腰の据ったノンフィクションである。
昨今のニュース記事を再編したようなネット系読み物や「悪口をこれでもかと読ませる爽快さ」を主眼に置いたような新種の物語を遥かに凌駕する「ド直球のノンフィクション」である。取材に次ぐ取材。長い年月をかけ、丁寧に情報を整理する、まさにノンフィクションの厚みを感じさせる快作だ。
タイトルを目にした瞬間、「あ、一条さゆり、読みたい!」と思った。
だが、ちょっと待てよ、実際に本を手に取りしばし眺めてみると、いろいろと誤解していたことがわかった。私はこの本の主人公である一条さゆりのことを知っているようで、実はよく知らない。著者が、あとがきで、
日本プロ野球機構十二球団の全選手は千人に届かない。落語家の数はブームの今でも、東西合わせて千人ほどである。ストリップはプロ野球や落語の四倍もの規模を誇る巨大産業で、一条はその頂点に立っていた。歌謡界に美空ひばり、銀幕に石原裕次郎、プロ野球に長嶋茂雄がいたように、ストリップには一条さゆりがいたのだ。
と記した人物を、私は、茫洋とした印象でしか理解していなかった。
茫洋とした印象とはすなわち、「悲劇のストリッパー」である。
少しだけ、時系列を整理してみる。
私は1963年生まれ、著者と同年代である。一条さゆり、伝説の引退公演は1972年。私が9歳の時だ。
1976年にストリップ復帰、1978年頃から彼女は大阪で暮らし始め、やがて釜ヶ崎へと流れ着く。
二代目一条さゆりが登場したのは1986年、私は浪人生、残念ながらストリップに関心を持つ暇はない。
時代は下り、一条さゆりが死去し、その様子がニュースなどで伝えられたのは1997年のことだ。当時、雑誌編集者をやっていた関係もあり、その時のことはなんとなく覚えている。だが、同時代のスーパースター長嶋茂雄に比するビッグネームのわりに、私に与えたインパクトは少ない。
もちろんその理由は、彼女が「大人の世界の住人」であるストリッパーであったことが大きいし、彼女は1937年の生まれ、要するにそういっちゃなんだが、私の親の世代の女性なのである。
だが、今回、彼女の(悲劇ではなく)「伝説のストリッパー」としての凄みを知る。著者が丹念に拾い集めた「一条さゆりへの称賛」を少しだけ披露させてもらう。
「彼女が右を向いたら、客は右に波打つ、左に行ったら、左に波です。芸で男たちを支配している。ひざまずかせている感覚やったんとちゃうかな。それほどの芸でした。客は一条さんを見るためだけに一日中、劇場にいる。劇場が変わると、追いかけていく。ええ大人がそこまでするんです。裸を見るだけやったら、そりゃ飽きるわ。芸でひきつけている。男への復讐の芸やと思いました」(中田カウス師匠)
「日常性に反発し、タブーに挑戦し、怨霊のごとく、菩薩のごとく、虚と実の間をつかず離れず移ろう芸なんです。私はまったくわいせつとは思わなかった。彼女の優しさ、慈しみが伝わる芸です。だから見ているうちに涙が出てくる。恐ろしい玄人です。同じ芸に携わる者として完全に負けたと思いました。嫉妬していました」(俳優・小沢昭一)
「彼女のロウソクショーは喜びの表現です。ロウソクは彼女にとって男根なんだ。萎(な)えることなく精液を垂らし続ける男性なんだ。彼女は人間離れした何か神のような存在と交わっていたんじゃないのかな。彼女は人間を超えた何者かになろうとしていた。だから、男たちは何かありがたいものを拝むような気になったんです」(ノンフィクション作家・朝倉喬司)
ストリップという芸の種類の関係上、パフォーマンスの詳細は省くが(真骨頂は本書にて!)、彼女を「性を売り物にした女性」のような安易な捉え方をせず、「芸の求道者」として捉えると、このノンフィクションのおもしろさは、俄然、加速度を増す。
「まるで一条の子宮に客が呑み込まれてしまったような一体感」を感じさせる一条さゆりのステージ。もちろん、私は見ることはできなかった。それは、(先日見た映画の)エルヴィス・プレスリーの「セクシーダンス」に、あっという間に女性が飲み込まれてしまったように、一条ゆかりの子宮に、多くの男がするりと飲み込まれてしまうのだろうか。いまさらながらに興味が湧く。
本は、彼女の華やかなステージから一転、公然わいせつ罪による逮捕、男性との痴話喧嘩の果ての大やけどなど、彼女に身に起こった「暗転の日々」を静かに描いていく。
