ないよ」と言った。今回、僕は一人でも二人でも多くの兵隊さんを本土に帰すため硫黄島に渡ったのだ。僕は霊魂を信じない。でも、一緒に帰ってきた兵隊さんが仮にいたのであれば、それは喜ばしいことだと思った。
公文書と資料の向こうに見えた真実
1万人の遺骨が見つからない。「硫黄島の滑走路の下にあるのではないか?」というのが有力な説だったが、滑走路の下の壕で見つかった遺骨は少なかった。米軍による島の地形が変わるほどの造成や、徹底した壕の閉塞、植物の繁茂によるジャングル化など、そもそも収集作業を困難にする要因は多い。それにしても1万人の遺骨があることがわかっているのに、どうして限定された形でしか遺骨収集作業が行われないのか? それを知るために著者は、厚さ50センチにもおよぶ遺骨収集団に関する公文書資料というジャングルへ分け入っていく。そこから明らかになる新たな事実の数々。遺骨収集団以前に、活動を行なっていた企業。頭のない遺骨が多い理由。米軍の戦略拠点としての硫黄島の重要性と、その変化。日本政府の姿勢……。
ひとつひとつ貴重な一次資料にあたり、丁寧に読み解く作業は、遺骨収集作業にも勝る根気と体力、時間が必要な作業だ。もはや執念といってもいいだろう。そして見えてくるのは、アメリカと日本の不透明な関係性と、国民の無関心だ。硫黄島は人の住めない地獄のような地ではなく、戦前には1000人もの人が住む農業の島であったにもかかわらず、国が、メディアが、その情報を遮断した。78年かけて記憶を風化させ、1万人の遺骨を土に還そうとしていることを、この本で知った今、見逃すわけにはいかない。
1952年遺骨収集団の報告書にはこう書かれているという。
〈平和な村、平和な町でも、若し仮に、その墓地をあばいたとしたら、そこには、悲惨な世界ものぞくことはできるであろう。ただ、その村又町とこの島が違つているところは、この幽明の境に、前者は、きまりがつけられ、道徳的な又宗教的なしつかりとした扉があるに反し、後者はきまりがつけられておらず、その扉が立てられていないということにある〉
(中略)
〈政府としては、どうしても、この遺体を収容し、多数の霊を内地に迎え入れ、そしてこの島に幽明のきまりをつけ、その扉を立てなければならないと思う〉
冥土と現世の境のない島のまま、硫黄島を78年も放置したことを、私たちは「知らなかった」で押し切れるだろうか? 土に帰る寸前の骨を前に、この本を読み、知ったことの責任を考えなければいけない。著者が硫黄島に初上陸したとき、遺骨収集団のなかで硫黄島戦没者の遺児は4人だけ。ボランティアの学生組織を除くと、参加者の大半は60代以上だったという。時間による記憶の風化によって、今この国はきな臭いものを招き入れてはいないか?
本書の最後で、著者は宮内庁主催の誕生日会見にのぞみ、硫黄島について天皇陛下にお気持ちを問う。それによって、この本は緩やかに、美しく円を閉じる。同時に、これを新たな硫黄島の物語の始まりにしなくてはいけない。硫黄島はまだ、幽明のきまりをつけられていないのだから。
レビュアー
関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。