おれたちは「やばい世界」に住んでいる
本書は、2020年4月に全2回で放映されたテレビシリーズ「NHKスペシャル デジタルVSリアル」を取材・制作したスタッフが、番組では伝えきれなかった内容を1冊にまとめた書物です。
タイトルは「やばいデジタル」。言うまでもなく、人々が日常を切り取り簡単に世界に発信できるツール(スマートフォンなど)を持ったことによって現出する多くの問題を「やばい」と表現し、これを紹介することを主眼としてつけられたタイトルです。
しかし、本当に「やばい」のはそのことではありません。本書は、こんな述懐ではじまっています。
デジタル世界は、日進月歩で進展していく。そのため、噴出する問題に対する社会の対応が、後手に回っているのが実情だ。だからこそ、私たちは一度立ち止まって、このデジタル世界との向き合い方を考えなければならないのではないだろうか。
やばいのは、デジタルそのものではない。それを知らずにこの世界で生きることなのだ。おれたちは、とんでもなく「やばい」世界に生きている。子供たちを、そんな世界に巻き込もうとしている。
そのことを知ってほしい。感じてほしい。そんなスタッフの報道マンとしての使命感と焦燥感、さらには衝動が、本書のすみずみに表現されています。
本書は、世界のあちこちで起こった事件をとりあげ、関係者や専門家に取材し、多くのスタッフによって制作されています。その取材力はほんとうに素晴らしい。大げさではなく、この本は「今、わたしたちがいる場所」を知るために、最良のテキストとなるものです。
フェイクがもたらすもの
「わたしたちが今、住んでいる世界」をさわりだけでも知ってもらうために、本書でも大きく取り上げられている「フェイク」の問題を簡単に述べてみましょう。
フェイクニュースの存在は、多くの人が知っていることでしょう。たとえば本書は、コロナ騒動に付随して、こんな情報が飛び交ったことを知らせています。
「誰かが水道水にコロナウイルスを入れている」
「感染者を殺している国がある」
これはデマであることがわかっていますが、インフォデミック(情報爆発)が起きている状況では、これがどう作用するかはわかりません。コロナ感染拡大とほぼ同時に起こったトイレットペーパー買い占め騒動は、「誰もがデマであることを知りながらトイレットペーパーを買いに走った」ために起こっています(この事情については、『認知バイアス 心に潜むふしぎな働き』がくわしい)。情報爆発がどのような結果をもたらすのか、予測することはまず、不可能です。
誤った情報の伝播が、殺人事件を引き起こした例もあります。メキシコでは、誘拐犯と目された無実の人が、誤情報に扇動された群衆によって殺害されるという事件が起きました。
本書はこの事件の推移を追いかけていますが、そのいちいちに「ああこれは日本でも起きえる事件だな」と感じずにはいられませんでした。ここにはメキシコならではの特殊事情はほとんどありません。「SNSなどによってインフォデミックが起きている」「司法ではなく私刑によって人を裁こうとする者がある」という状況が起こした事件です。日本もまったく同じ条件を備えています。
かつては映像の加工が難しかったため、映像のフェイクはほとんど見られませんでした。しかし、現在はそれも大きく変わりつつあります。自分はそんなことしていないのにポルノ動画が作成されてしまう「フェイクポルノ」は、被害にあった人が公表しないことが多い(公表が拡散につながる)ため、ほとんど表沙汰になりませんが、すでに多くが制作されていることがわかっています。
これは政治的にもたいへん有用な技術です。たとえば、当選確実の人気候補の評判を落とすことなど造作もありません。候補が社会的弱者を口ぎたなくののしり、DVを働き、不倫をしているさまが広まれば、多くの人が候補への投票を控えるでしょう。落選すれば候補は人生を大きく狂わされますが、影響はそればかりにとどまりません。選出する議員が変われば、多かれ少なかれわたしたちの生活も転換を余儀なくされるからです。
本書では、2019年の香港の総統選挙が「フェイク選挙」と呼ばれるほどの選挙だったことに着目しています。香港は中国でありながら民主主義を標榜する特殊な地域です。ここでの総統選挙の結果は、香港の行く末だけではなく、世界のパワーバランスにも大きな影響を及ぼすため、世界中から注目されていました。本書のレポートによればここで使われたのはテキストによる情報拡散と静止画像の改竄のようですが、エビデンスが動画でもたらされるとなれば、より説得力が増すでしょう。
