あっというまの329ページ
さあどの章から読もうかしらと目次を眺めるだけで口元がニマニマしてくる本だ。「のびゆく鉄道」「無謀なスピード競争は終わったが、スピードはわが命」「鉄道快適化物語」「日本にもあった『一帯一路』」「豪華列車からクルーズ列車へ」「リニア新時代と鉄道の公益性」……いい、目移りしてしまう。ずーっと続く線路が新しい世界へ連れて行ってくれるようで、とてもいい。
それもそのはず、この本の名前は『世界鉄道文化史』だ。1830年にイギリスでうまれた鉄道が世界中でどんな文化と社会を育んできたかが語られる。鉄道が放つなんともいえない魅力がよくわかるのだ。
私は、N700S系がスッとホームに滑り込む瞬間に立ち会うと「面白い顔だね!」と愉快な気持ちになる(本書でもN700S系のあの不思議な姿についてはたっぷり言及されていた。大満足だ)。というか全部の列車の顔を、まるで公園で犬と出合ったときのような満面の笑みで見つめてしまう。そしてヨーロッパ内の移動手段は飛行機よりも鉄道が断然好きだ。ロストバゲッジの危険性が低くて、都市から都市へ効率よく移動できる。車窓からの風景も車両内の雰囲気も楽しい。
ただ、なぜ自分が鉄道に対してこんなにワクワクしてしまうのか実はよくわかっていなかった。便利だから? いや、絶対にそれだけじゃない。この本で鉄道の面白さの正体を見た気がする。なぜなら、本書に登場するあらゆる時代の人も鉄道に興奮し、その熱が文学や新聞にクッキリ残っているからだ。
無数の資料と楽しい考察による、ごちそうのような329ページだった。
「走り出したら、もうできるだけ速く走るしかない」
まずは思わず声を出して笑ってしまったところから紹介したい。本書のチャーミングさを感じてもらえるはずだ。「第三章 無謀なスピード競争は終わったが、スピードはわが命」は、イギリスで鉄道が開通するやいなや始まった激しいスピード競争を紹介している。
ここで頭の隅に留めておくとさらに楽しめるポイントは、「速けりゃいいってもんじゃない」という点だ。
イギリスの幹線鉄道は何といっても、ロンドンから北上してエディンバラやグラスゴーに行く東西両海岸線で、両線はいつもスピード、設備、料金などで激しく争ってきたし、二一世紀の今日でもそれは続いている
競う要素はスピードだけにあらず。が、スピード勝負において、この東西の路線は過去に何度も凄まじいデッドヒートを繰り広げている(今でも両線がライバルだという点も面白い)。やがて「こんなスピードを維持して走るのは無理だ」となり、両者は「このくらいの速度でお互い手を打とう」と停戦協定を結ぶのだ。では、どのくらい無茶苦茶な戦いだったかというと……
両者とも頭をカッカさせてシーソー・ゲームを展開し、西海岸線はついに八六九キロを八時間三二分で走り抜いて平均時速一〇二キロ、瞬間最高時速では何と一四四キロを記録した。ただし記録達成のために、どちらも列車を極力軽くしようと、たった三両の客車を牽いて走ったのである。いくら速くても、これでは客は少数しか乗れず、営業運転としての経済性・現実性は全く乏しかったので、競争は息切れして終息した。
3両だけのみじかーい列車が爆走するさまを想像してほしい。無茶にも程がある。こういったスピードへのこだわりは世界各地で見られた。
日本では毎日記録を更新するような爆走はなかったが、何事につけ一番を狙って頑張った山陽鉄道は無理なスピードアップもして、よく事故を起こしていた。
これらスピード競争に関する著者の考察も大変面白い。
鉄道開通後、人々は列車のスピードについてはむしろ危険を感じた事こそあれ、誰も高速化の要求はしなかった。それにもかかわらず、どうしてこんなスピードを求めたのであろうか? 鉄道会社間の競争の結果と簡単に片付ける前に、「走り出したら、もうできるだけ速く走るしかない」とむきになる人間の闘争本能が無条件に作用しているように思えてならない。
そう、ものすごく人間くさい意地を感じる。この人間くささは、本書のあちこちで顔をのぞかせる。たとえば客車の等級だ。ヨーロッパ・アメリカ・日本・ソ連における客車の扱い(どの国の客車にも等級があるのに、呼び方や仕組みが違う!)、一等車と三等車の客層の違い、二等車に乗れるようになった文豪が感じる安堵、ちょっと訳ありの男女が二等車をあえて使う理由……利便性や機能の進化には、必ず人間模様と社会の姿が見て取れる。ああ楽しい。
