コロナ禍にあって早い時期から台湾は、マスクを市民に公平に行き渡らせるための施策が奏功するなど、感染拡大防止の成功例として世界中から高く評価された。なかでも、薬局・コンビニ店頭のリアル在庫が一目でわかる「マスク・マップ」アプリ導入の立役者として、とりわけ注目を集めたのが台湾の「デジタル担当大臣」オードリー・タン氏そのひとだ。
本書はタン氏自らが思い描く「自由」な社会像について語った1冊である。
IQ180の天才プログラマー、シリコンバレー起業家、Appleの人工知能「Siri」の開発顧問……。2016年に35歳の若さで「デジタル担当大臣」となるまでの経歴はまさにITの申し子である。はたして、この人が語るその筋の用語やテクニカルな話題についていけるだろうかと本書を前に身構えてしまったが、いざページを開いてみたら無駄な心配だった。日本の読者へ向けて、デジタル化や働き方改革、外国語教育などの日本の事情を踏まえたうえで、手際よく話を整理しながら語ってくれていたからだ。どの言葉も読むそばからすうっと胸に落ちてくる。誰も置いてけぼりにしない、その語り口に引き込まれた。
そもそも自由とは何だろうか。曰く、自由には2種類ある。「ネガティブ・フリーダム」(消極的な自由)と「ポジティブ・フリーダム」(積極的な自由)。前者は、「既存のルールや常識、これまでとらわれていたことから個人として解放されること」、後者は「自分だけでなく他の人も解放し、自由にしてあげること」だ。前者は「自由への最初の一歩」にすぎない。ほんとうの自由を実現するために、後者の「ポジティブ・フリーダム」へと歩を進めよう、とタン氏は呼びかける。
「自分が自由になる」社会から「みんなが自由になる」社会へと変えていく鍵となるものは何か。何よりもまず、一人ひとりに「安全な居場所」を担保することだとタン氏はいう。その理由はとてもシンプルで説得力のある言葉だった。
変革を起こすためには、居場所が必要です。
自分がいる環境に守られていること。安全だと感じる場所をもつこと。これが何よりも大切なことです。
もしも自分に居場所がなかったら?
もしも自分の安全が担保されていなかったら?
人は他者を受け入れようとしなくなる。これはごく単純な人間の性(さが)です。
つまり、もし「自分の居場所で安全が担保されたなら、他者を受け入れ、思いやることができ」るというわけである。
台湾政府による新型コロナウイルス対策も、こうした「安全な居場所」という舞台づくりを念頭に設計された施策のひとつだ。まずは「週に一度、誰でも一人二枚が手に入る」状態を確保する。そのための生産体制の確保、そして公平な供給の仕組みづくり(国民健康保険証を活用した実名販売からはじめて、コンビニ端末での予約受付、「マスク・マップ」公開など、次々に利便性を組み込んでいったという)。こうした「安全な居場所」づくりによって人々が「台湾には十分なマスクがある」と思えたから、その後、世界中の人道支援団体に向けてマスク寄付の動きが広がっていったという。
「みんなが自由になる」社会を私たちの手に――。タン氏が本書の中で見渡すフィールドはとにかく広い。格差、教育、国家、ジェンダー、家族、言葉の壁、仕事、お金……。社会のいたるところに手つかずのまま放置された「不平等」や「差別」、誰かが決めた「正しさ」や「境界」の息苦しさ。社会生活において私たちが直面するあらゆる生きづらさの根っこへと目を向け、それらから解放されるためのヒントを示していく。
そのうえで、タン氏はそっと読者に向けてのアジテーションをおくのだ。一人ひとりがそうした不正義に気づいたなら、問題解決に向けて次にすべきは「広げる行動」。「単独で行動するのではなくハッシュタグという『声』を出し、広げ、巻き込んでいくことです」。タン氏はそういう。
本書「自由への手紙」を、私は“政治”への招待状として受け取った。まさにハッシュタグみたいな“政治のすすめ”のフレーズが随所に埋め込まれていたからだ。
#未来に役立てていくべきなのは権威のAIではなく、支援のAI
#そもそも私たちは誰もがマイノリティ
#自分の自由のために、誰かの自由を損なわない
#怒りはすこぶる有効な蛍光ペン
#つながりから生まれた喜びは、怒りよりも実効再生産数が高い
#置いてけぼりを食う人がいないかどうか?
#人生を通して学びなさい。学び続けなさい
#特にもう若くない世代は、これまで自分が学んできたことに最大限に寄り添えるものは何かを見極める
#愛するのはホモサピエンス #両方を経験すれば最大限に「インクルージョン(包括)」
#速やかに、オープンに、公平に楽しくやる
#私は保守的アナキスト
#「たった一人のリーダー」よりも大勢の、一人ひとりの力
エトセトラ。
勝手に#をくっつけて抜き出してみて、今更ながら〝政治〟は決して職業政治家だけのものではなく市民一人ひとりのものだと思えた。そして、自分も新しいハッシュタグを見つけてみたくなった。
レビュアー
出版社勤務ののち、現在フリー編集者。学生時代に古書店でアルバイトして以来、本屋めぐりがやめられない。夢は本屋のおやじさん。