巨星堕つ
近年、時代を彩った綺羅星(きらぼし)のごとき人物が洋の東西を問わずジャンルを問わず、相次いで亡くなっています。誰もが「巨星堕(お)つ」と言いたくなるような瞬間を経験していることでしょう。自分にとっては、柳家小三治が亡くなったときがいちばんのショックでした。
小三治は81歳で亡くなりました。天寿をまっとうしたと言っていい年齢だし、じつはそうなることを予期してもいたのです。「落語が好きだ」と語る人に出会ったとき、自分は何をおいても小三治を見に行けと力説していました。小三治を見られるのは今だけだ。明日はどうなるかわからない。今、名人と呼べるのは小三治だけだ。落語が好きなら行け。女房を質に入れてでも行け。
常々そう主張していたにもかかわらず、訃報を聞いたときには悲しまずにいられませんでした。もう彼の高座(ステージ)に接することはできない。その喪失感はきわめて大きく、安易に表現することができない質のものでした。
本書の著者、広瀬和生さんも自分と同じか、それ以上の思いを感じていたようです。
僕にとって小三治は、古今亭志ん朝や立川談志と並ぶ「リアルタイムで追いかけた名人」だ。志ん朝、談志亡き後「孤高の存在」となった小三治も去ったことで、個人的に「一つの時代が終わった」という思いがある。もちろん「これで落語の灯(ひ)が消えた」などとは決して言わない。小三治が先人たちから受け継いだ伝統は、これからも脈々と受け継がれるだろう。ただ、大きな喪失感を覚えているのは紛れもない事実だ。
本書は、2014年に上梓された『なぜ「小三治」の落語は面白いのか?』の増補改訂版です。この本はしばらく自分の座右の書になっていました。
小三治は滅多にメディアに登場することのない人です。本書の長いインタビューはとても貴重でしたし、愛にあふれた演目紹介も、たいへん優れたものだと感じていました。著者は毎日落語を聞きに行くことを日課とする生え抜きの落語ファンですが、そういう人にとっても、小三治は特別だということが伝わってきました。
本書は、原著が発刊されたときにはリリースされていなかった音源のレビューを補うとともに、江戸~明治時代から続く落語文化の流れの中に小三治を位置づけた評論をくわえたものになっています。
現在、東京都内には4軒の寄席(よせ、演芸場)がありますが、かつては200軒以上存在していたといいます。そういう長い歴史の中に小三治を置いた論考は、演芸史としてはむろんのこと、日本史の一側面を記述したものとしてもたいへん読み応えのあるものになっています。本書の白眉のひとつと呼んでよいでしょう。
偏屈じじいの輝く笑顔
小三治が興味深いのは、生涯にわたって「自分は芸人には向いていない」と語っていたことです。落語協会の会長をつとめ、人間国宝にも認定され、噺家(はなしか)としては最高の栄誉を手にしたにもかかわらず、彼は決して自分に及第点を与えようとはしませんでした。
「昭和の名人」と呼ばれた古今亭志ん生は、話すことができなくなっても高座にあがることを求められたといいます。
「あなたは何もしなくてもいいんだ。ただ座っているだけでいい。それだけで俺たちはおもしろいんだから」
お客はそう語ったといいます。なにもしなくてもおもしろい。芸人としては理想の姿と言えるでしょう。
小三治は、自分はそういう人間ではないと語っていました。仏頂面だし、愛想もよくない。いっしょにいて楽しい人じゃない。性格的にも、芸人向きではない……と。
またあるところで、笑福亭鶴瓶が言っていました。
「小三治師匠は『俺に近寄るな!』というオーラを発している。不用意に近づくことなんてとてもできない」
愛敬のカタマリみたいな鶴甁でさえそう感じるのです。ときおりテレビのドキュメンタリーなどで、楽屋の小三治を見ることがありましたが、前座さん(師匠の身の回りの世話をする若手)が気の毒になってしまうことも少なくありませんでした。「仕事とはいえ、こんな偏屈なじじいの相手するの、俺は嫌だなあ」
しかし、だからなのでしょう。小三治の高座には、そんな人しか醸(かも)し出すことのできないやさしい空気がありました。輝くような微笑があり、かわいらしさがありました。もうあの笑顔に接することはできない。そう思うと、悲しくてしかたがありません。
最後に描かれた最高のドラマ
その思いは、本書の著者である広瀬和生さんも強く感じておられたことでしょう。追悼なんて言葉じゃすくいとることのできない、哀惜、あるいは慟哭(どうこく)と言っていいような表現が、本書の随所に見られます。
一呼吸おいて小三治が、僕の目を見て「広瀬さん」と語りかけてきた。
「あなたは私のことをいろいろと本に書いてくださって……以前はね、そういうものを書かれてしまうのが照れ臭かったり、しゃらくせえと思ったものだけど、この頃ね、あなたがお書きになったものを読んで、自分が噺をもういっぺん考え直したり、覚えたりするときに、とっても参考にさせてもらっています。どうもありがとう」
(中略)
「あなたは私のことを自分で思ってる以上にとっても褒めてくださるので、『こんなに褒めることねえだろう』って思ったりするけど(笑)、でも、いいんじゃない? そう思ったらそう書いてくれるのが“ものを書く”っていう道なんじゃないかな。そういう姿を見て、俺もこうやりたいなって……教わることばっかりです、この歳になって」
知らない人のためにつけくわえておくと、小三治は決して愛想やお追従を言わない人でした。マスコミの人間はマスコミの人間であって、ひとりの人格として認めることなんか絶対にありません。
その小三治が、自分の名を呼んでくれる。自分の本を役立ててくれている。自分のえらんだ道を、自分を認めてくれている!
このくだりを読んだとき、不覚にも涙せざるを得ませんでした。よかったねえ広瀬さん。本当によかったねえ。心の底からそう思いました。
本書は、最高のバイヤーズ・ガイドであると同時に、ひとりの人間ががむしゃらに仕事をして、それがむくわれるまでの、リアルな物語を宿した希有の書物であります。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/