ボーイズラブ小説の旗手として長年活躍してきた一穂ミチさんは、今年4月に初の単行本一般文芸作品『スモールワールズ』を刊行し、一躍直木賞候補となった。日本最大級の読書コミュニティサイト「読書メーター」では読みたい本1位にも選ばれている。いま大注目の作家、一穂さんの講談社2作目となる書き下ろし長編作品が、『パラソルでパラシュート』だ。『スモールワールズ』からの担当編集、小泉直子と改めて作品をふり返る。
29歳女性の恋愛小説にはお仕事小説の一面も
小泉 前作『スモールワールズ』では、「歪んだ家族」をテーマに6つの短編を収録しました。読者はもちろん、書店員さんからも本当に反響の大きかった作品です。笑いあり涙あり、サイコホラーありで、それぞれ違う作家が書いたアンソロジーなんじゃないかというくらいに、作風やタッチがまったく違っていたのも話題になりました。ちりばめられた伏線を、一穂さんはいつも天才的に回収していかれます。
今回の『パラソルでパラシュート』は、大阪を舞台に芸人さんたちの日常を描くという、また新たな境地を開いた作品となりましたね。
一穂 前作は読み味として重たい、暗めの話が多かったので、今回はもっと楽しく読めるような、ポップな恋愛小説を書いてみたいという思いがありました。
小泉 主人公は29歳になる企業の受付嬢。引き際とされる30歳を前にした彼女が若手芸人たちと出会い、自分を見つめ直していく物語。これは、お仕事小説としても読めるんじゃないかと思います。一穂さんから毎週原稿をいただいて、私の中では連載のようにして楽しみに読んでいましたが、本当に毎回笑って泣かされていました。
一穂 前作に収録の短編は最後までプロットをつくってから書き始めましたが、今回はラストまでは決めずに最初の設定だけ決めて書き始めたので、うまく着地できるんだろうかとハラハラして、不安で手が動かない時間も長かったんですよ。
小泉 女の子1人と2人の男性、その設定を最初に聞いた瞬間に、もう私の中では3人が生き始めちゃったんです。「この3人の話を絶対に読みたい!」と思ったので、それを最後まで描いてもらえて本望です。本当に見事なラストでしたよ。
大阪を舞台に大阪弁で話す個性豊かな登場人物たち
小泉 今回の作品は大阪が舞台ですね。
一穂 大阪は子どもの頃から住んでいるので、土地の感じも書きやすいというのはありました。やっぱり大阪弁のリズムは書きやすいし、馴染みやすい。田辺聖子さんなどの大阪弁が出てくる小説は好きです。
『じゃりン子チエ』も好きなので、ああいうちょっとクセのある人がいっぱい出てくるような世界を自分でも描けたらいいなと思っていました。あのマンガはすごく人情ものみたいに見られがちですけど、登場人物は結構クールなんですよ。みんな自分勝手だし、人間関係のトラブルが起こっても「うちに迷惑かけんといてや」みたいなスタンス。自分からも人のことには首を突っ込まない、そういう距離感がすごく心地いいなと思います。
ただ、全部大阪弁だと読みづらいだろうという小泉さんのアドバイスから、主人公の女の子は標準語にしました。
小泉 芸人さんが主軸の小説は、今回が初めてですよね?
一穂 わき役で出てきたことはありますが、ここまではないですね。私自身、3年くらい前から推しの芸人さんがいて。最近はみなさんYouTubeとかされるので、普段どんな生活をしているかとか、素の部分が垣間見えて面白いんです。芸人さんも、テレビでバカなことをしているだけじゃないっていう姿が見えると、やっぱり一人の社会人で、悩みを持つ人間としての側面も見えてくる。それを普通の29歳のOLであるヒロインから見て、わかるところもわからないところもあるという、その対比が面白いんじゃないかと思って書きました。
いま、自分が何者でもないと思っている女性たちへ
小泉 人を楽しませるお仕事という意味では、芸人の仕事は一穂さんの作家業とも通じるところがあるんじゃないかと思います。一穂さんご自身は、いつもどういうことを大切にされて作品を書かれていますか?
一穂 「説教をしない」ということでしょうか。何かが絶対に良いとか悪いとかいうことは、言わないようにしています。
小泉 それは前作を書かれていたときにもおっしゃっていましたね。
一穂 はい。作品の中にあまり好感が持てない人っていうのはもちろん出てくるんですけど、それだけの人には見えないように。書くか書かないかは別として、どうしてこういうものの考え方をするに至ったのかとか、常にその人の多面性みたいなものを意識するようにしています。
小泉 この『パラソルでパラシュート』というタイトルも印象的ですが、どんな意味を込めてつけられたんですか?
