読んでいる途中なのに、もう一度読みたくなっている自分に気づいて驚いた。タイトルの通り本書は「物価とは何か」について語りながら、経済学の歴史と発展や、政治と中央銀行の役割、そして現在の日本の状況をも解き明かしていく。専門的な内容にも関わらず、数式が出てきたのは1ヵ所だけ。文章は穏やかな語り口で、ユーモアに富んでいる。時に混じる辛口な指摘も楽しい。
著者は日本銀行での勤務を経て、現在は東京大学大学院経済学研究科で教授を務めている。本書は全5章からなるが、各章の節はそれほど多くなく、目次もいたってシンプルだ。だがページを開いてみると、2~3ページごとに小見出しが付いているので目にやさしく読みやすい。そして最初に興味を惹(ひ)かれたのは第1章で紹介された、「スキャナーデータ」を用いた研究のくだりだった。
日本のスキャナーデータには海外のデータにない強みがあります。それはカバーする期間の長さです。図1-3で使ったスキャナーデータは一九八九年から二〇二一年までで、三〇年超の長さです。この間に、バブルとその崩壊、金融危機、デフレ、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍と、さまざまなショックが日本経済を襲い、そのたびごとに物価は大きく変動しており、研究の素材として申し分ありません。
書店に勤務している時は、レジ打ちのたびにバーコードを読ませるのが必須の作業だった。最近では至る所でセルフレジが普及しつつあり、スーパーやコンビニの会計時には自分で精算する機会も増えている。しかしまさかそれらの行為が研究の一翼を担っていようとは、考えもしなかった。
ちなみに海外のデータは期間が短く、規則性の真偽が確かめにくいという。一方、日本がどうしてそれほど長期にわたってデータを積み上げることができたかといえば、こんな事情があったそうだ。
日本のデータがなぜそんなに古くからあるのかと言うと、日本におけるPOS(販売時点情報管理)レジの普及に合わせて、通産省(当時)関連の財団法人の主導の下、日本各地にある店舗のPOSレジに蓄積されたデータを一ヵ所に集積させるという取り組みが行われたからです。
「先見の明」とはこのことだろう。不遜にも「政府、いい仕事するなあ!」と思ってしまった。このケースのように、公の機関がデータを集めて保存しそれを著者のような研究者へと繋ぐという循環は、官民の理想的な関係にも見える。
他に興味深かったのは、日本におけるインフレ予想についての研究だった。というのも、日本の若年層ではインフレ予想が低く、年齢が上がるにつれてその予想は高くなっていくという。著者はこの違いが年齢差によるものなのか、それとも経験という世代差によるものなのかを、以下の手段でデータを入手し、解明していく。
分離のためのもっとも直接的な方法は、年齢は同じで経験が異なる人同士のインフレ予想を比べることです。そこで、私たちは、日本に在住する外国出身者に対してアンケートを実施し、年齢をそろえた上で、出身国によってインフレ予想がどう異なるかを調べてみることにしました。日本在住者としたのは、同年齢の日本人と同じような店で、同じような商品を、同じような価格で買っている人との比較にしたかったからです。そうすることにより、過去のインフレ経験だけが違う集団同士の比較が可能になります。
こうして取られたデータから、日本人の若年層のインフレ予想の低さは、世代(経験)差に由来することが証明された。実はインフレを知らずに育つ国は、世界に類を見ないらしい。著者の研究は発表後、IMF(国際通貨基金)からも注目されたという。
そのチームのメンバーであるエコノミストから、「日本にはインフレというものを知らない、世界でも珍しい若者がいるのか」という質問がありました。他の国(とくにいまなお高インフレに悩む新興市場国)からすると、日本の若者は非常に珍しい部類に属するということをそのときはじめて認識しました。
専門家でも気がつきにくいことならば、デフレの中で暮らし続けてきたこの国の若い世代が、自分たちの特殊さを知らずにいるのも納得がいくだろう。それでも、著者という研究者の「目」を借りれば、見えてくるものが確かにある。
なお著者はあとがきで、「この本は物価理論の教科書ではない」と断っている。それでも、経済学に疎い私のような者にとっては、最初の一歩として踏み出しやすい1冊だった。「インフレ」とはどういうことなのか。「デフレ」が続く今の日本は、いったいどんな状況にあるのか。その回答は、これからの暮らしとどう繋がるのか。身近にある「物価」の意味と位置を知ることで世界の見え方が鮮やかに変わる体験を、ぜひあなたにもしてみてほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。