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2022.02.03

レビュー

日本人には特別な存在。神が宿る聖なる木「松」の魔力の秘密を解き明かす

松は特別

皇居外苑の大芝生広場の松が大好きだ。幹や枝のうねり、ふさふさと豊かな松葉。いつ見ても強くて優雅で美しい。あの松たちは一本たりとも私のものじゃないのに、散歩するたびになぜか誇らしい気持ちになる。反対に松が少しでも弱っていると動揺する。今年の正月、実家の庭の松がいつになく痩せて見えた。家族は「剪定したばかりだからそう見えるだけ。松は強いから大丈夫よ」と気にしていないが、ほとんど丸坊主だった。心細くてたまらない。子どもの頃に松葉相撲で散々お世話になった松、どうか次に会ったときは復活していますように。

それにしても、私は松をこんなに大切に思っていたのか。自分で自分にびっくりした。そんな矢先だったので『松と日本人』は読まずにはいられない1冊だった。

『魏志倭人伝』に記録されている植物名は、中国からの旅行者の目に留まったおもな草木とこれまで考えられ、そのなかに、松がないことはよく知られている。

こんな刺激的な紹介から本書は始まる。花粉分析によって当時の浜辺の砂地にマツ属が育っていたことはわかっている。だから大陸から日本に向かう船から松は見えていたはず。なのになぜ? 著者の有岡利幸先生は、当時の植生と、魏志倭人伝から解読された植物名、さらには魏志倭人伝というある種の報告書と呼べる文書を作成した人物の視点をも動員して謎に迫る。

たくさんの文献(巻末の参考文献リストをぜひ見てください。松ってこんなに沢山の本に登場しているのかと感動する)、遺跡の出土品といった歴史資料、そして芸術。あらゆる角度から、松が日本人にとっていかに特別な木であるかがわかる本だ。

はじめに松ありき

第二章「やまとたけると松」では、松への信仰がどのようにしてうまれたかが、古事記や風土記、万葉集などをもとに語られる。

はじめに松ありき、と森林の変遷史ではいうべきである。
荒れた浜などに、他の樹木にさきがけて根をおろし、生育する松に対し、古代の人々は畏れと尊敬の念を抱いた。同じく『常陸国風土記』に、「浜の松の下には、泉が湧きだしており、その水は非常にうまい」と記されているように、松に山野の霊が宿ることを知り、神格化が始まっている。

日本人の自然観と信仰心の結びつきが丁寧に紹介されている。そして「古事記」からは倭健命(やまとたけるのみこと)の歌が紹介される。これがものすごくいいのだ。

歌の意味は、尾張国へ向かって、まっすぐに、枝をさしのべている尾津岬の一本松は、親しい友。一本松よ、人のすがたであったならば、太刀を佩(は)かせ、りっぱな衣を著(つ)けてあげることができるものを、親しい友よ。というのであろう。

松が親しい友に……! 情感があってとてもいい。古事記ってこんなに面白いんですね。本書では、倭健命がなぜこのような歌をうたったのか、そして一本松の意味や、なぜ歌で太刀が出てくるのかについて考察する。ただの「友よ!」じゃないんです、倭健命にとっての松って。

松の折り枝

第四章「のびやかな松と平安時代」では平安貴族にとっての松が紹介されている。なかでも「松の折り枝」がとても美しくておもしろかったので紹介したい。

王朝貴族の日常生活の雅(みやび)なしきたりに、折り枝という習慣があった。
折り枝とは、ことば通り、木の枝を折りとったものである。
平安時代の宮廷生活では、行事や、折々の贈り物をするとき、いずれも美しい錦の布で包み、折り枝に結びつけて、それを渡すのが風流とされていた。

ロマンチックだ。この折り枝で松が大活躍していたのだという。ではどのくらい活躍していたのか? 