一穂 作中に鳥人間コンテストのシーンがありますが、あれは私が子どもの頃にテレビで観た記憶があるものなんです。みんなが飛行機で飛ぶところから仮装して傘で飛んだ人がいて、傘で落ちていくって素敵だなというイメージが、私の中にあったんですよね。
そこに主人公を重ねました。29歳の女性って、いまだに男の人から「ギリギリだな」みたいな言われ方をすることがあると思うんです。バリバリ働いているわけでもなく、なんとなく「見初められそびれた」みたいに感じている女性たちは、自分のことを崖っぷちみたいに思っているんじゃないかなと。このような意味をこめて、タイトルをつけました。
小泉 特にどんな方に読んでほしいですか?
一穂 もちろん誰に読んでいただいてもありがたいのですが、20~30代の自分が何者でもないと思っている女性、仕事も恋も家庭もとか言われて、「え、そんなに輝かなきゃいけないの?」と思っているような女性に読んでもらえたら、うれしいですね。
「歪んだ家族」というテーマから始まった前作
一穂 最初に小泉さんからお声がけいただいたのは、5年くらい前でしたよね。
小泉 はい。一穂さんのBL作品を読ませていただいて、なんでこんなに人の気持ちをすくい取るようなことを言葉に落とし込めるのだろうと、衝撃を受けたんです。もうずっとご活躍されていて、ファンもすごく多い方なのですが、「私だけの宝物を見つけた」みたいな感覚でした。誰にも教えたくないような気もしたのですが、それよりもこの人の本をもっとたくさん読みたい、自分でつくりたいと思ってメールさせていただいたのが最初です。
一穂 そのあと何度かお会いして、何を書きましょうかとお話ししていたものの、なかなか私のほうでアイディアが出せないでいたんですよね。それで2019年の末頃、「小説現代」のリニューアルにあわせて書いてほしいと言っていただいて。
小泉 まずは短編からお願いしたいということで、2020年6・7月合併号から連作短編の連載がスタートしました。テーマは「歪んだ家族」。これまでの一穂さんの作品には、家族とうまく折り合いがつかない人物が多く登場していましたが、そこで描かれている繊細な感情や繊細な表現、そういったものをより増幅させて、そこに主眼を置いたような作品を書いてもらいたいなと思ったんです。でも一穂さんは以前インタビューで、「じゃあ歪んでない家族ってどこにいるの?」とおっしゃっていましたよね。
一穂 そうなんですよ。だから、歪んだ家族といっても何でもありだなと思って書いたところがあります。
小泉 そんな前作を読んだ方たちから、一穂さんの新作を読みたいという声がすごく多くて、なるべく早くその声に応えらえるように長編作品を書き下ろしていただいたのですが、前作が4月刊行で、たった7ヵ月後にもうでき上がるという。本当にがんばっていただきました。書き終えた心境などは前作と比べてどうでしょう?
一穂 前作は連載だったので、そんなに負荷は感じなかったのですが、やっぱり長いものは体力がいるなと思いましたね。やっと終わったという解放感でいっぱいです(笑)。
大人になって衝撃を受けた新しいお笑い
小泉 作中に出てくる漫才やコントも、本当にレベルが高いんですよね。漫才やコントって、普通は、面白い芸人さんが演じて初めて面白いものだと思うんですが、それを文字だけで読んでもこれだけ面白いって本当にすごいことだと思います。もしかして昔からお笑いの研究をされていたとか?
一穂 いやいや、ありがとうございます。ただただ考えてがんばって書きました(笑)。
小泉 やっぱり大阪で生まれ育つと、小さな頃からまわりにお笑いの文化があったりするんでしょうか?
一穂 「大阪あるある」だと思うんですけど、当時土曜日は「半ドン」と言って、昼には学校から帰っていました。家でテレビをつけると吉本新喜劇をやっていて、それを観るのが普通という生活でしたね。街で新喜劇の芸人さんとかを見かけても、それは芸能人にカウントしない、みたいな(笑)。「おるわ」と、親戚のおっちゃんを見るような感じでテンションも上がらないというか……。
小泉 それぐらい日常にあるものだったんですね。
一穂 そうなんです。だからM-1グランプリが始まったときも、「何を今さら」という感じで。ゴールデンタイムに「どや!」ってやるようなものじゃないだろうって、そんなに熱心に観るほうでもなかったと思うんですよ。でも、2017年か18年に和牛の漫才を初めて見て、衝撃を受けたんです。「めちゃめちゃ面白い!」って。そこからハマりました。私が思っていた漫才って、もっとベタなしゃべくりのイメージだったので、20歳の頃に中川家の漫才を見たときも「いまはこんなんなんだ!?」って衝撃だったし、この間キングオブコントで優勝した空気階段を最初に見たときもそんな感じでした。
小泉 作品では、芸人さんの普段の生活の部分もすごくリアリティがありますよね。
一穂 それは、YouTubeやラジオなどから素の関係性が見えるので参考にさせてもらいました。楽屋でご飯を食べている動画を見て、こんなやりとりをするんだな、とか。好感度低めの芸人さんが、お水をちゃんとコップについで、人に出してあげていて、意外に優しいなとか。そういうちっちゃなことをいろいろ発見していました。
小泉 今回の作品のモデルになった芸人さんはいるんですか?