卑近なことでも影響は絶大です。
オレオレ詐欺が巧妙化していることはしばしば報道されていますが、ここにフェイク技術が使われるのはそう遠い日のことではないと思われます。オレオレ詐欺には「親に助けを求める息子役」があるのが通例ですが、アカの他人が演じると不自然さが際立つため、看破されることも多かったはずです。
しかし、フェイク技術を使えば、精度はかなり上がります。息子の音声データを入手して、それを改竄すればいいのです。電話から聞こえるのはホンモノの息子の声ですから、不自然さはほとんど感じられなくなります。
ここではインターネット上の音声データを使うことが述べられていますが(YouTubeに代表される動画共有サイトがこれだけ盛り上がっていればその入手は容易です)、かりにネットに音声データがなくとも、その入手はそれほど困難なことではないでしょう。携帯電話の通話音声を傍受すればいいのです。
本書の記述によれば目下のところ、その被害は報告されてはいませんが、そうなるのは時間の問題だと思いました。詐欺グループがそれを直接にやる必要はありません。ある程度お金を支払えば、喜んでやる人があります。その人が日本国内に在住している必要もありません。日本国籍がなければ日本の法律は摘要されませんから、処罰を受けるリスクも軽減されます。
知らないのは、「やばい」
私事になりますが、ある若い人が自分にこううそぶいたことがあります。
「コンピュータウイルスに感染したことなんてないよ」
おいおい本気で言ってんのかよ。これが常識なのか。だとしたら相当やばいぜ。大げさではなく戦慄を感じました。
よく官公庁や企業などのサイトが攻撃を受けたと報じられますが、あれは基本的に、一般の人のパソコンやスマホを感染させ、何百台、何千台も集めて行われます。要するに、あなたの手の中にあるそれが犯罪に使われているかもしれないのです。
ウイルス検知アプリが報告してないから大丈夫だって? そんなの検知されないようにするのが当たり前です。バレないようにやるのが犯罪の基本ですし、ウイルスの特性上、検知されないものをつくりだすのはそう難しいことではありません。
ネットに接続するということは、町を裸で歩きまわることと変わりません。まったく無防備な状態で、犯罪だの病気だの、悪いものがたくさんはびこっているところに入っていく。それがネットを使うということです。ウイルス検知アプリなんてお守りみたいなもので、ほとんど効果はありません。(そのへんの事情については、『SNSって面白いの? 何が便利で、何が怖いのか』にくわしく書かれています)
防御策はひとつしかありません。使わないことです。情報処理には昔のように紙とエンピツを用いる。連絡は対面を基本とし、どうしても遠隔で連絡をとりたいなら、手紙や有線電話など、可能なかぎりローテクなものを使う。本書でも、香港デモで首謀者が次々と逮捕されてしまうため、「デジタル絶ち」をしたことが語られています。
とはいえ、これは現実的な方法ではありません。わたしたちはデジタル機器の利便性になれきってしまっており、それなくしてはすごせないようになっています。
便利なデジタル世界へと通じるスマホは、私たちにとって単なる「ツール」にとどまらない存在になりつつあるのではないか。私たちは、すでに「身体の一部」であるかのように、スマホに世界の認知を委ねている。(中略)NHKスペシャルのタイトルでもある「デジタルVSリアル」は、遠い世界の出来事ではなく、私たちの内面で起こっている変化でもある。
残念なことに(当然なことに)、本書は「だからどうすべきだ」とは語っていません。そんなこと誰にもわかりやしないのです。だが、だからこそ知っておかねばならない。これがわたしたちの住む世界であり、子供たちがいやおうなく飲み込まれていく世界のすがたなのだ。
本書はこの認識をもたらすために制作されたものです。知らないのは「やばい」。くりかえしになりますが、本書はそれを払拭する最良のテキストになるものです。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。https://hon-yak.net/