デビュー2作目にして山本周五郎賞・直木賞にノミネート、「本の雑誌」の2021年上半期エンターテインメント・ベスト10では堂々の第1位に輝いた砂原浩太朗さんの『高瀬庄左衛門御留書』。神山藩で郡方を務める庄左衛門と亡き息子の嫁・志穂、心に傷を抱えた2人の繊細な関係性を軸に描く正統派時代小説である。その美しくも静謐な筆致に、次代を担う存在との呼び声も高い。そんな話題の著者と担当編集が作品の魅力を語った。
登場人物それぞれの人生に奥行きが感じられる作品
高谷 砂原さんのデビュー作は歴史小説でしたが、小説作品としては2作目となる『高瀬庄左衛門御留書』は時代小説です。それは、当時の「小説現代」編集長、塩見からの提案だったそうですね。
砂原 そうなんです。1作目が加賀百万石の始祖、前田利家とその家臣の話だったので、もう何本か前田家周辺の話を書こうと思っていたら、「時代小説を書いてみてください」と言われて驚きました。「きっと向いてると思うから」って。僕の文章の雰囲気や、登場人物の感情のすくい取り方を見て、そう感じたそうです。歴史のダイナミズムだけでなく、登場人物一人ひとりの人生を奥深いところまで丸ごと捉えられるんじゃないかと。まずは短編を1本、「小説現代」に書いてみないかということで、この本の第1章にあたる「おくれ毛」を書きました。独立した短編のつもりでしたが、それを読んだ塩見さんから、「とてもいいから、この先を続けて長編にしましょう!」とご提案いただいたのが始まりですね。
高谷 塩見が、「砂原さんの描く人物は生きている。この物語の前にも、物語の先にも彼らの人生がずっと続いているということがものすごく実感できる」と言っていました。「物語と人物に対する書き手の真摯さ、センスがないとできない非凡な才能だ」と。本当にそうだと思います。
砂原 ほとんど誉めごろしですが(笑)、ありがとうございます。この作品に限らず、登場人物の人生が作品の中だけで閉じてはいないという意識は常に持っています。塩見さんが言われたように、物語の前にも後にも、そして物語とおなじ時間のなかにも、書かれていない人生があるはず。だから、続けろと言われれば、面白いかどうかは別にして(笑)、どの作品もたぶん永遠に続けられる。それが、僕という作家の基本姿勢だと思います。
高谷 読者の反響も大きくて、クチコミでちゃんと広まって、しっかり内容で売れていく動き方でした。時代小説好きの方からも絶賛されていますが、ある書店員さんからは、「今まで抱いていた苦手意識が払拭された!」という感動の声も。
砂原 ジャンルへの意識が変わったというのは、最高の賛辞ですね。塩見さんには、自分でも気づかなかった引き出しを開けてもらって、非常に幸せな出会いでした。僕も編集者をしていたので、正直「負けたな!」と思いましたね。これからは、高谷さんにもバンバン引き出しを開けてもらうつもりなので、よろしくお願いします(笑)。
「半歩先の理想」の存在である主人公・庄左衛門の魅力
高谷 この作品は、いろいろなセリフも読者の心をつかんでいます。庄左衛門の「人などと申すは、しょせん生きているだけで誰かのさまたげとなるもの(中略)されど、ときには助けとなることもできましょう……均(なら)して平らなら、それで上等」などは、感想でも挙げてくださる方が多いですね。私は個人的に、「精魂こめれば疲れもいたしましょう──されど、だから不幸というわけでもない」が好きです。
砂原 それは立花監物のセリフですね。高谷さんも、けっこう疲れているのでは(笑)。
高谷 そうなのかもしれません(笑)。主人公じゃなくても、敵役だろうが脇役だろうが、出てくるキャラクターそれぞれに魅力があるというのも、砂原さんの作品の奥深いところだなと思います。
砂原 人間って、じつは相手がどういう人かということより、どんな関係性でその人と向き合っているかに左右されるんですよね。ほかでどんなに悪いことをしていても、自分に親切だったら、いい人だとしか思えないでしょう(笑)。絶対的な悪や善があるわけではなく、みんなが当たり前のようにいろいろな面を持っている。敵役も、それぞれの倫理や気持ちで動いていると思うんです。庄左衛門だって、息子に期待して勉強させたり、弦之助に嫉妬したり、完全無欠ではないですからね。
高谷 砂原さんは、庄左衛門を「半歩先の理想」として描いているとおっしゃっていましたよね。1歩じゃなくて、半歩という、あの言葉がとても好きです。