一穂 いろいろと混ざっているんですよ。それこそ、恋愛と狂気みたいなものが笑いに変わっているのとかは、空気階段のコントにもよくあります。女性の役がうまいのは、空気階段の水川かたまりさんもそうですが、和牛の川西賢志郎さんもそうですよね。川西さんは漫才なので、そのままのスーツ姿で化粧も何もしないわけですが、それなのになんだかきゅっと心をつかまれるような、すごく可愛い女の子の魅力を出せるのがすごいなと思います。
本当のことをなかなか言わずに煙に巻く感じの芸人さんも出てきますが、あれは天竺鼠の川原さんとか、金属バットの友保さんのイメージ。本当はシャイで照れ屋なんですけど、だいたいいつもニヤニヤして本当のことは言わない感じが面白いなと思っています。
コミカライズされた『魔王の帰還』
小泉 『スモールワールズ』に収録された6編の中で言うと、今回の『パラソルでパラシュート』はどの作品に近い読み味だと思われますか?
一穂 明るいノリという意味では、やっぱり「魔王の帰還」ですかね。
小泉 離婚するといって実家に戻ってきた「魔王」とあだ名される豪快な姉と、高校生の弟、クラスで浮いた存在の女生徒との奇妙な交流――。笑いで入り口のハードルを下げつつも、最後に出してくるもので泣けてしまう、そんなところは確かに一番近いかもしれませんね。
一穂 ありがとうございます。自分で書いたものって、本当に面白いかどうかがわからないんですよ。でも小泉さんに投げて「ここは良かった」と言っていただけると、ただただほっとしていました。今回も毎週がスランプみたいなものだったので。小泉さんはすごく情にもろくて感激屋、共感能力が高い方なので、そこに救われているなと思います。何を書いてもいいですって、いつもおおらかに構えていてくださるので。
小泉 『魔王の帰還』は『スモールワールズ』のプロモーションとしてマンガ化を社内で打診したところ、「アフタヌーン」で全4回の集中連載が決まり、とうとうコミックスも発売されました。あれよあれよという間の出来事でしたね。
一穂 あっという間に話が大きくなりましたよね。ありがたいことです。
小泉 「アフタヌーン」の編集長も作品の力だと言っていましたが、漫画家の嵐山のりさんと一穂さんのタッグで生まれた魅力的な作品だなと思います。マンガ版では、連載時には描かれていない後日談も書き下ろしていただきました。このアイディアはいつから温めていたものなんですか?
一穂 「小説現代」で連載していたとき、原稿を書いたあとでなんとなく、その後の人たちの想像をしていたんです。でもそれは本当にささやかなものだったので、そのうち機会があれば掌編みたいなものを書いて、noteで公開して読んでいただいてもいいのかなと思っていたんですけれども。忙しくしているうちに流れてしまっていたのが、今回「何か新しいエピソードを」というオファーをいただいたので、ちょうど良かったと思って書かせてもらいました。
小泉 お忙しいのはわかっていたので、ちょっとダメもとで聞いてみようかなと思ったら、本当に素晴らしいものをいただけました。小説のファンの人たちにも、ぜひコミックスを手に取ってもらいたいですね。コミックスをお読みになられて、いかがでしたか?
一穂 何でしょう、小説とは違う、景色とか、空がバーンと広がっているところが絵で見られるというのは、やっぱりいいなと思いましたね。ちょっとのどかな地方都市の高校生の青春みたいなところを、すごく色濃く表現してくださったなと思います。
小泉 またマンガならではのイメージがふくらみますよね。コミックスの帯には一穂さんのコメントも入れさせていただきました。書店で単行本と一緒に並べて置いてもらえることを楽しみにしています!
撮影/椎野 充(講談社写真部)
2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。劇場版アニメ化もされ話題の『イエスかノーか半分か』など、ボーイズラブを主題とした著書多数。2021年4月に刊行した、初の単行本一般文芸作品である『スモールワールズ』が、第165回直木賞候補になる。今秋、11月26日に『パラソルでパラシュート』を刊行予定。