小松茂美氏は、王朝時代の文学作品を調べ、「平安時代における消息と折枝一覧表(『手紙の歴史』岩波新書)を作成している。折り枝が使われている六一例のうち、松は一三例(約二〇パーセント)。

松、大人気だ。ここからさらに本書は折り枝としての松に近づいてゆく。これがすごく楽しいのだ。

贈る者が、折り枝を使っている季節をみると、冬が二五例でもっとも多く、次いで春の一九例、秋の一三例、夏はわずか五例。
三方を山に囲まれた狭い盆地の京都の夏の暑さは格別で、王朝貴族たちも暑さにぐったりとして、手紙のやりとりに、折り枝を使うところまで気配りがいきとどかなかった、と想像してみることもおもしろい。(中略)
木枯らしの吹きすさぶ冬枯れともなれば、人恋しさもつのるが、この時期には折り枝として添える花はなく、みずみずしく冬の寒さに耐える松が喜ばれた。

そう、空気が乾ききった真冬でもつやつやときれいなのが、松の緑! 松ってやっぱりいいよね、昔から人気だったんだ、とうれしくなる。そして、『枕草子』に登場する松の折り枝についても本書は美しく紹介してくれる。松の折り枝が重用された当時の背景を想像しながら読むと、古典文学がますます鮮やかに感じられる。

不浄を清める松、日本の松

松の清浄さは宗教や死生観とも深い関連をもつ。

たとえば、平安時代の怨霊と松の関連について。「源氏物語絵巻」ではたびたび松が描かれること、そして「源氏物語」はただのロマンチックなラブストーリーではなく生き霊や怨念の物語でもあること、さらに当時の王朝貴族は実際に怨霊を恐れていたことを筆者は指摘する。

王朝びとは、このような怨霊も、清浄なところには出現できないことを知っていた。密教の僧に修法を、あるいは斎宮にお祓いを、刻をかまわずにやってもらうことは、物理的に不可能である。そのため、次善の策として、その場所の不浄を清め、清浄なところとして保っておく手段が必要である。不浄を清め、清浄な場所を保つ手段として、一年中青々と緑を保ち、二本の葉先が魔除けの剣のように尖っている松が登場してきた。

この不浄を清める松については、第六章「人の死と松」でも紹介されている。埋葬した土に植えた松が日本のあちこちに残っているのだ。そして、墓の上に木を植える文化は、中国からもたらされたもの。この「中国からやってきた松の文化」については、墓の松に限らず、本書で何度も登場する。それらを読めば読むほど「あれ、これって中国の文化……?」という疑問が膨らんでくるのだ。最終章である第七章「日本人と松」は、私のそんな不安に深く斬り込む章だった。

斎藤正二氏は『植物と日本文化』のなかで、松の信仰にしろ、松と文化との関わりにしろ、日本人独自のものとは考えないほうが正しいのではないか、と疑問を投げかけている。(中略)
日本人が感じている松に関する美的感覚は、遠く中国の唐以前のものを引き継いだと延べ、さらに「一ツ松を長寿のシンボルとみたり、貞節の比喩とみたりする思考は、徹頭徹尾中国伝来のもの」であると説明している。

ある文化を「他の国にはない強いオリジナリティを持つ文化で、自国ならではのもの」と安易に解釈するのは、その文化への理解を遠ざけてしまう。じゃあ、松と日本人の長い長い関わりは、日本の文化と呼べないのか? 有岡先生は、斎藤正二氏の業績や警鐘を評価した上で、次のように考える。

だからといって、私は、私たちが抱いている松の美しさ、松がもつ思想についての表現方法を変えなければならないとは考えていない。今、私たちが感じる松についての諸々のものは、天平時代に取り入れた中国の思想、感覚ではあっても、それが日本人にぴったりとフィットしたから取り込んだのである。そのため、現代に至るまで引き継がれているのである。

松がいかに「日本人にぴったりとフィット」して、わたしたちの生活と文化に関わり、けなげに生い茂ってきたかは、一章から七章までを読めばよくわかる。そう、やはり松は、特別な木なのだ。

レビュアー

花森リド イメージ
花森リド

元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。

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