砂原 もしかしたら手が届くかも、という半歩。まあ、その半歩が大きくて、僕自身はまだまだそこに至っていませんけど(笑)。この作品がこんなに支持していただけたということは、たぶん庄左衛門というキャラクターが読者に近かったんでしょうね。そんなに身分も高くないし、そこそこ腕は立つけど剣豪というほどでもない。いつも貧乏そうだし(笑)。そこで自分たちと一緒だなという親近感がわくと同時に、必ずしも100%幸せとは言えない人生を受け入れようという気持ちになったところは彼が半歩先に進んでいて、良かったのかなと思っています。「100%の幸せじゃなくていいんだ」というのは、今の時代に合っていたのかもしれませんね。
主人公が物語の中で成長していくビルドゥングス・ロマンへのこだわり
高谷 次回作についても教えてください。
砂原 同じ神山藩を舞台にした『黛家の兄弟』という作品で、主人公が17歳のときから始まります。筆頭家老の三男という気楽な身分だったはずが、大目付の家へ養子に行き、藩をゆるがす政争に巻き込まれて否応なしに成長への道を歩むことになる。主人公が作品のなかで変化していく成長小説、ビルドゥングス・ロマンということに僕はデビュー以来こだわっていますが、そこに真っ向から挑む作品になると思います。
高谷 時間軸で言うと、『高瀬庄左衛門御留書』の前になりますね。
砂原 はい。終盤にちょっとだけ、「ああ、こうつながるのか」というフックがあるので、庄左衛門ファンの方も、最後まで楽しみにお読みいただければと思います。
高谷 私も原稿を読んでいますが……これは、期待していただきたいですね!
大きな影響を受けた藤沢周平や小説以外のカルチャー
高谷 砂原さんは小学2年生の頃から星新一作品などを読まれて、いろいろな小説に触れてこられた中でも特に藤沢周平作品に大きな影響を受けたそうですね。
砂原 中学生の頃、「立花登青春手控え」という中井貴一さん主演のNHKドラマをきっかけに、その原作者として藤沢先生を知りました。傾倒を決定づけたのは、『風の果て』ですね。最初は家で購読していた「週刊朝日」の連載として読んでいましたが、途中から「これはまとまってから読みたい」と感じて中断し、高校受験の直前なのに(笑)、単行本の発売日に書店へ行って買いました。一気に読むのがもったいなく思えて、1日20ページずつくらい、丸1ヵ月かけて読みましたよ。
高谷 噛みしめたわけですね。
砂原 はい、舐めるように(笑)。この作品は、身分の軽い侍が婿入りをきっかけに、だんだん出世し、ついには筆頭家老になるというストーリーなんですが、その過程で、むかしの仲間と疎遠になったり、斬り合ったり、政敵になったりを経て、結局、頂点には彼一人だけが残るんですよね。でも、寂寥感を抱きながらも、そこへは沈み込まず、「そうは言っても前に行くしかないじゃないか?」という感じで進んでいくんです。そこに、妙な力こぶが入らず、当然そうするものだろうという生き方に、すごく惹かれましたね。そこから、藤沢周平という作家が僕にとって特別な存在になりました。
高谷 小説以外にも、影響を受けたものはありますか?
砂原 映画や演劇からもかなり影響を受けていますね。藤沢作品への傾倒についてはインタビューでもよく聞かれるのですが、僕と藤沢先生の一番大きな違いって、文学と映画以外のものから影響を受けているかいないかということだと思っています。もちろん人生はそれぞれ違うものですが、作家としての素養というか、下地の問題として。僕は時代的にもサブカルチャーが花開いた世代だから、アニメーションやマンガにもいっぱい接しているし、いわば雑多なものを摂取してきところがある。特に舞台がすごく好きで、書いていても演劇の影響を受けているなと感じます。たとえば、出てくる人をなるべく立たせたいと思うところとか。
高谷 芝居のしどころ、ですね。
砂原 はい。僕はよく芝居のしどころって言うんですけど、登場人物それぞれの「見せ場」だと思ってもらえばいいかな。それは明らかに演劇の影響ですよね。舞台上で所在なげにしている人物がいると、すごく目立つんですよ。自分がお客として観ていて、これは嫌だなと思うので。
高谷 それがご自身の作品にも活きているわけですね。
砂原 登場人物は俳優感覚で、出演してもらっているという感じなんです。だから、なるべく「この作品に出て良かったな」というふうに思ってもらえるよう、せめてひとりに1ヵ所は芝居のしどころをつくりたいと思っています。
実は読み手として苦手だった風景描写だからこそ丁寧に
高谷 砂原さんはどういった舞台をよくご覧になっているのですか?
