持った瞬間、ずしっとくる手ごたえに驚いた。新書としては厚めの317ページ。量ってみると250gちょっとある。内容ともあわさって、その重厚感に思わずひるんだ。「テーマに興味はあるけれど、はたして読み通せるのだろうか……」そんな心配を抱きつつ開いた本書だったが、読み終えた後には意外な感覚を残してくれた。それは自分のつたない知識が補完されていく快感と、過去から現在にいたる政治的な流れを世界的な枠組みで眺められる爽快感だった。
序章の冒頭には
私たちが慣れ親しんできた政治はもはや崩壊し、それに代わって新たな力学が動き始めている。
とある。のっけからの断言に、思わず目を見開いた。なぜなら近年、「これまで見聞きしてきた知識だけでは、現在の政治や国際情勢を受け止めきれない」と感じることが増えていたから。ニュースを見るたび、「いったい何が起きているんだろう?」と戸惑う一方、では何をどこから知れば現状を理解できるのか、見当がつかないことも多かった。そんな日々に突然差しこんだ光のような一言。くぎ付けになってしまった。
では、実際に生まれつつある力学とはどんなものなのか。著者は英『エコノミスト』誌の言葉を借りて、それを「怒りの政治」として説明し、そこから本書の狙いをこう語る。
近代という時代は、人びとが啓蒙され、自由となり、理知的かつ合理的になり、民族やナショナリズム、宗教や人種といった共同体から解放されることを約束するはずのものだった。社会の多様性と個人化をもたらすグローバルな政治と社会は、それが果たされる限りで歓迎されるはずだったのだ。それが二一世紀に入り、むしろ怒りや敵意が政治の世界で繰り広げられるようになったのはなぜなのか。その結果、どのような新しい政治的な見取図が作られようとしているのか──そのメカニズムと原理、源流を明らかにするのがこの本の目的だ。
タイトルの通り本書では、序章と終章を含む全七章にわたり「政治」の変遷と現状が分析されている。第一章では主に、第二次世界大戦後に構築された民主主義とリベラリズムが各国でどのように変化してきたのかを、つづく第二章では、「保守と左派」という対立軸からなる階級政治の変動を、政党政治と社会構造の変化から読み解いていく。フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本といった国々の歴史と現状もおさらいできる、絶好の流れ。
第三章以降では、歴史認識問題やテロ、へイトクライム、移民、宗教と個人の関係といった、いずれも今世紀を象徴するような争点を取り上げていく。中でも歴史認識問題について書かれた部分で、印象に残ったのはこの一節。
政治は未来への期待ではなく、過去の想像によって駆動するようになった。未来にあり得るユートピア像を競うのではなく、過去がどうであったのか、さらにはそれがどうあるべきだったのかという、歴史家エンツォ・トラヴェルソの言葉を借りれば、「過去同士が争う」ようになっていく。
現状、このままでは出口がない泥仕合に、世界中が踏み込んでいる。解決法はどこにあるのか。著者は、個人の記憶がどうやって集合的な記憶となり、共同体の「歴史」となったのかを解明する必要性に触れる。そして各国が互いの記憶に寄り添い、「罪を忘却する」という手段によって新たな「和解の作法」を編み出す必要性をも説く。「自らの記憶で、他人の記憶を塗りつぶさない構造」を作り出すために。
読み進めると、行間に漂う熱量がどんどんと増していくのを感じる。歴史的な観点にくわえて、経済、医学、地理、文学といった他分野での視点を取り込み、論が展開されていく。その上でさらに多角的に、異なるテーマをぐいぐい手繰り寄せていく著者の姿勢に、ひたすら圧倒されてしまった。それはまるで密度が濃く、終わりが見えない集中講義のよう。でもおかげでいつの間にか、ひとり手探りで探求する心細さはすっかり消え去り、「知る」喜びだけが満ちていた。
私たちが実体験として見てきたのは、人類史上でも稀有な時代だったのかもしれない。かつて歴史の授業で教科書を眺めながら、「この時代の人は大変だったんだなあ」などとぼやいていた自分が、まさかその、ぼやかれる側に回ることがあろうとは。でも当然ながら、私たちは歴史の中に生きている。逃れようのないその事実をあらためて受け止め、これから何をしていけるのか、今をどう考え、捉えるべきなのか。大きなヒントをもらった読書になった。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。