大富豪の推薦図書
「世界最高の本」と評しても言い過ぎにならない本はそうそうあるものではありません。本書はある意味で、その呼称が決してover estimateにならない、数すくない本のひとつです。
まずは、この評価がなぜ成立するかについて、簡単にご説明いたしましょう。
ビル・ゲイツがウォーレン・バフェットにはじめて会ったとき、たずねました。
「あなたがいちばんいいと思うビジネスの本を教えてください」
あまりふれられませんが、ゲイツはたいへんな読書家です。おそらくは本気で「世界でもっとも成功したビジネスマン」が勧める本を読んでみたいと思ったにちがいありません。
バフェットはなんのためらいもなく、本書の名をあげたといいます。ゲイツは本書に大きな感銘を受け、以降、取材や講演などで幾度となく本書の素晴らしさについて語るようになりました。「まだ(バフェット氏に本を)借りっぱなしなのです」とこじゃれたオチまでつけています。
すなわち、本書は世界最高の富豪2名が「もっとも優れた本」と推している本なのです。
古くて新しい本
本書の著者ジョン・ブルックスは、1950年代から60年代にかけてウォール街で活躍した雑誌記者です。本書以外にも、経済金融界に取材した優れた本を何冊も上梓しています。
本書は、ブルックスが50年代末から60年代にかけて執筆したエッセイから数篇を選んだものです。ブルックスはすでに故人となって久しく、亡くなったのは前世紀のことでした。
正直、こう思わずにはいられませんでした。
古い本だなー。
しかも、中途半端に古い。古典と呼ぶには新しすぎ、かといって現代の状況はまったく反映されてはいません。なにしろ、ケネディ大統領の暗殺が同時代の重大事件として語られているのです。
また、本書は1ドル360円の固定相場制がとられていた時代に書かれています。今みるととんでもない円安ですが、当時の日本はそれで通る程度の経済的影響力しか持っていませんでした。したがって本書には、日本の話はほとんど出てきません。
本書の第1章は、フォード自動車が犯した歴史的な失策について語られていますが、当時フォード製の自動車に乗っている日本人などほとんどいなかったと思われます。乗らなかったのではない。乗れなかったのです。
本書は、一般的な日本人には少々距離のある本です。舞台の多くはウォール街ですが、世界的なニュースとなった「Occupy Wall Street」の抗議運動はもちろん、マイケル・ダグラス主演の映画『ウォール街』も公開されてはいません。「もっとも日本が縁遠かった時代のウォール街を描いている」と言っても誤りではないでしょう。
とはいえ、だからといってこの本に接さないのはあまりにもったいない。
富豪2人が勧めているからではありません。後で述べますが、この本が希代の名著だからです。
おそらく、この本の制作者にも同じような思いがあったものと思われます。本書は原著に大胆に手をくわえることで、親しみやすいものにしています。
ジョン・ブルックスの著書は、しばしば「小説的」と評されます。ドキュメンタリーとしておもしろい部分があるからです。本書では、その部分を取り出し、マンガとして構成して提示しています。縁遠いものに感じてしまうのは主としてこの部分ですから、あえて、親しみやすい形に変えているのです。
残りの部分は邦訳『人と企業はどこで間違えるのか?』(ダイヤモンド社、2014年)に手を入れ、一般的なサラリーマン(言うまでもなく最大多数の職業です)に親しめるようにしています。
この改変によって、収録されたエピソードの数(章の数)は大きく減じました。しかし、そのことによって親しみやすくなっていることはまちがいないでしょう。
オミットしたエピソードに接したければ、原著『人と企業はどこで間違えるのか?』を読めばいい。本書は翻訳も同じ人物が担当しており、この書名もしっかり記載されています。
完全なかたちを提示することより、入りやすくすることが大事なんだ、という哲学はとても好感がもてるものです。
これは「すべての人が読むべき本」である
ビジネス本には、きわめておちいりやすい陥穽があります。
以前接した組織論の本に、Google(現在の社名はAlphabet)がどのように優秀な組織をつくっているかを紹介するものがありました。鼻で笑わずにはいられませんでした。
Googleは世界中から秀才が集う企業です。株式時価総額ランキング(株式会社のランキング)を見れば瞭然ですが、Googleをしのぐ企業は日本に一社もありません。当然のこと待遇もとてもよく、社員食堂に一流のコックがいると聞きます。
そんな会社と、社員がようやく食べていけるだけの給料を毎月なんとか支払う中小企業では、組織をまとめるための方法論が同じはずがありません。
頭のいい人ならGoogleの方法を自分の会社にうまく適合させるでしょうが、そのままやって轟沈する人も少なくないでしょう。自分は中小企業にいたことがあるので、よくわかるのです。これはずいぶん危険な本だと感じました。
その点でいうと、この本にも同じ危険性があるように思えます。なにしろ富豪2名の愛読書で、語られているのは絶好調だった時代のフォードやゼロックスです。軽傷じゃ済まないニオイがプンプンするではありませんか。
しかし、この本はそういうものではありません。
これはビジネスマンはもちろん、そうでない人にも得るところの多い本です。
たとえば、本書にはフォードが過去最高の宣伝費をかけて売り出した自動車が大失敗した事例をあげています。
フォードのなによりの失敗は――乱暴にひとことでまとめるならば――顧客ではなく社内に向けて商品を開発し、販売してしまったことでした。
あーこれ体験したことある。自分はそう思いました。おそらくは多くの人が同じように感じるにちがいありません。
自分の場合は幸いにもフォードほどの大惨事にはなりませんでしたが、単に商品の市場規模が小さかったからで、同じ誤りはどこにだって起こり得ます。今、あなたの会社で現に起こっているかもしれません。
こんなもんよくねえよ。でも課長が言うからこのカタチにしよう。
こんなもんよくねえよ。でも部長が言うからこの性能にしよう。
こんなもんよくねえよ。でも社長が言うからこの名前にしよう。
販売前の商品に関して、それがヒットするかどうかなんて誰にもわかりません。だからとりあえず、目上の者が喜ぶようにする。それは人情かもしれませんが、商品開発のセオリーとしては完全に誤りです。客を無視して店長のほうを向いてやる商売なんかあるもんか!
本書は、世界企業から零細企業まで、あらゆる組織がおちいってしまう失敗を、たいへんわかりやすく述べています。あなたもきっと、あーこれ経験あるなーと思うことでしょう。
本書は、ビジネス書の範疇に置かれるべき本ではありません。これは組織が――いや人間がおちいりやすい失敗に関して述べた本です。
この本が読みやすいかたちで手に入ることはたいへん幸福である。
自分は、そう思っています。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/