コロナが日本の問題を顕在化させた
著者の河合雅司さんは、ベストセラーとなった『未来の年表』シリーズで、早くから日本の問題を指摘していました。
ものすごく雑に、かつ乱暴にまとめると、『未来の年表』シリーズは、豊富なデータをもとに「人口減少と少子高齢化が明白になった日本は、このまま行ったら沈むよ」と主張するものでした。自分も平均年齢を高める方ですから、耳の痛いことも多々ありました。
『未来の年表』になかったのは、「世界的なコロナ・パンデミックが起きる」ということでした。これは人口データをいくら見てもわかりませんから当然のことでしょう。本書は、コロナ禍を受けて、「未来の年表」がどう変わったのかを述べています。
コロナ禍をきっかけに目の前に現れた変化のほとんどは、新たに起きたことではない。「コロナ前」から日本の弱点であった。コロナ禍はそこを突き、「積年の宿題」をあぶり出したのである。それを放置すれば日本が行き着く「由々しき近未来」を予告編のように見せ、一気に時間を進めたと理解すべきなのである。
おそるべき「社会の老化」
「コロナ不況」が起きることはよく語られます。観光業や飲食店、旅行業、コンサート・ビジネスなどに、影響はすでに出ていると言っていいでしょう。閉店や倒産が相次いでいることは、テレビなどのメディアでも数多くレポートされています。
もっとも、本書が指摘するように、これは「早まっただけ」だと言ってもいいかもしれません。特定の業種に偏るのはコロナの影響ですが、閉店や倒産は「いずれ起こること」でした。
人口がすくなくなれば税収が減るため、国家経済が縮小します。マーケットも小さくなり、多くの企業は以前のように儲けることが難しくなります。結果、倒産が頻発し、新規に人材を雇用することが控えられるようになります。
これは『未来の年表』ですでに語られていたことですし、類書でも指摘されていたことです。言葉をかえれば、人口減少の帰結としてこうなることは、一種の常識になっていたと言ってもいいでしょう。あらためて述べられなくても、「そんなことわかってるよ」と感じた人もあったにちがいありません。
しかし、本書の力点は、そこにはありません。自分はこの本を読みながら、何度か我が身をふりかえる瞬間がありました。
私は、コロナ禍にあっての最大の流行語は、「こんなご時世だから……」であったと思う。言うまでもなく、人々のマイナス思考を端的に表したフレーズだ。
このセリフ、自分は言ったことがあります。誰かが語るのも聞いたことがあります。おそらくはほとんどの人が口にしたことがあるでしょう。しかし、これは日本の現状を象徴的に表現しています。「社会の老化」が顕著だからこそ、この言葉は口癖のようにつぶやかれたのです。
「社会の老化」と呼ぼう。それは、少子高齢化の行きつく先である。質(たち)の悪い「国家の病巣」とも言うべきものだ。すべての年代の人々の思考を守勢に追い込み、"無難な道"を選ばせていく。挑戦する気力を吸い取ってしまう"邪気"だ。
出生数の減少が直接的に日本社会を破滅へ導くとすれば、「社会の老化」は真綿で首を締めるように、内側から崩壊させる。国民の目に見えづらいぶん、「社会の老化」のほうが厄介で、影響の及ぶ範囲が広い。
わたしたちは、知らず知らずのうちに、「社会の老化」に加担していた。本書を読む者の多くは、そのことに気づかされるのです。
若者を殺す社会
自分もふくめ、年齢を重ねた「大人」は現状を維持したいと願うものです。自分が通ってきた道を後進にも歩んでほしい。信奉してほしい。そんな思いは誰にだってあります。それを変更することは、場合によってはそれまでの人生を否定することにつながります。できれば変えたくない。それは人情だと言ってもいいでしょう。
しかし、この心情こそが、「老化」を促進するものなのです。
どんな時代にあっても10代や20代の若いエネルギーが世の中に新風を吹き込み、社会を変えてきたのである。コロナ禍では目を覆いたくなるような日本の衰退ぶりが明らかになったが、日本の再興は「社会の老化」にとりつかれた人々(年齢のことを言っているわけではない)には無理である。
日本の未来を切り拓こうとするならば、"若い突破力"に委ねるしかない。高齢社会であるからこそ、若い世代が活躍しやすい基盤をより整えていく必要があるということだ。
現在のシステムは若者を萎縮させ絶望させる方向に機能しています。たとえば選挙。若者より老人のほうが圧倒的に多いのだから、老人の意見が反映されるのは当然です。それが「選挙に行っても何も変わらない」という意識を生み出します。若者は徒労感を抱き、「政治(システム)は選挙で変える」という民主主義の根幹にさえ、絶望せざるを得ないのです。
同じことが、社会全体の「空気」にも作用しています。わたしたちはいつしか、若者のことではなく高齢者のことを第一に考えるようになっています。「若者より老人のほうが圧倒的に多い」ゆえにそれが染みついてしまい、疑問にさえ思わないのです。
本書はドリル形式で現状認識を述べたあと、どうすべきかを具体的に述べています。正確なデータ分析からもたらされた、著者の焦燥感に裏打ちされた提言である。自分はそう感じました。
箇条書きのかたちですが、その一部を紹介しましょう。
・国政選挙に「若者枠」を創設し、若者の意見を反映させる。
・中学卒業時からの「飛び入学」導入。
・ドメイン投票(選挙権をもたない子どもがある家庭の投票権の充実)を考える。
・「30代以下のみが住む都市」の建設。
・若い人々に英才教育をする(国費留学などを実現する)。
わたしたちは、若者に帰りの燃料を与えず爆弾を満載した飛行機に乗せて敵艦につっこませていた者の末裔です。それは過去の愚かな行いであり、自分はそういう考えとは無縁だと思っていました。しかし今、何もせずただ禄を食(は)んで生きることは同じことなのかもしれません。本書は、そうあってはならないという意志を明確に示しています。
世の中に活力をもたらす若者を制限する社会が健全なはずがない。個々の若者はいつまでも若いわけでなく、その年齢でしかできないこともある。大人たちが大学への通学を認めず、スポーツの全国大会も、入学式、卒業式も中止としてしまった。コロナ禍に青春時代を迎えた特定の年代の人々のチャンスを奪えば、必ず後で歪みとなって現れる。
政府や地方自治体、企業が考えるべきはむしろ、数少なくなった若者が感染を気にせず活発に活動できるような「安全な場所」を提供するための方策であった。
若者の行動を制限することが社会にとって自殺行為であることは分かっているのに、多くの人の理性を失わせるところが「社会の老化」の恐ろしさである――。
良識ある「大人」の役割は、自分たちが得たものにしがみつくことではない。それを捨て去ってドラスティックな改革を成し、子供たちに暮らしよい世界を遺してやることだ。それができるのは年寄りだけなんだ。本書はそう語っています。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/