先日、親族の一周忌に参加した。それは仏式の法事で、焼香の機会があった。焼香台の側には紙が掲示され、そこには大きく「焼香は1回で!」と書かれていた。世情を踏まえた指示であることは十分理解できたものの、その宗派の焼香は本来の回数が別に定められている。そのため、高齢者の中には指示を忘れて従来通りの回数で行ってしまい、読経中の住職から鋭く注意される者も出ていた。ある意味でちょっとした喜劇のようだったが、宗教的な儀式といえども、現状に合わせて柔軟に形を変えられるという点は印象に残った。
さて本書を読むと、私の体験とは規模の違う話ではあるものの、パンデミックに見舞われた世界の中で、各宗教者や政治家たちがそれぞれなりに奮闘し、教義と医療のはざまに立って落としどころを見つけてきたことがわかる。
たとえば第6章では、2億人を超えるイスラム教徒が暮らすインドネシアが取り上げられている。興味深いのは、イスラム教徒とワクチンとの関係だ。インドネシアではコロナ以前、はしかと風疹に対するワクチン接種を推進していたが、そのワクチンに豚由来の成分が使用されている疑いが出たため、イスラム指導者から接種を禁じる見解が発表された。その結果、接種は多数の人々に拒否されてしまう。そういった失敗を踏まえた上で、コロナウイルスに対するワクチンについては、大統領が「国民の不安を払拭する」べく、率先して接種を受けるパフォーマンスを行った。
大統領が気にする「国民の不安」とは、ワクチンの安全性に加えて、「その製造工程がハラール(イスラム法的に許されたもの)なのか」という宗教戒律に関わるものでもある。それゆえに政府の医薬品食品監督庁(BPOM)がワクチン緊急使用許可を出した一月一一日に、宗教界の権威インドネシア・ウラマー評議会(MUI)も政府と歩調を合わせて、シノバック製ワクチン使用をハラールとする宗教見解(ファトワー)を発表した。MUIは、インドネシアにおいてハラール認証権限をもっている。
自分がワクチン接種を受ける際、副反応の有無やその影響を気にすることがあっても、宗教上の理由で成分を気にすることまでには考えが及ばなかった。人々がコロナウイルスを封じ込める上で、宗教が大きな役割を担う国があることを実感した。
本書では他に、キリスト教をはじめとしてユダヤ教、ロシア正教、ヒンドゥー教、イスラム教といった世界の宗教が取り上げられており、著者はその狙いをこう語る。
一九七〇年代以降に生じた宗教復興の潮流のなかから、原理主義、宗教ナショナリズムが台頭してきた。他方、原理主義、宗教ナショナリズムとは異なる宗教復興のあり方も世界には存在する。これらが新型コロナウイルス危機によってどう変わったのか、そしてポスト・コロナの世界において、宗教と社会はどのような関係をもつようになるのか、宗教ごとに情勢を読み解いていきたい。
著者は1980-81年にアメリカのカンザス大学へ留学した際、アメリカ大統領選挙において、宗教組織が政治の基調を保守へと転換させていく様を現地で目撃したという。早稲田大学を卒業後は国際交流基金で勤務するかたわら、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科にて博士後期課程を修了。現在は国際関係やアジア研究、文化交流政策の専門家として、跡見学園女子大学文学部教授を務めている。
ちなみに本書で初めて知ったことのひとつに、身近な建築物の話もあった。
コンスタンティノープル総主教(全地総主教)は建前の上で東方正教会首座であるが、東方正教会全体に勅令を出す権限は持っていない。それぞれの民族が自治独立権を有し独立正教会・自治正教会を形成し、それぞれの民族言語で礼拝する。日本にも自治正教会である日本正教会が存在し、東京神田のニコライ堂(正式名称:東京復活大聖堂)は、その首座主教座教会である。
御茶ノ水駅から歩いた時にたまに見かけるあの建物が、正教会のものだったとは……! 「教会と言えばカトリックかプロテスタントだろう」などと安易に思い込んでいたので、驚いてしまった。
各宗教については章ごとに、現状はもちろん、その成り立ちや地域、人数といった基本的な情報が添えられ、解説されている。そのため興味のある宗教や国、地域から読むこともできるし、大学などで国際政治や宗教学に触れたばかりの方には、全体を俯瞰して知る上でも役立つ1冊と言える。この機会に現在の宗教と社会のあり方を、じっくりと読み込んでほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。