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2022.05.18

レビュー

他人の気持ちが分からない、人づきあいが苦手……生きづらさを軽くする手立てを公開!

本書は「生きベタ」を自認する“お坊さん”釈徹宗氏と“漫画家”細川貂々氏の2人が、生きていれば恐らく誰もが抱える「生きづらさ」を軽くするための手立てについて語り合う対話集だ。
「生きジョーズ」から「生きベタ」へ向けてアドバイスするのではなく、「生きベタ」同士、皆さん一緒に考えてみましょう、というのが本書のスタンス。冒頭から2人がまず口を揃(そろ)えて「生きベタ」なんですと始まり、早速2人の「生きベタ」話が披露されている。

「生きベタ」話を触りだけ紹介するとこんな感じだ。
細川氏の場合は、とにかく学校の集団生活が苦手だった。理由もなく「なんとなくわかるでしょ」と迫るルールを察知できずにつまずいてばかり。自分ではみんなと同じように普通にしているつもりなのに「どうしてフツーにしないの?」と言われ続けて苦痛だった。さらには母親に「自分を下げて、自己肯定感を低くして、自分はダメだと思いながら生きなさい」と育てられた結果、「生きづらさ」に「自分嫌い」も加わって余計にしんどかった。
一方、釈先生の場合は、360年以上も続くお寺に生まれたので、周りの人たちにいつも“お寺の子”として振る舞うことを求められて息苦しい小学校生活を送った。ところが地元から離れた私立の中学・高校に通い始めてその呪縛から解放された途端に調子に乗りすぎて、こんどは人の気持ちや心の痛みがまるでわからない「いじめっ子」に変貌していたらしい。ついに同級生に「いじめ」行為を糾弾されて絶句。今でも中高時代に周りの人を傷つけてしまったことがフラッシュバックして度々落ち込む。
などなど。

本書序盤から両氏は、自身が「生きづらさ」を感じる原因つまり「自分の弱点」はこれだと、じつにあっけらかんと披露していくわけだが、恐らく本書の肝はここにある。というのも、「自分の弱点を知ること」そしてその「弱さを自己開示すること」こそが「生きづらさを軽くする具体的な手立て」なのだ、ということを本書の中で両氏は繰り返し説いているからだ。

貂々 まわりのお母さんたちはみんな、生きづらくないと言います。「私、生きづらいなんて感じたことがないの」と。でも見ていると、すごく生きづらそうなんです。きっと、そういう人たちは自分の弱さを隠して、人に見せないように、自分でも気付かないようにしているのだと思うのです。
でも、自分がどこが弱くて苦手なのかを認識して、人に伝えられるようになると、関係もスムーズになるし、なにより自分自身が楽になります。

「自分の弱点を知る」ための具体的なアプローチについては、釈氏が大学生の頃に気付いたという「他人観察イコール自己分析」という方法がとても参考になりそうだ。その頃いろんな困難が重なって人間関係に悩んだ時に「まわりの人をよく観察してみよう」と試みたら、結果としてそれが「自己分析」につながったという。

釈 他者観察は、イコール自己分析になることに気付きました。「あの人は、やっぱりああいうふうに言うんだな、俺と同じタイプや」とか、「うわっ、あの場面であんなふうに振る舞うのか。俺にはとてもできないな」などと思いながら見てましたね。そんな感じで観察してみると比較の対象は常に自分ですから、それだけでも自己分析になることが分かりました。

では「自己分析」の次のステップ、「自己開示」はどんなふうにすればよいのか――。
2人が本書で紹介するのが、「当事者研究」の考え方だ。「当事者研究」とは、もともと統合失調症に悩む人とソーシャルワーカーが、自分たちの日々の困りごとを一緒に考えようと始めた試みだという。
細川氏は現在、「生きるのヘタ会?」という当事者研究会を主宰する。48歳の時に精神科医の先生に「非定形発達」という発達障がいに近い特性がある(非定型発達ASDタイプ)と診断されて、「まわりの人と私の違いがわかり、自分はどんなことが苦手なのか理解できる」ようになったことがきっかけとなり、さらに「自分を客観的に見る場所を作りたい」と始めたとのことだ。
会の開催場所は、自宅近くの図書館の一室。参加者は年長者から若者まで20人ほど。細川氏が進行役となって、参加者は自身の悩みについて話し、他の人たちはその話を聞いて感じたことを話し合うということらしい。
本書中盤にある、「当事者研究」についての漫画説明がとにかく秀逸だ。

自分の抱えてる 悩みを コトバにすることで 取り出して まん中に おく
他の人たちは その 悩みを 一緒に ながめ ながら
その悩みに ついて 対話をする
「これはどんなときに感じるの?」
「私も同じこと考えます」
「私だったらこうするかも」
「この悩みをどうしたいと思う?」

……と、ここまで読んで私はふと思った。
その感じ、なんだかこの本の読書体験に似てないかい?
自分の“生きづらさ”を開示して、そこにいる参加者たち(本書の対談相手と読者)と一緒に眺める。そして、もう1人の参加者(同じく対談相手)が開示した“生きづらさ”を他の参加者と一緒に眺める――。
なるほどそうか、この本がそもそも紙上の「当事者研究」になってるじゃないか、と。

さらに付け加えるなら、こうも言える。ここで公開された両氏の「生きベタ」話は、読者自身の「自己分析」につながる格好の材料である、と。
実際、2人の「生きベタ」話を聞いていると、なんだか自分にも似た経験があるなあとか、自分の場合はちょっと違って別のしんどさもあったなあとか、そんなことまで思い起こされる。そうやってこちらの「生きベタ」を想起させ「自己分析」へと導いてくれるのだ。
他者の「生きベタ」拝聴が、イコール自分の「生きベタ」分析を押し進め、結果「生きづらさ」を軽くしてくれる――これが本書の効用である。

生きベタさん

著 : 釈 徹宗
著 : 細川 貂々

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レビュアー

河三平

出版社勤務ののち、現在フリー編集者。学生時代に古書店でアルバイトして以来、本屋めぐりがやめられない。夢は本屋のおやじさん。

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