新聞やテレビ、電話や電子メールから、スマホで見る動画、さらにはVRまで。我々はそれらをメディアと称していますが、それでは一体メディアとは何なのでしょうか。
広告や宣伝などの関連業種に従事している身としては、メディアとは情報を伝えるためのコンテナであり、「媒体」(と訳されているから)という認識です。そしてこれは本稿をご覧になっている皆様方も同様でしょう。
その「メディア」に対し、本書はドイツの批評家、哲学者であるヴァルター・ベンヤミンの論を梃子(てこ)に、日本を代表するベンヤミンの専門家である山口裕之氏が微に入り細に入り、メディアの本質とは何か?という問いを精緻に紐解いていきます。
さて、現代に生きる我々は、常に大量の情報の洪水に囲まれた中で日々のくらしを営んでいるわけですが、基本的にそれらの情報の「オリジナル」に触れることはほとんど『無い』という事実に気付かされます。
確かに映画も印刷物も元データを複製して我々の手元に届いたり、上映されているわけですし、本書も山口氏の原稿が出版という形で複製され、読者の手元に届きます。さらには本レビューもインターネットというメディアを介してコピーされたものがこうして届けられているわけです。
メディアによって伝達されるものはオリジナルに対するある種の複製ということになる。現代のメディア世界を考えるとき、我々はほぼ必然的に「複製」という問題に行きあたる。
と、本書の序章からこのテーマに触れられており、技術としてのメディアと、魔術としてのメディアに大きく関わる部分であるわけです。そしてベンヤミンの「技術的複製可能性の時代の芸術作品」を手がかりに、メディアの歴史から現代に至るまで深く論考していきます。
世界最古のメディアが洞窟壁画の形で生まれ、その後言語が生まれ、グーテンベルクの印刷技術の発明で情報伝達に革命が起きた、というようなメディアの歴史の話には聞き覚えがある読者は多いと思います。
本書の論考ではそこに「写真」が登場したことで真に革命的な複製手段が生まれたという補助線が引かれ、「画像メディア」と「言語メディア」両者が接合され統合されてきた経緯をより高い解像度で理解を深めてくれます。
そしてメディアが持つ魔術性が政治や社会に深く関係し、社会的な変容を促してきた足跡をあらためて認識することができるのではないでしょうか。
また、「メディアは、人間による世界の表象を複製・保存・伝達することを本質的な機能としている」という論点から見て見ると、メディアは複製し保存して伝達するという機能を分解すると、普段触れているメディアが、複製の過程にエンコード(変換)とデコード(復号)の有無がある記号的メディアなのか? そのままを複製する画像的メディアなのか? というような今まで気づけなかった分析軸が得られます。
何を、どのように、複製しているのか(そして伝達しているのか)という視点に立ってさまざまなメディアを見渡してみると、VRやメタバースのようなあたらしいメディアはどのようなメディア特性を持つのか。それがどのように人間の身体と知覚に影響を与えるのかといった考察の一助になるでしょう。
現代メディアを扱うにあたり、メディアが持つ力の本質について、歴史を踏まえて理解することは、情報を送る側にも受け取る側にも貴重な示唆が得られる貴重な1冊です。
レビュアー
静岡育ち、東京在住のプランナー1980年生まれ。電子書籍関連サービスのプロデュースや、オンラインメディアのプランニングとマネタイズで生計を立てる。マンガ好きが昂じ壁一面の本棚を作るものの、日々増え続けるコミックスによる収納限界の訪れは間近に迫っている。