時刻表✕小説
先程「面白い!」と紹介した鉄道の高速化は旅も様変わりさせた。この転換点に著者の小島英俊先生はどう迫るか。まずは鉄道といえば時刻表だ。王道の資料。1889年から1945年の東京~関西間の所要時間を時刻改正のあった節目ごとに整理した表がこちら。
所要時間が少しずつ短くなり、やがて全線開通時の半分以下の時間で移動できるようになる。そして左の「時代区分」という列に注目してほしい。この区分ごとに旅は変わっているのだ。
私なりに東京~関西間の所要時間からして、東海道の旅の形態を変えたであろう節目を入れて第一期から第三期までに分けてみた。
第一期(一八八九~一九〇五年):所要時間一五時間以上=途中泊の時代
第二期(一九〇六~一九二九年):所要時間一一時間以上=夜行列車の時代
第三期(一九三〇~一九四五年):所要時間八時間以上=昼間列車の時代
ああなるほどな、昔は途中泊があったんだよなあ……と思っていたら、本書はさらに深堀りする。
各々の時代の乗車実感を作家たちの作品で語ってもらおう。まず第一期の途中泊の時代を代弁するものとして大和田建樹(一八五七~一九一〇年)が一九〇〇年頃書いた『汽車旅行』である。
ここから続く作品の引用を読むと、旅のしんどさやお財布事情がよく伝わってくる。本項では夏目漱石の『三四郎』、田山花袋の『布団』、そして井伏鱒二の『集金旅行』が登場し、著者はそれぞれの作中から旅の形態の移り変わりと、当時の鉄道事情をビビッドにすくい上げてゆく。こうした考察の手法は本書のあちこちで登場するので、ぜひ楽しみにしてほしい。文学案内としても、とても楽しい本だ。
リニアモーターカーのマーケットは?
本書の守備範囲は現代の鉄道まで及ぶ。新幹線の設計思想や、日本の新幹線が世界の鉄道に与えた影響、「ななつ星in九州」といった豪華クルーズ列車のルーツや鉄道会社の狙い、そして少し未来の列車「リニアモーターカー」も登場する。「第一二章 リニア新時代と鉄道の公益性」は、将来への期待と課題でいっぱいの章だった。
たとえば、今後リニアモーターカーが日本で実用化されたら、次はどうなるか? 国外への売り込みだ。
超電導リニアモーターカーのマーケットはどこにあるのであろうか。中国の北京~上海間なら高速鉄道に輪をかけてこの運行はできるであろう。何分、沿線に産業、経済、人口などの集積度がないと成り立たないプロジェクトであるので、世界的に見てあとはアメリカの北東回廊(ボストン~ニューヨーク~フィラデルフィア~ボルティモア~ワシントン)くらいしか思い浮かばない。だからアメリカに対する激しい日中間の売り込み競争が展開される可能性は十分である。
ここを読んで、楽しみ半分、残り半分で胸がチクッとするのは、我が地元・四国のことを思い出してしまうからだ。JR各社の営業損益の表が本書でも紹介されているが、JR四国は苦戦している。新幹線だってまだ来ていない(海沿いをゆらゆら走る在来線は味があって好きだけど……)。
でも、こうして「あーああ」と落ち込むばかりでないのが本書の楽しいところだ。高速化一辺倒ではない各国の鉄道事情に触れ、日本の鉄道の課題として「ぜひ中速鉄道が欲しいのである」と著者は訴える。
日本の鉄道の区間スピードの表がこちら。
そう、新幹線と在来線って、速度が倍違うんですよね。
高度経済成長時代は何が何でも「フル規格の新幹線を!」と異口同音に叫んでいたが、もう散々待たされ経済停滞という事態に冷静になると、「新幹線よりは遅くてもよいから、時間を要さずコストのかさばらない高速鉄道を……」という現実的な願望に切り替わっている。正にこのゾーンこそ中速鉄道に該当するのである。
中速鉄道、ほしい! 中速鉄道が現れたら社会も文化も変わるかもしれない。
イギリスから四国まで一瞬でつながってしまうような1冊だった。「線路は続くよどこまでも」をフンフン歌いながらあっというまに読んでしまった。少し前に、鉄道が大好きだという9歳の男の子と知り合ったが、もう少し大人になった彼がこの本を夢中で読む姿が目に浮かぶ。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。