その言葉、わかりみしかありません
本書を読んで思い出したのが、6年前の「保育園落ちた日本死ね!!!」という言葉。ネットを賑(にぎ)わし、新語・流行語大賞にランクインし、国会でも取り上げられました。あの「死ね!!!」の言葉が、保育園ではなく、待機児童の問題を解決できない行政、ひいては政治でもなく、なぜ「日本」に向けられたのか?
その理由が、この本を読んで理解できたように思います。
2021年の給与所得者の平均年収が443万円で、平均年齢は46.9歳だった。この年齢は、ちょうど就職氷河期世代と重なる。正社員と正社員以外それぞれの平均年収を見ると、正社員は508万円、正社員以外は198万円だった。
今の日本は、平均年収443万円では、“普通”に暮らすことができない国になってしまっている。
そうした実態を明らかにする本書ですが、あらためて数字として提示されると、正社員と非正規雇用社員の年収、約300万円の格差は相当にキツい。「正社員並みに働いているのに、自分は報われない」と思うのも当然だし、人生プランにおいて、結婚や子供を持つことを諦めざるを得ない人も多いでしょう。しかし、平均年収を得ているからといって余裕を持って生活できるかというと、そうではないのです。
本書の第一部では平均年収を得ている層、第二部では平均年収に届かない層の、生の声を集めています。正直、その声があまりに生々しくて、心に余裕がない状態で読むと気持ちがささくれ立つかもしれません。
涙ぐましい節約に切り詰めた生活、子供を持つことの躊躇と老後の不安……。そうした声に「努力が足りない!」「贅沢を言うな!」「あなたの決断の結果でしょ?」 と、自己責任論で済ませるのは短絡的です。はたまた語っている人の年収を見て、見上げる/見下す立場に自分を置いて「あなたと私は違う」と一線を引いては、問題の本質を見誤ってしまいます。
私は、ただひたすら、この本で吐露される生の声に「わかるわぁ」「あるあるやん」と、わかりみが深かったです。
──神奈川県・須藤慎太郎(48歳)・会社員・年収520万円
「イオン」で紙パックに入っている大きなサイズの甲類の焼酎を1000円くらいで買って、おつまみには100円 のバターピーナッツ。88円の厚揚げを買ってきてフライパンでごま油で炒めて食べる。妻がつきあってくれて、いろいろ話しながらお酒を飲むのが最高ですね。
その食卓の様子が目に浮かぶようです。
「年収520万もあるのに、そんなわけないじゃん。嘘だよ、プレモル飲んでるに決まってんだろ!」とは、思えません。異業界から保育業界に転職し、年収800万から520万にダウンした人(妻は専業主婦)に、嘘をつく必要などないでしょう。この方に「うちは、もうちょいいい焼酎にしています。飲みすぎると次の日がキツいんで」って、言いたいくらいです。
──東京都・米田美鈴(35歳)・自治体職員・年収348万円(世帯収入1000万円)
チョコレートだって、本当はフェアトレードの「ピープルツリー」を買いたいけど、税込みで388円もするから、明治やロッテの板チョコを底値で買うんです。
日々の生活で精いっぱいで、「買う責任」とか「使う責任」を考えるのって、経済的な余裕のある人の話なんじゃないでしょうか。自分たちは違うと思う。責任なんてことを考えること自体が贅沢なことです。(中略)もののある豊かさは、心の豊かさに直結していると思うんです。道徳で習ったような「心の豊かさ」って、結局、お金で買うしかないんじゃないですか?
もう正直すぎる言葉のオンパレード。ピープルツリーのチョコが、ただの“お高いチョコ”であれば、贅沢をする経済的な余裕があるかどうかのお話です。 しかし、ピープルツリーのチョコはフェアトレード商品で、購入自体に社会的な意味が含まれています。それに賛同し、100円、200円の価格差で躊躇させるものってなに? 世帯収入が1000万円もあって、100円、200円の「心の豊かさ」が買えないのはどうして?
世帯年収が1000万円あったって、私の仕事は不安定だし、夫の収入は、おおげさにいえば、乱高下する。うっかり贅沢なんてしていられないんです。
平均年収を得ている層は、夫婦で稼いでいても、そのどちらかが非正規雇用社員であることが多く、いつ契約を切られるかわからない。契約を切られたら、現状の暮らしを維持できないから、今のうちに切り詰める。さらに子供にかかる学費、将来のための学資保険も家計に重くのしかかり、心の余裕は削られる。ピープルツリーのチョコのように、価格として見える「心の豊かさ」もまた、当然削られていくのです。
平均年収に届かない層の言葉は、さらにディテールが鮮明です。
──北関東・田村理恵(38歳)・介護ヘルパー・年収48万円(世帯年収400万円)
ファミレスは……高い! 高くて子どもを連れて行けないですよ。どうしても外食となったら、子どもたちだけ「すき家」で食べさせます。
でも、「サイゼリヤ」は神ですね。あそこは神です。ほーんとうに神です。安いから安心して注文できます。最強ですね、パスタでもハンバーグでも、なんでも食べていいよ!と言える。ドリンクバーもあるし、サイゼリヤの値段は変わってほしくないです。
若者の非正規雇用という麻薬
「なんでこんなことになったんだ?」という問いに、著者は、就職氷河期と呼ばれた1993年から2005年(さらに2013年まで)に進んだ雇用形態の変化を原因に挙げています。人件費削減のため、若者を非正規社員として雇用することを進めた。それにより、日本の強みであった中間層が崩壊したとのだと。
経営側としては、非正規雇用者の契約期間を短くして契約を更新しなければ、合法的に解雇できます。社会保険料の負担も抑えられ、退職金も用意しなくていい。そのメリットは大きい。こうした構造について大労組の幹部は赤裸々に語っている。
派遣は麻薬と同じ。悪いと分かっていても、一度そのうま味を覚えてしまったら、やめられない。
たしかに、それが経営の実感でしょう。しかし、若者の非正規雇用化を官民あげて推進した結果が、この体たらく。 家庭を持ちたい、子供を持ちたいと思っても、それは高嶺の花である層は相当に分厚い。そのことに気づいているくせに「少子化が止まらない!」「子育て世代への手厚いサポート!」なんて、本当に「日本死ね!!!」と言いたくなる。こんな状況のなかで「がんばれ日本!」などと言われようものなら、「もう十分頑張ったわ、勘弁してくれよ」というのが本音でしょう。
著者は、日本社会はすでに崩壊していて、事態は「too late」だといいます。行き過ぎた規制緩和を正して、格差を是正しなくてはいけないという点も、まったくもってそのとおり。しかし状況は厳しい。経営者に「麻薬」を断つ勇気はあるか? コロナに振り回され、円安による物価高に耐える国民に、増税を求める政治家に期待できるのか?
いつまで続くかわかりませんが、私たちは1000円の甲類焼酎を飲み、底値の板チョコをかじり、「サイゼリヤは神!」と叫びながら、日々の生活を闘うしかありません。ただし、常に「なにか間違っている」「これはおかしいのだ」と思うことを忘れてはいけません。そう思うことをやめ、思考停止に陥ったとき、「絶望的」という言葉から"的"の一文字が取れてしまうのではないでしょうか?
レビュアー
関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。