病気と向き合うということ
摂食障害になった思春期の少女の葛藤と回復を描いたレベンクロンの小説『鏡の中の少女』と『鏡の中の孤独』が、十代の頃とても好きだった。勇気が出る本だ。でも同時に居心地の悪さも感じていた。この病気の「原因」をピンポイントに指さすことなんて無理だと気づくのだ。そんな犯人探しや排除をしてどうにかできると期待するのは、人間の心を甘く見積もりすぎているようなものだ。
『摂食障害がわかる本 思春期の拒食症、過食症に向き合う』の「まえがき」でも、摂食障害に対する一般的な誤解について、意識調査の結果を踏まえつつこう述べている。
ダイエットのしすぎで摂食障害になるわけではなく、摂食障害の初発症状として、行きすぎたダイエットが続くという点が理解されていません。(中略)本人の意思で調整できるなら病気ではありません。
そう、大抵のダイエットはいつか「ほどほどに維持」や「リバウンド」といった終わりが訪れる。そして摂食障害のひとつ「神経性やせ症」はダイエットと結びつきはあるけれど、それがすべてではない。
ダイエット以外のきっかけが想像以上に多かった。そして、挫折感は多くの人がいろんな形や規模で直面する。
本書の監修者は、内分泌代謝科の医師である鈴木眞理先生。摂食障害の臨床と、患者さんの家族をサポート活動に携わってきた人だ。この本は、摂食障害に悩む人と、その家族に向けて書かれている。実践的かつ冷静で、あたたかい。「まえがき」ではこんな大切なことにもふれている。私が本書で最初に付箋を貼った箇所でもある。
家族が原因で摂食障害になるという研究報告はなく、現在、家族は回復の資源とみなされています。にもかかわらず、約二〇%の人が「母親の育て方が原因」と答えており、いまだに偏見があります。
家族は回復の資源。保護者や先生は、病気について理解し、本人と一緒にいろんな角度から病気と向き合う大事なパートナーになり得る。そんな人たちを応援する本なのだ。
症状のはじまりや、周囲が気がつくタイミング、そして治療の現場で起こりうるいろんなケースと、その対処法が紹介される。
本人はもちろん辛いが、家族の不安や苦しみも深い。「なんで?」と思い悩むこともたくさんあるはずだ。でも病気として向き合えば、悩みに輪郭が与えられ、恐れるべきリスクも把握できる。なにより、「医療機関には親だけでもかかり続ける」といった具体的な「対処法」を選べる。
学校は早期発見の場
本書は、子どもの摂食障害の大半を占める「神経性やせ症」の始まり方から解説する。家族は往々にして異変に気がつきにくいことや、学校が早期発見の助けになることが具体的に示される。
成長期の子どもにとって、体重が急激に減ることだけじゃなく、増えないことも重要なサインになる。
こうした具体的な数字や図とあわせて、神経性やせ症がどんなふうに始まって、どう進んでいくかがストーリー形式で描かれる。主人公は中学生のAさんと、家庭教師のBさん。急にやせ始めたAさんと、心配するお母さんのやりとりを見て、Bさんは昔の自分を思い出しているよう。
このときAさんの心身に何が起こっているかはこんなふうに紹介される。
奇妙な行動や言動は、飢餓の状態になった人に現れる症状なのだ。
小さな目標達成を重ねる
回復へのヒントもたっぷり紹介されている。病院ではどんな治療が受けられて、かつ、どんな工夫が回復につながりやすいかが、イラストと文章でわかりやすく述べられる。
私が「しまった!」と思ったのはこちら。
「いつか出産できるように」「丈夫な骨は大事だよ」なんて、大人の私がいかにも言いそうだ。そうだよね、病気に苦しむ13歳の女の子にそれを言ったって響かないよ。
そして摂食障害は子どもだけの病ではない。神経性過食症に悩む大人は多い。本書の後半では神経性過食症がどんな病気で、どんなリスクがあり、どういった対処法があるかも教えてもらえる。
環境をガラッと変えることが難しくて、学校も保護者もいない大人でも、摂食障害と向き合ってどうにかすることは、決して無理な話ではないのだと励まされる。
説得より対話を
本書の最終章「家族の悩みが深いとき」も、とても大切な章だ。家族は回復の資源だけど、どんなに働きかけても、ちっとも前に進まないかもしれない。原因を探して何かを責めたくなるかもしれない。そんなときの支えとしてぜひ読んでほしい。
たとえば、対話を重ねる上で体重や体型や食べものの話題になったら? 鈴木先生は「たいていは不毛な言い争いに終わります」と解説する。
摂食障害、とくに神経性やせ症の本人は、食事や体重、体型を話題にする「摂食障害トーク」を好みます。進路のこと、人間関係のトラブルなど、うまく対処できずに悩んでいる現実の問題に向き合うのは憂うつなものですが、そうした本当の問題に触れなくてすむという点で、言い争いに終わろうとも楽な会話なのです。
家族は、本人の誤った考えを認めていたら、病状が悪化すると心配になるかもしれません。しかし、必死に説得しようとするほど、本人のこだわりは強まります。
悲しいくらいに不毛だ。では、不毛な言い争いになって本人も家族も深く疲れないようにするには?
うまく話題をかわして、切り上げて、本人に寄り添う一例がこちら。
いい対処法だと思う。もし対処法を何も知らず丸裸の感情だけで話していたら、私にはこのかわし方はできない気がする。対処法そのままにできなくたって、心の片隅にあるのとないのとでは大違いなはずだ。
1ページ目から最後まで、寄り添うことと、寄り添ってもらうことのむずかしさにウンウン悩みながら読んだ。どれもインスタントな処方ではないし、病気と向き合う覚悟の大きさが伝わってくる。相手を理解するってなんて大変なんだろう。でも、闘う価値はあるし、方法だってあるのだ。だからこそ医学の知識に基づいた「対処」は、家族の支えになる。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
twitter:@LidoHanamori