ドキュメンタリー映画を観るのが好きだ。ジャンルにこだわりはないものの、直近では日本の政治に焦点を当てた作品をよく観ていた。その流れで、『妖怪の孫』という映画が話題になっているのを目にしていたが、その映画に原案があったことは、本書の帯を見て初めて知った。
本書はこの20年ほどの日本における政治、特に安倍晋三元首相が政権を担った期間の政策とその後の影響について、さまざまな問題を通して論じている。新書サイズながら全6章、352ページとかなりの厚みがあって、通常の新書2冊分ほどの重みに、読む前から圧倒されてしまった。だが読み始めると内容は明快でわかりやすく、事前に感じた重圧はあっという間に吹き飛んだ。
ところで、そもそも『妖怪の孫』とは誰を指すのか。著者は安倍元首相の最大の「功績」として、日本の右翼層の心をがっちり掴んだことを挙げる。それゆえ、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)や日本会議といった、それぞれ思想の異なる団体が共に自民党保守派を支持する不可思議な状況が起きたことを含め、こう綴っている。
私は、この状況を「妖怪に支配された自民党」と呼んでいる。“昭和の妖怪”と呼ばれた岸信介元首相。その孫が安倍晋三氏だから、安倍氏は“妖怪の孫”である。そして“妖怪の孫”亡き後もなお、得体のしれない安倍的なものが政界に漂っている。まさに妖怪は滅びずいまもなお自民党を支配しているのだ。
なるほど、岸元首相の異名由来だったとは。その呼び名を知らなかった私は「かつての首相を『妖怪』呼ばわりなんてして大丈夫かしら……?」などと心配をしていたのだが、まったくの杞憂であり見当違いだった。むしろ歴史を踏まえた名づけとも言えて、自分の無知を恥じ入った。
著者は1955年に長崎県で生まれた。東京大学法学部を卒業後、通商産業省(現・経済産業省)へ入省する。産業再生機構執行役員や経済産業政策課長、中小企業庁経営支援部長、国家公務員制度改革推進本部事務局審議官などを経たのち、2011年に退官した。その後は政治や経済の専門家として、情報発信や評論、執筆活動を行ってきた。
全編を通して著者は、わが国が今どのような危機を迎えつつあるかを、強い言葉で訴える。増大する防衛費、原発と再エネ賦課金、権力によるマスコミ支配など、問題点は多岐にわたる。ただ、どれも基本的な構造は似ていると感じた。たとえば一般企業で業務改善を行う際、「PDCA」とよばれるサイクルを用いることがある。それはPlan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)の流れだが、本邦の政治にはその内の「C」と「A」がない。それは「責任を取る者」を出さないための仕組みであり、結果として何も変わることなく物事が進むのも道理だろう。「P」と「D」しかできない企業の末路など、先が知れている。それは「国」という組織であっても同じと言えよう。
著者はそんな状況を打破する手として、3つのステップを提示する。第一は「現実を直視する」こと。第二に「過ちを認める」こと。そして最後に「過ちを分析して責任をとる」ことを挙げ、活路を示す。
現実を直視し、過ちを認めた後に必要なのは、過ちを正しく分析し反省を活かして新しい道を探すことだ。その気持ちがなければ同じことを繰り返すだけだ。そこでは当然ながら、「誰が悪かったのか」という責任の所在を明確にしなければならない。(中略)
まず、責任の所在を明らかにして、さらに選手交代をしなければ復活の道はない。
その上で著者は、読者にも語りかける。政治家が国をダメにしつつある今、その原因は彼らを信任した私たち有権者自身にあることを忘れてはいけない、と。耳の痛い言葉だがその通りであり、これを受け止めなければ「C」と「A」をしない政治家や官僚と同じ土俵に立ってしまう。だからこそ私たちは、難しくとも新たな道を模索し、選ばなければならない。そのためにも本書を手に取り、過去20年を振り返りながら現状を理解する手助けとしてほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。