本田靖春という作家がいた――。若き日は読売社会部で無頼のエース記者としてその名を馳せ、フリーとなってからは『誘拐』(1977年刊)、『不当逮捕』(1983年刊)、『疵 花形敬とその時代』(同年刊)、『警察回り』(1986年刊)といった数々の傑作を世に送り出した。ノンフィクション界第一世代きってのスター作家である。
本書はノンフィクション作家・本田靖春の生涯を、“彼が書き遺した作品群”と“それら作品の最初の読者である担当者編集者など関係者たちの証言”を軸に描き出した人物評伝である。
驚くべきは取材の徹底ぶり。本書に取り上げられる本田作品は、章題に掲げられたものだけでも20作。それらの担当編集者の全員から直に話を聞いている。本田自身の作家遍歴だけでなく、歴代の担当編集者たちが襷をつなぎながら本田の仕事に伴走していく過程までが浮かび上がってくる。
作家の評伝は数多あるが、ここまで徹底した“フルラインナップ”“フルキャスト”で描かれたものは本書の他にないだろう。著者も含め本田ノンフィクションの遺志を受け継ぐ者たちの思いが結集した1冊である。
著者は本田の作品を時系列にたどっていく。ひとりの作家が残した作品を時系列に取り上げながら全体像にせまる、というとベタな構成に思われるかもしれないが、本田靖春の評伝にはやはりこれが一番しっくりくる。「作品群の多くは本田の読売時代に、さらにさかのぼって少年期や青春期にもかかわっている。作品をたどることは、自然と本田の〈思想〉を解くことであり、その人生模様に触れること」だからだ。
本田靖春は、1933(昭和8)年、日本の植民地下にあった朝鮮の首都・京城(日本支配期のソウルの呼称)で生まれ、育った。中学1年のときに敗戦を迎えて帰国した“植民者・引き揚げ者”であり、敗戦直後の混乱の中で思春期を送った“昭和ヒトケタ世代”である。
こうした本田自身のルーツが、どの作品においても伏流テーマとして必ず書き込まれている。作家人生の折々で本田が選び取った題材・テーマと、そこへ至るまでの本田自身のルーツとの相関を、本書は丁寧に取り出して整理してくれている。
韓国紀行ルポを中心に在日朝鮮・韓国人らにも取材した『私のなかの朝鮮人』(1974年刊)や金嬉老事件を扱った『私戦』(1978年刊)では、「植民地支配」する側にいた自らの少年期をかえりみながら〈朝鮮・韓国と日本〉を。戦後の混乱期に素手(ステゴロ)の喧嘩で名を売った伝説のアウトロー・花形敬の短い生涯を描いた『疵』(1983年)では、“昭和ヒトケタ”世代の思春期を振り返りながら〈戦後と日本〉を。検察内部の派閥闘争に巻き込まれ失墜した先輩記者を描いた『不当逮捕』(1983年)では、“社会部記者”を謳歌した若かりし頃を回想しながら〈戦後ジャーナリズムと日本〉を……という具合に、本田は自身のルーツをもって作品テーマに対峙した。
そのテーマをどう書くかよりも、なぜ自分がそれを書くのかという思いがまずあったのではないでしょうか。個人ではとても負いきれない事柄であっても、それを見過ごすことのできない人であって、それを自身が背負っていく。優しさを超えた業に近いものかもしれませんが、それは本田さんのもつ本質的なものであって、書き手としての自己規定だったのではないかとも思います。
『私のなかの朝鮮人』の担当編集者、東眞史の言葉だ。
東の目に映った「優しさを超えた業に近いもの」は、本書の中で本田ノンフィクションの特徴として指摘する「複眼的」視線、にもつながっているように思えた。戦後最大の誘拐事件とされた吉展ちゃん事件を描いた『誘拐』を取り上げた章で、著者は「複眼的」視線について、こんなふうに言う。
書き手の視線は、被害者、加害者、捜査陣、世間のそれぞれに複眼的に注がれている。文中の所々、調書類からの引用がなされているが、可能なかぎり直接取材を重ねた足跡が伝わってくる。全編にわたって文体のゆるみは微塵もない。読後、伝播(でんぱ)してくる量感は、おそらく書き手の〈全体像〉を描くという確固とした意思と、〈人間〉を見詰める柔らかい視線に由来しているのだろう。
本書には本田靖春の“生の文章”が気前よく引用されている。『誘拐』や『不当逮捕』を取り上げる章などは、説明抜きに作品の書き出し部分から始まるほどだ。著者の言う「読後、伝播してくる量感」、を直に体感できる心憎い仕掛けは他の章でも随所に施されている。
その意味では、本田ノンフィクションの格好のブックガイドとも言える。本田の作品群の幹となる代表作から対談集や時評集などいわば枝葉の部分まで。何しろ“フルラインナップ”をカバーするのだから解説目録としてこれ以上のものはない。
この1冊を読み終えてさっそく現在入手可能な本田作品を調べてみたら、なんと2013年に電子書籍版『本田靖春全作品集』(28作品)が刊行されていることを知った。どの作品にもアクセスできる環境が整っている。とすれば、本書の存在はますます意義深い。本書を入り口に「本田ノンフィクションの森」へ分け入ってみたいと思う。
レビュアー
出版社勤務ののち、現在フリー編集者。学生時代に古書店でアルバイトして以来、本屋めぐりがやめられない。夢は本屋のおやじさん。