最寄り駅まであと少し。電車を降りるため、本書を読む手を止めた時のこと。それまでは気がついていなかったしおりの文字が、たまたま目に入った。「もう1行 読みたかったなあ~」。その言葉はまるで私の気持ちを代弁してくれているようで、思わずにんまり笑ってしまった。ほんと、早く続きを読まなくちゃ。内心つぶやきながら、カバンへしまった。
本書は、アメリカの南カリフォルニア大学や日本の国立長寿医療研究センターなどで、長きにわたり脳の老化研究を続けてきた著者による、「寿命を制御する遺伝子の探索研究」についての解説だ。といっても、自身の研究成果を中心に……ということではなく、ここ30年ほどのさまざまな研究者たちの、特に欧米を中心とした試みや競争を丹念に追ったものとなっている。
現在、寿命遺伝子はおよそ30種類近く知られている。ここでは、そのうち代表的な12個の寿命遺伝子が生命を制御するさまを、遺伝、脳、神経、時間、情報、分子修飾、代謝、そして進化などの観点からみていく。そうすることで、おそらくアルツハイマー病などの老年病への理解も深まるに違いない。
人間にとって、科学は少し難しい。しかし、その難しい科学研究と奮闘してきたのも人間なのだ。本書は「寿命遺伝子を誰がどのようにして発見したのか?」、つまり「研究者」という人間にも焦点をあてている。
正直、読み終えた今でも、すべてが理解できたとはとても言えない。初めて目にする遺伝子の名称や研究用語に、何度も混乱しては、前に戻って読み返した。ただそうするうち、遺伝子たちが何かの物語のキャラクターのようにも思えてきて、徐々になじんでいった。文章も、研究者に教えを受けているというよりは、生物の授業を聞いているようなフランクさで、意外にも読みやすい。著者の探求心と好奇心が行間からはみ出し、あたたかな熱として伝わってくるようだった。
また、研究の成果が次の研究を呼びよせ、先行する研究者が次の研究者につながっていく様子は、実にスリリング。ドラマか映画になってもおかしくない面白さとスピード感がある。たとえば線虫の2番目の染色体にある遺伝子を壊すことで寿命が延びた変異体は、「エイジ1」と呼ばれた。この変異体の働きを突き止めるには、「クローニング」という作業が必要となる。
遺伝子のクローニングとは、染色体上のその遺伝子がある部分を調べて、いわゆる「A」「G」「C」「T」の塩基配列を突きとめることだ。そうすることで、それらを組み合わせて表現される遺伝暗号がコードするアミノ酸が決まり、何のタンパク質なのかがわかるのだ。
このクローニングに成功したのが、ハーバード大学マサチューセッツ総合病院のギャリー・ラフカンのグループだった(通称「ラフカン・ラボ」)。そして、続く「ダフ2遺伝子」のクローニング競争の勝利者はというと……これもラフカン・ラボ! それも、第一著者は木村幸太郎(現名古屋市立大学)という日本人だったそうだ。ちなみにこのラボ、この後もさらに研究を続け、「ダフ16遺伝子」についても世界に先駆け解明し、論文を発表している。著者の言葉を借りれば「これで3連勝」だ。その喜びとほかの研究者たちの悔しさを、ついつい想像してしまう。
本書では全体を通して、生物の老化制御や寿命制御のメカニズムに触れられるだけでなく、遺伝子の研究がどのように展開され、続けられてきたのかもつぶさに知ることができる。そこには、止まることのない科学者たちの歩みと物語も詰まっている。21世紀に入って、より進歩を早める遺伝子研究の世界。この機にふっと覗いてみれば、きっと新しい楽しさが待っているに間違いない。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。