80年代に物心がついた身にとって、「冷戦」の2文字は「世界」を表す言葉のひとつだった。当時のニュースや新聞、学校の授業などから、「アメリカとソ連の覇権争い」を差すものとして、当然のようにインプットされている。今となっては縁遠くなりつつある単語だが、そもそも誰が最初に使った言葉なのか。私は本書を読んで初めて知った。
米ソ間の意見対立は、次第に同盟関係を毀損する次元に移行しはじめた。ジョージ・オーウェルが最初に冷戦という語を使ったのは一九四五年のことであったが、ソ連史料などから、冷戦の開始は従来想定されていたよりも早く、一九四五年秋から四六年三月までの間にはじまったというラルフ・レベリングらの意見に同調せざるを得ない。
「ジョージ・オーウェル」とは、もちろん「あの」ジョージ・オーウェルである。小説『動物農場』や『一九八四年』で知られるイギリスの作家で、第2次世界大戦の末期にはジャーナリストとして身を立てていた。まさか、こんなところでその名を目にするとは。
そんな豆知識的な驚きもある本書、しかし実のところは、史料から判明した事実を丹念に積み重ねた本格的な歴史書である。著者はロシア・CIS(独立国家共同体)の政治とソ連政治史の専門家だ。そして本書の主眼は、ソ連の史料をもとに、冷戦下の戦後日本と北東アジアの関係を考えることに置かれている。
背表紙の帯には、「史料が語る真相」とうたわれていた。それは、本書の巻末に収録された参考文献の量からも実感できる。数えてみると16ページ。註にいたっては18ページにもわたっている。圧倒されるには十分な量だった。
第一章から第二章までは、敗戦国となった日本をめぐる戦勝国間での情報戦と交渉が、第三章では日本占領に関与した各国の活動と日本の政局とのめまぐるしい変化が描かれる。また第四章ではソ連と中国の関係が、第五章と第六章では「日本における唯一の国際政党」だった日本共産党の歴史と展開が語られていく。そのすべてにソ連の政治家と官僚の動向が、陰に陽にぴったりと寄り添う。
ちなみに序章では、「本書の構成」が解説されている。各章の「骨格」ともいうべき部分を先につかめたことは、読みとおす上での大きな助けとなった。
印象深かったのは、いずれの章においても多くの人間が登場すること。しかも、人々のフットワークが驚くほど軽い。世界を渡り歩く労力は、21世紀の今より何倍も多くかかったはずだ。それでも直接の交渉や面会が必要となる場面では、電光石火で他国を訪問し状況を打開していく。そのパワフルさに何度も目をみはった。まるで、翻訳物の小説を読んでいるかのような心地がした。
ところで、意外だったくだりをひとつ挙げておきたい。
スターリンは、アジア政策、戦後の対日政策をいつ頃からどのように考えていたのだろうか? ソ連崩壊後に現れた新史料からは、日本軍が真珠湾を攻撃した一九四一年十二月末の時点で、ソ連は勝利を予測、戦後秩序の構想に着手していたことが判明する。首都モスクワ郊外にナチス・ドイツ軍が展開していた頃のことである(シベリア兵団などが反撃に出てはいた)。
これがアメリカではなく、戦中、一時は劣勢を強いられていたソ連の見解だったことに、とても驚いた。おかげで、あの戦争の結果を知る後世の1人として、「そりゃあ日本が負けるはずだ……」と思ってしまった。
正直に言えば、本書に収められた史料の貴重さや、事実の重みをすべて受け止められたとは言い難い。それでも、欧米を中心とした従来の見方ではなく、ソ連や東アジアから見た「冷戦」と日本のあり方を知るにつれ、自分の視野が変わっていくのを感じた。同じ出来事でも、視点が変われば見え方も変化する。自分だけではなかなか起きない変化を、本書の力を借りることで少しずつでも起こしていきたい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。