幼いころのこと。海外の児童文学を読むたび、見たことも食べたこともないお菓子の名前を目にした。たとえばそれはショートブレッドにフルーツケーキ、アップルパイ、糖みつとメープルシュガーのキャンディー、ブラマンジェ、ジンジャービール──。色や形、味を想像してはうっとりし、「いつか食べてみたい」と強く願った。大人になった今となっては日常的に食べられるものも多くなっているが、当時の私にとっては、まさに夢の食べ物ばかりだった。
そんなキラキラした気持ちを思い出したのは、本書のおかげだ。表紙をめくると、目にも美しいケーキの写真が飛び込んでくる。思わず声を上げ、じっと見つめてしまった。「シャルロット」という名のこのケーキは、一体、どんな味がするんだろう……!
本書では101のお菓子が、種類や国ごとに次々と紹介される。元々は『岩手日報』紙上で毎週連載されていたためか、各話は短いページ数に凝縮されていた。語り口は大変に読みやすく、文章のリズムも心地よい。写真やイラストも豊富に掲載されており、目にも美味しい。著者は大学を卒業後、フランスやスイスで製菓修行をしたパティシエであり、本格的なフランス菓子の名店として知られる「ブールミッシュ」の創業者だという。
そんな著者が最初に語るのは、名だたるお菓子の中でもなんと「南蛮菓子」だった。かつて先人たちは中華思想に倣(なら)い、西欧世界を「南蛮」と称し、初めて目にする海外の品々を「南蛮物」と呼んだ。その中にあった物珍しいお菓子の一群が、すなわち「南蛮菓子」である。
ふだんはあまり意識しないジャンルであり、知っているものもあれば、まったく聞いたことがないものもある。たとえば「カステーラ」や「ボーロ」は今も残るお菓子だが、「ハルテイ」「ケジャト」「ヲベリヤス」となると……? まったく見当がつかない。博識の著者であっても同様のようで、「ハルテイ」については
ハルテ、または漢字で波留天伊とも記されるが、結論を先に申し上げると、その実体よく分かっていない。
と吐露している。とはいえ、さすがのプロフェッショナル。そこで留まることなく、古い文献や資料を読み解き、「たぶんこんなものだったのでは」という推理を次々と披露してくれる。先述の「ケジャト」については
ケジャトなるお菓子、いかなるものか。
博学として知られた池田文痴庵(いけだぶんちあん)氏によってまとめられた『日本洋菓子史』(一九六〇年)なる書をはじめ、食文化を著した各書をひもといてもこれに関する確たる記述は見当たらず、またあっても今ひとつ要領を得るまでにはいたらない。しかしながら同名のお菓子はたしかに存在していた……。実はこういうものこそが書き手の夢をこよなくかき立てるのだ。ネバー・ギブアップ。手がかりの少ないなか、例によっていろいろと考察をめぐらせてみた。
といった感じで、著者の探求心が掘り出した知識や成果が続々と明かされていく。もはやパティシエの域を超えて、"お菓子探偵"とでも呼ぶべきかもしれない。
ちなみにどのお菓子についても、それらが生まれた経緯や時代状況のみならず、その土地の歴史や風土、宗教や経済に至るまで、さまざまな要素が網羅されていた。本書は1998年に刊行されていた内容に、今回の文庫化を機に加筆や修正を行うとともに、書き下ろした9話を新たに収録したという。さらに、配慮はこんなところにも。
加えて諸々の名称や表記の仕方などもその時々により異なってきたりもする。たとえばお菓子と関わりの深いルイ十五世妃は、母国ポーランドではマリー・レシュチンスカだが、嫁ぎ先のフランスでは「マリー・レグザンスカ」とフランス風に呼ばれ、近年ではそちらの方が馴染まれてきている。
過去の知識にあぐらをかくことなく、常に最新の情報へ更新しようとする著者の真摯な姿勢が伝わってくる。その分、書かれた内容に信頼度が増すのは言うまでもない。
本書で紹介されたお菓子を次に食べる時、きっと著者の言葉の数々を思い出す。そしてまたページを開き、キラキラした気持ちで読み返すだろう。宝箱のような1冊だった。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。