砂原 一番熱心に観たのは歌舞伎とか、ミュージカルですね。歌舞伎は単純に好きで観ていたのですが、今すごく役に立っています。武士のセリフなんかを書くのが好きで。デビュー作のときから「武家言葉がいい」と言ってくださる方がいて、どうやって勉強したんですかと聞かれるのですが、実は歌舞伎なんです。20代の頃、3年ぐらいみっちり観ていたので、染み込んでいるところがあります。
高谷 そういうところから吸収された部分もあるのですね。砂原さんは執筆の際も、頭の中で舞台のように登場人物を動かしながらイメージされているんですか?
砂原 場面によって、舞台であったり映像作品であったり、いろいろです。舞台的に浮かぶのは、裁きのシーンのように屋内で固定されたもの、屋外だとやはり映像が浮かびますね。そのなかで、人物の配置みたいなものを説明的になりすぎないよう、さり気なく伝えていくことを心がけています。右に何があって左はこうでとか、誰それの隣に誰がいてというのを、うるさくならないように、でも混乱しないように伝えたいと思っています。
高谷 砂原さんの作品を読んでいると、自然とその雰囲気や情景、人物の活躍がありありと頭に浮かびますよね。
砂原 じつは子どものころ、風景描写を読むのが苦手だったんですよ。分からないなって思うことが多くて。自分の想像力に問題があるのだと思っていたんですが(笑)、今にして振りかえると描写自体が不十分だったことも多い。情景を思い浮かべながら読んでいて、「あれ? こっち側にこんなものなかったんじゃない?」と戸惑うことが、あるでしょう。あれはやっぱり説明不足なんだと思う。といって、すべてをこと細かに書くのもうるさいから、そこはさじ加減ですが。先ほどの人物配置といっしょですね。そういうことに意識的でいられるのは、作家としてひとつの財産かもしれません。
高谷 だから読みやすいのかもしれませんね。
砂原 あと気にかけているのは、文章を磨いていくことですね。ストーリーやキャラクターって、長く書いているとどんな作家でもうまくいかないときがあると思うんですけど、文章は手を抜かなければ、そんなに荒れないで済むんじゃないかな。藤沢先生も、最後まで文章は崩れませんでした。
高谷 『高瀬庄左衛門御留書』に対しても、文体が好き、情景描写が美しい、という感想がとても多いです。
砂原 昔、ある大家が「小説家は読んできた本でできている」と何かの対談でおっしゃっていました。そのとき、「では、経験はどうなのか?」と思ったものですが、いざ自分がその立場になると、確かにストーリーや筆致は読んできたものや観てきたものに大きく左右されるなと思います。では経験はどこに生かされているのかといえば、人間を見る目みたいなところじゃないかと。少なくとも、僕自身はそう感じています。
高谷 砂原さんの書かれるセリフで、名言だと話題になるのは、誰にも経験として身に覚えがあるけれども、表現として新しかったりするものですよね。
砂原 みんながなんとなく思っていることを形にしてあげる。言われてみれば、というのが一番いいんでしょうね。
高谷 それも、人間観察の賜物でしょうか?
砂原 ただの野次馬かもしれませんが(笑)。まあ、僕は作家デビューまで15年かかったのですが、その間にいろいろと見たり思ったりしたことがポツポツ盛り込まれているわけですよね。20代のころは、自分にまだ時代ものは書けないという予感がありました。一人ひとりの人生に奥まで分け入って書くような小説というのは、ある程度の年輪を重ねないとできないんじゃないかと。だから、ちょうどいい具合に歳も重ね、人生の蓄積みたいなものができてきたときに声をかけてもらったのかな。精魂こめれば疲れもするけど、不幸じゃないといったセリフも、自分が常々思っていることですしね。というか、ぜひそう思いたいわけです(笑)。
高谷 そうやって砂原さんが日々を重ねていけばいくほど、厚みも増していくわけですね。
砂原 そうありたいですね。でも、僕に限らないんじゃないかな。誰しも、新しい日を一日重ねれば一日だけ、積み重なっていくんじゃないでしょうか。
高谷 そうですね。砂原さんのこれからの作品も楽しみにしております!
撮影/渡辺允俊
1969年生まれ。兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者となる。2016年「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞しデビュー。2018年『いのちがけ 加賀百万石の礎』を刊行。2作目となる『高瀬庄左衛門御留書』を2021年1月に刊行。