演出家が考えぬいた「人間のあれこれ」
本書『人間ってなんだ』は、作家・演出家・映画監督である鴻上尚史さんが、27年間にわたって週刊「SPA!」で連載を続けた「ドン・キホーテのピアス」の中から、厳選された「珠玉のエッセー」30本を集めたものだ。どのくらい厳選されているかというと
なにせあなた、連載全1204本の中から選んだものなんですぜ。これで面白くなかったら、連載が27年も続くわけがなかったと、これまた自分で言ってしまおう。
と、鴻上さん本人が言うほどだ。「ドン・キホーテのピアス」は、トピックの範囲が実に幅広く、演劇や芝居はもちろん、政治や文化、はたまた下ネタなどが軽快な文体でつづられていた。その全1204の中から、「人間ってなんだ」というテーマで書かれた32本を、30本にまとめたものが本書である。なぜ、このテーマなのだろう。鴻上さんは言う。
演劇の演出家は、人間と付き合うのが仕事です。つまりはずっと、「人間ってなんだ」と考え続けているのです。
この「人間と付き合う」とは、理解できない行動をとる俳優やスタッフについて、相手の立場で考えることだという。それは道徳心や優しさによるものではない。相手の事情や立場を理解することは、演劇という共同作業をするために必要不可欠なのだ。
僕自身、演出家にならなければ、こんなに「事情」について考えることはなかったと思います。いろんな現場で、つまづき、悩み、葛藤したからこそ、相手の事情、つまりエンパシーを考えたのです。
この本は、そんな「人間ってなんだ」をあれこれと考え続けたものです。
必要なのは「優しさ」じゃない
読み始めると、これが実に面白い。本のレビューに、ストレートに「面白い」と書くのもどうかと思う。しかし本書には、鴻上さんが数々の現場で格闘しながら考えてきたことが、「人間ってなんだ」という問いをひも解くための多様なテーマとして盛り込まれている。読みやすく、優しい文章とも相まって、ついページを繰って、読み進めたくなる。
連載当時に読んだエッセーも収録されていたが、「異文化で人間について考える」「立ち止まって考える」「体を意識する」といった切り口で再構成されたものを改めて読むと、かつて何度も聞いた好きな曲に、フェスで再会したような気分になる。
目次をつらつら眺めている時から気になってしまう「『ただしイケメンに限る』という嘘」、「恥をかける大人は偉い」といったタイトルもある。こんな風にピンときたタイトルのエッセーから読み始めるのも、もちろん楽しい。
さて、先ほどの「エンパシー」とは、相手の事情を「ひょっとしたら~という理由があるのだろうか」と考えるスキルを指す。相手を好きか嫌いか、共感できるかどうかに関係なく「その人の立場に立つ」能力だ。
共感できない嫌なヤツ、と言えば「シンデレラ」の継母である。ある時、鴻上さんは中学1年生の生徒たちに「シンデレラの継母は、どうしてあんなにひどいことをシンデレラにしたんだろう?」という質問を投げかけた。すると、
ある女子生徒が「一人、除け者を作ると集団はまとまるので、継母はシンデレラをいじめることで、二人の娘との家族のまとまりを作りたかったんじゃないでしょうか」と答えました。思わず、唸(うな)りました。
私も唸った。中学1年生にしてこの切れ味もすごいが、これを引き出す鴻上さんもすごくないですか?
私が中学生なら、「ひねくれた考え方はやめなさい」とたしなめられるだろうから、先生や親、年の離れた大人に対してこんなことは口に出さない。相手が「対等に話を聞いてくれる人」でなければ言えないことがあるのだ。このエピソードだけでも、鴻上さんの人付き合いのスキル、つまり演出家としての観察眼とコミュニケーション能力の高さが見て取れる気がする。
本書のエッセーはやわらかな口調でつづられているが、人の心の機微への敏感さや、観察眼の鋭さに驚かされることが多々ある。
「エンパシー」に好意や共感といった「優しさ」のようなものは必要ないというが、鴻上さんはそもそも人間が好きで、それゆえの好奇心が相手への想像力につながるのだろうと感じた。
エンパシーは知性で、力だ
本書は「人間ってなんだ」が大きなテーマとなっているが、それにとどまらず、30年以上もエンターテインメントの第一線に居続ける人のあれこれがギュッと凝縮されている。演劇やテレビの裏話も面白いが、鴻上さんの他の著書や劇作、今まで紹介されてきたおすすめの映画や本に通じる部分を見つけ、なんとなくうれしくなることもあった。
連載当時、私は病院の待合室や、ランチに入ったどこかの食堂で掲載誌を見つけたときに「ドン・キホーテのピアス」を読んでいた。毎週続けて読んでいたわけではないのに、読むペースがどんなにランダムでも「つまらない、ハズレの回」には当たらなかった。「週に1本、必ず、こんなに面白いものを書いているなんてすごいな」と思ったものだ。
そして現在、「鴻上尚史のほがらか人生相談」が頻繁にバズる。SNSをフォローしていなくても、誰かがシェアした鴻上さんの人生相談が私のタイムラインに届く。コンテンツがあふれる昨今、「追いかけていない人にも届く」ものは本当に力強い。
人生相談は「でね、〇〇さん」といった優しい語り口調だが、冷静に考えるとわりと辛辣(しんらつ)な回答もある。しかし突き放されたように感じたり、「それができれば苦労はないよ」と思わないのは、本書で語られた「エンパシー」がベースにあるからなのだろう。
だから、鴻上さんの人生相談にぐっと来たことがある人にも、この『人間ってなんだ』を強くおすすめしたいと思う。若い人にも手に取ってほしい。相手への想像力は知性であり、それは今を生きるための力になると、鴻上さんが教えてくれる。
レビュアー
ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
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