なぜ、彼女は「転落の道」を歩まなければならなかったのか。ストリップという(社会的に)「先の見えない」芸事のせいなのか。名声を得たはずの彼女は、要領よく立ち回り、(今風の考えで言えば、たとえば女優、たとえば文化人などへ)「華麗なる転身」を果たすことができなかったのか。著者は、芸人ではない「ひとりの女性としての一条さゆり」をゆっくりと浮かび上がらせていく。
藤本(作家の藤本義一氏・筆者注)によると、人間はみんな劣等感を持っている。それをバネに生きていく過程で、劣等感を虚栄心につなげる人間と、ゆっくりとその劣等感を抱いて生きていく人間の二種類がある、一条は後者で、虚栄心を感じさせなかった。
「不器用な人だったんでしょうね。その生き方に不器用さを感じましたね」(中略)
一条のように純な生活意識を感じさせる女性はいなかった。彼女からは、タレントにありがちな、自分を売り込むという意識を感じなかった。純粋に踊り、見ている者の心を揺さぶる。彼女が好んだのは、ただそれだけだと藤本は思った。
まるで、芸と心中してしまうような生き方だ。
公然わいせつによる逮捕と裁判の日々、そして服役。知人の力を借りて出したお店。そして、つかの間のストリップ復帰。人間・一条さゆりは年齢を重ねていく。
やがて、彼女は大阪の釜ケ崎へと流れ着く。
「ここまで落ちるとは思いませんでした」。著者との面談にため息交じりでそうつぶやいた彼女は、生活保護を受給され暮らしている。
人は成功者の派手な暮らしよりも、悲惨な転落の過程を好む。栄華への称賛もするが、スキャンダルへの「食いつき」はそれ以上に激しい。スターと言われる人物にも、光と影がつきまとう。そして、その影の部分が多く、またその影が濃ければ濃いほど興味を抱く人間がいる。告白すれば、私もそんな人間のひとりだ。
前出の中田カウス師匠は、そんな「影の多い」人物に、藤山寛美、横山やすし、勝新太郎の名を挙げた。彼らが孫を抱いて幸せそうな顔を見せては、その時点で芸人でなくなると言う。海外に目を向ければ、エルヴィス、ドアーズのジム・モリスン、マイケル・ジャクソンなんていうのもそうだ。さらに著者は、自動車事故の後、モルヒネ中毒に苦しんだエディット・ピアフ、謎の死を遂げたマリリン・モンロー、射殺されたジョン・レノン、などの名を挙げた。
一条さゆりは、闘病の末、1997年にこの世を去った。身寄りのない寂しげな死だった。
カウス師匠は言う。
「芸人の幕の下ろし方としては、一条さんの死にざまは最高やったんとちゃいますか。僕は芸人です。笑わすか、身体を見せるかの違いはあるかもしれんけど、お客さんを魅了することにかけては、互いに譲らない。それほど一生懸命にやってきた。だからわかるんです。最後をどう仕舞うか。これが一番難しい。売れれば売れるほど、最後は悲惨なほうがいいんです」
この本にあるのは、昭和の高度経済成長期を、そして徹底した男社会を自分の身ひとつで生き抜いた女性の物語である。
読者は、彼女の人生を通し、当時を振り返ることになる。はたして、いい時代だったのか。昭和の時代から半世紀近くの時が過ぎ、社会は「清潔」になり、女性は生きやすくなり、男性の女性に対する見方は変わり、そして、人は人に対してもっとやさしくなったのだろうか。
368ページの力作である。時代を映す「偶像」のような人物に会えた、同世代の著者に嫉妬さえ覚える。
「客席は波のようにうねっていた。そして、一条が自分たちの前から離れるとき、客は決まって観音様を拝むようにして、両の手を合わせていた」
踊る菩薩は、たしかにいた。
最後にどうしても書いておきたいセリフがある。彼女が裁判中のインタビューで語った言葉だ。
「テレビに出た、映画に出たと言われても、もっとえげつない番組や映画もあるやないですか。裁判官はあたしが憎かったんやろな。世の中にはもっと悪い人がいっぱいいるでしょう。土地を高く売って、儲けたり、業者からカネをもらったりする政治家とか。そんな人は平気な顔をして世間をわたっているのに、あたしみたいに自分の身体で男の人を喜ばして、それがあかんと言うんやから。なんか訳わからん」
レビュアー
コラムニスト。1963年生。横浜市出身。『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。座右の銘は「諸行無常」。筋トレとホッピーと瞑想ヨガの日々。全国スナック名称研究会主宰。日本民俗学会会員。