はじめに言葉あり
中国には、数多くの故事成語があります。呉越同舟とか四面楚歌とか酒池肉林とか、わりと有名なものから、羮(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹くとか韓信の股くぐりとか、知る人ぞ知るマニアックなものまで、じつにたくさん存在します。それぞれにおもしろい逸話があり、それを紹介する書籍も枚挙に暇がありません。かの国とわが国の深い関係を物語るひとつの証左と言えるでしょう。
本書は、体裁としてはこれら故事成語を紹介する書籍とよく似ています。ある言葉があり、その言葉が語られるようになった由来を説明し、関連のエピソードを紹介する。ただし、取り上げるワードがとても特徴的です。「白衛兵」「西朝鮮」「外売騎手」「45度人生」「新能源人」「錦鯉」「凡人」……すべて、現代中国のありさまを活写するものになっています。これらの言葉をたどっていくと、いずれは世界1位の経済大国になるだろうと言われている中国が抱えた数々の問題が浮き彫りになってきます。現代中国を述べる本はいくつも出版されていますが、本書がもっともヴィヴィッドなもののひとつであることは間違いないでしょう。
たとえば、「仏系」という言葉については、天安門事件や一人っ子政策など、現代中国を表す象徴的なタームを語った後、このような説明が付されています。
ところが、そんな光景(筆者注:デモなど)は中国のどこにも見当たらない。それは、当局の取り締まりが厳しいということもあるが、「一人っ子」の側の問題でもある。「だって動くとエネルギーを使うでしょう」と言わんばかりに、就職先が見つからない彼らは、おとなしく自宅でスマホをいじっているのだ。
そんな彼らについた名称が、「仏系」。修行僧には仏典があれば十分なように、「仏系」にはスマホがあれば十分というわけだ。
おこがましい意見かもしれませんが、言葉をもとに語るというのは本当にうまいアイデアだなあと感心してしまいました。
成功ゆえにあやまったコロナ対応
新型コロナウィルス感染症の世界的な流行は、今世紀最大の事件のひとつと言っていいでしょう。本書でもいくつかのトピックで紹介されており、中心をなしていると語っても過言ではありません。
「武漢ウイルス」「中国ウイルス」とあきらかに悪意をふくんだニックネームで語られ、米国ではアジア人へのあからさまな差別につながり社会問題にもなった感染症への対応ですが、中国と自由主義諸国とのちがいが大きく際立つものになりました。
武漢でクラスターの発生があきらかになった後の中国共産党政府の対応は迅速でした。まず武漢のロックダウン(封城/フェンチェン)をおこないます。ロックダウンは欧州各国でもおこなわれましたが、そうなる前にべつの都市に移る人も多くあって、完全に施行することはできませんでした。人々の移動の自由を制限することは自由主義を標榜する国家では難しかったからです。ところが、中国にはそんなものありません。政府が出るなと言ったら出られないのです。武漢ではほぼ完璧な封城がおこなわれました。
武漢市内では医療施設がまたたく間に充実し、頻繁なPCR検査が全市民にたいしておこなわれました。これも、医師や市民にノーという権利が認められていないからこそ可能なことです。
死者数の統計をみると、中国の対策がいかに優れていたかがわかります。アメリカは107万人、第2次世界大戦よりベトナム戦争より多くの死者を出していますが、中国はわずか5000人です。日本の死者数をすこし上回っていますが、中国には日本の14四倍もの人口があることを考えると、驚異的な少なさだと言っていいでしょう(2022年10月の統計による)。
しかし、新型コロナウイルスが感染力が高く毒性の低い(死に至ることがすくない)オミクロン株に変異すると、中国の政策は世界の潮流から大きくはずれはじめます。世界がウィズコロナ(もう感染を止めることはできないんだから通常営業に戻しましょう)になっても、中国政府はゼロコロナ政策を継続しました。中国国内はもちろん世界経済にも大きな影響をおよぼした上海の封城は、失策だったといわれています。上海市民からの評判も悪く、本書には「白衛兵」という新語ができたことが紹介されています。しかし、医師も国民も、誰も表だってその政策はまちがっているとは主張しませんでした。「仏系」と呼ばれる若者たちが言うはずありません。独裁の硬直性が端的に示された例と言ってもいいでしょう。
封城をおこなっていた当時の「上海の友人」の発言は印象的です。
「いま上海では、『一比十四億』(一人対14億人)という隠語が流行っている。この国では14億人の国民が反対しても、たった一人の『皇帝様』が賛成すれば、政策は遂行されるということだ」
ふしぎな日本
中国に自由はありません。それは本書でもあちこちでふれられています。世界史上の大事件である天安門事件を、中国の国民は今なお口にすることさえできないのです。
しかし、それを知っていても――知っているからこそかもしれませんが――日本もたいして変わらねえじゃねえかという思いを消し去ることはできません。
日本はたしかに一人っ子政策をやってはいません。しかし、新生児を持った家庭にたいするケアがすくなく、大家族をつくれば損をする形が長く続けられていたために、中国と同じように少子高齢化にあえいでいます。贈収賄が横行していることも、五輪の状況を見ればあきらかです。
本書と同じテーマで本をつくることもまったく可能です。「人口減少」「上級国民」「高税低福祉」「老老介護」「中年のひきこもり」「円安」「物価高騰」「中央集権」「既得権益」……ワードはいくらでもあげられます。
国民の8割以上が望んでいる宗教団体への解散請求も、目下のところ(2022年10月現在)発せられる気配はありません。誰かがTwitterで言ってましたが、芸人の宮迫博之さんはたった一度の過ちでテレビに出られなくなったのに、政治家は過去の悪行を追求されることはあっても依然として国会の椅子に座りつづけて月給がもらえます。民主的な選挙がおこなわれていることは信じたいですが、老人の数が若者の数を大きく凌駕しているために、老人が望むシステムだけがつくられています。
独裁の恐怖を知らぬ青二才の甘ったれた意見だというそしりは当然あるでしょう。しかし、いったいどこが自由なんだよという気持ちをぬぐうことはできません。
われわれが唯一、中国の人より自由だと胸を張れるのは、上記のような政権批判/現状批判が語れることだけなのかもしれません。これは本当にありがたいことだ。本書を読むといっそうその感を強くします。
ちなみに、「中国」という呼称は戦後に一般化したたいへん歴史の浅いものです。かつての日本には支那とか震旦(しんたん)とか、かの国の長い歴史を称えた立派な呼び名があったのですが、さきの大戦を思い起こさせるためか、使われることがすくなくなっています(Chinaと同根ですし、断じて蔑称ではありません)。
「中国ウォッチャー」としての著者の知嚢(ちのう)はこちらhttps://gendai.media/list/author/daisukekondo に披瀝(ひれき)されています。どれもすごくおもしろい記事です。興味ある方はぜひご一読ください。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/