「これからの敬語」と起源論
1952年、金田一京助さんは、「国語審議会」敬語部会の会長として、「これからの敬語」という建議を提出します。これは本書の末尾に付録として収録されているほか、文化庁のウェブサイトで閲覧することができます。(サイトはこちら⇒
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/01/tosin06/index.html)
すでに70年が経過している文書ですが、まったく古さを感じない優れたものです。国語辞典や教科書にも収録されています。
本書は、これを追いかける形で、1959年に発刊されました。
冒頭にはこう記されています。
「これからの敬語」は、実に本書のねらいであり、眼目であった。(中略)本書ははじめ、これをふえんしたものを書きたかったのに、起源論に力みすぎて、竜頭蛇尾に終り、これを添えることによって、初めて、ひとみを点ずることができた。
本書は「これからの敬語」をふくらませたものになるはずだったのです。ところが、そうはなりませんでした。金田一さんはそれを「起源論に力みすぎた」ためだと語っていますが、じつはこの「起源論」こそ、本書で主張したかったことではないかと思われます。
階級を持たない人たちの言葉
本書は、「日本の敬語」の特殊性を指摘するところからはじまっています。
「パパ! ママ!」と呼びすてて言う所を「とうさん、かあさん」「おとうさん、おかあさん」、もっと丁寧には「さま」である。どんな田舎に行っても、例えば「ちゃん! おっかあ!」でも、敬語形であって、呼びすてではない。
これは主に英語との比較で記されたものです。日本語とはそのように、父親・母親の呼称にまで(金田一さん流に言うならば「随の随まで」)、敬語をふくむ形で成り立っており、敬語をまじえずに会話することなんてできないんだ、と主張しています。
さらに、金田一さんはこう語ります。
さて、そういう日本語の起源はそもそも何であったであろうか。起源の問題は文献以前のことに属するから、わからない。ただ方法をもってすれば、ほぼ近いあたりまで推定することができよう。
金田一さんは、敬語が封建時代の階級意識の所産であることを認めています。くだいて言うならば、敬語とは、王様とかお殿様とか、身分が高い人を敬うべくして発達したものだというのです。
「これからの敬語」が発表された1952年は、日本が民主国家として再出発して間もないころでした。階級意識には濃厚に軍国主義のニオイが漂っています。平等を旨とする民主主義とは相容れないものだという意見があり、「敬語なんて取っ払って話そうぜ」という今思えばかなり急進的な考え方も存在しました。
しかし、そうじゃないんだ、と金田一さんは主張します。
敬語の起源が、専ら階級意識の所産であるとのみでは解けないことは、全然階級のない所にも敬語が発達しているからである。例えば、われわれの北隣のアイヌ民族は、王様もなければ臣下もなく、大臣もなければ平民もない、(中略)狩猟と戦争が男子の仕事で衣食住の一切は婦女子の仕事であることは、どこの家も変りがない。然るにこの生活の中にも立派に敬語が存在するのである。
金田一さんが本書で真に述べたかったことのひとつは、ここに表されているように思われます。
「これからの敬語」には起源論はほとんど入っていません。文書内でも「できるだけ平明・簡素でありたい」と述べられており、話がややこしくなりがちな起源論が入り込む隙間はありません。
しかし、金田一さんは言いたかったのではないでしょうか。「これからの敬語」はあくまで絞り汁なんだ。たくさんの材料を集めて、絞って出したのがあのかたちであって、そのためにいろんな知識が集められているんだ。
本書はそれを描くために書かれたのです。
滅びゆく言葉を残す
本書に目を通すと、アイヌ語に関する記述がとても多いことに気づかされます。
アイヌ語研究は、金田一さんのライフワークと言うべきものでした。誰かから命じられたわけでもなく、そんなものに興味がある人はほとんどないのに、彼は幾度となく自費で樺太や北海道に赴き、北方の人々に接しています。
金田一さんにはわかっていました。アイヌの言葉は、いずれ失われてしまう。アイヌ民族は文字を持たない。歴史をふくめた民族の記憶は、すべて口承で伝えられてきた。民族がなくなればすべての記憶が失われるのだ。
この金田一さんの考えは正鵠を射ており、現在、アイヌの末裔を称する人は多くありますが(俳優の宇梶剛士さんはそのひとりです)、アイヌ語を話せる人は1パーセントにも達していません。その多くが日本語とのバイリンガルであることを考えれば、「アイヌ語とは失われた言語である」と言い切っても、言い過ぎにはならないでしょう。すくなくとも、アイヌ語だけで日常生活をおこなうことは、ほとんど不可能になっています。
誰かが残さなければならない。金田一さんはおそらく、そんな使命感を持っていたことでしょう。
これは「勝利の書」である
本書は文字を持たない人々の言葉について記した後、万葉集を起点として、日本にどのように敬語が備わってきたかを述べていきます。思えば、万葉集もまた、漢字を使って日本語を表す(万葉がな)という、文字を持たないゆえに発達した技術によって記されたものでした。
感動的なのは、アイヌ語という滅び行く言語の研究が、たしかに現代日本語の成立に寄与したということです。「敬語なんて封建時代の遺物だから、やめちゃおうぜ」という意見にたいして、ノーを言えたのは、アイヌ語があったゆえでした。
この本は勝利の書です。失われたアイヌ語という言語と、金田一さんのアイヌ語研究が、たしかに戦後日本の歩みを決定づけたことを伝えた感動的なドキュメンタリーです。世に勝利を描いたドキュメンタリーはいくつもありますが、それをことさらに主張することなく描かれたものはほとんどありません。
70年前の文書ながら今なお効力をもつ「これからの敬語」は、このような背景のもとに成立したのだ。金田一さんは「力みすぎた」と反省を述べておられますが、逆にいえばそれこそを伝えたかったのだというべきでしょう。
敬語ひいては日本語のガイドとしても一級品になっています。なにしろ、70年の風雪に耐えた知識です。これ以上のものはそうそうないと言っても、言い過ぎにはならないでしょう。
テクノロジーがもたらすもの
本書に直接の関連はありませんが、ひとつつけくわえておきましょう。
アイヌ語研究のため、金田一さんは幾多のアイヌの人と接触しました。金田一さんが存命だったころには、まだ「アイヌ語しか話せない」アイヌの人が多く存在していたのです。
金田一さんは「彼らの暗記力に驚愕した」と語られています。文字を使わずに民族の記憶を伝えるとは、そういうことなのです。
金田一さんは東大(東京帝大)ですから、当時の平均的な人よりもずっと暗記力に優れていたにちがいありません。その人が驚愕する暗記力とはどれほどのものだったのか。想像するしかありませんが、相当なものだったことはまちがいありません。
その暗記力が文字を持たないゆえにつちかわれたとするならば、スマホでググれば答えが出てくる今の人はどうなんだろう。テクノロジー(文字もそのひとつです)とは、人の能力を限定するものなのかもしれません。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/