「さわる」と「ふれる」
伊藤亜紗
緊急事態宣言が出てすぐの頃だったか、オンラインの飲み会で全盲の知人が口にした一言が忘れられない。「まあ、これで人類全員が接触障害者になったようなものだよね」。
確かにそうである。新型コロナウイルスの流行によって、私たちは、自由な接触が制限された体を生きることになった。そしてその体は、いまや常態と化しつつある。その知人がまさに身をもって体現してくれているように、障害があるとは、その条件下で可能なやり方を探し求めながら、創造的に生きるということを意味する。ウィズコロナの時代、この接触が制限された体で、私たちはどう生きていけばいいのだろうか。
そもそも私たちは、他人の体にさわること、あるいはふれることについて、どれほど知っているのだろうか。健常者中心のこの社会では、人間関係も「視覚」が中心である。人と話すときには目を見ることが推奨されているし、「目は口ほどにものを言う」と言われるように視覚的な情報はときに言葉よりも重視される。
しかし、子育て、介助、看取り、性愛、といった人生の重要な局面において、私たちは視覚ではなく触覚を用いて他者と関わることになる。また障害がある人の中には、介助者と日常的に身体を接触させているため、触覚的な人間関係のほうが「あたりまえ」である人もいる。つまり、人間関係は視覚がすべてではなく、本当は触覚にもとづいた人間関係も存在するのだ。この社会の人間関係を、触覚を通して考えてみたら、もう少し違う社会が描けるのではないか? そんな関心から、十月に『手の倫理』(講談社選書メチエ)を上梓した。
触覚的な人間関係と視覚的な人間関係の違いは何か。ひとことでいえば、それは「距離」である。視覚的な人間関係は、お互いの物理的な距離を前提にしているため、個人が自律した状況が自ずと作られる。確かに自律は近代以降の人間にとって重要な意味をもってきたが、他方で自己責任論のように他者への攻撃性や分断につながる芽を含んでいる。
一方、触覚的な人間関係においては、他者との物理的な距離はゼロである。距離がないということは、怪我をしたり場合によっては殺されたりするリスクがあるわけだが、だからこそ接触には信頼が必要だ。信頼によって接触を許し合うと、そこにはお互いに身を委ね合うような人間関係が生まれる。二つの体は共鳴しあい、その境界はときに曖昧なものになるだろう。
本の中で特に重視したのは「さわる」と「ふれる」という二つの動詞のニュアンスの違いである。「さわる」は、「医師が患者の腹部にさわる」という場合のように、一方的で、どこか相手を物として扱うような接触を指す。これに対して「ふれる」は、「傷口にそっとふれる」という場合のように、相手がどう感じるかに配慮しながら接触の仕方を調整するような、双方向的な契機がある。
介助の場面では、「してあげる」という気持ちが強すぎると、相手の体を一方的に「さわって」しまいがちだ。しかしそれでは、相手は恐怖を感じるだろう。むしろ、接触面を通じてお互いの意思をさぐりあうような「ふれる」コミュニケーションが重要だ。一方、看取りの場面のように体の人間性が自然性に吞み込まれていくような場面では、その自然としての体がどうなろうとしているのかを虚心坦懐に感じ取るために「さわる」態度が重要になる場合もある。
本の出版にあわせて、「さわる/ふれる」エピソードを集める「私の手の倫理」プロジェクトも開始した。さまざまな職業、さまざまな立場、さまざまな場面にまつわるエピソードが寄せられ、その内容は順次私のウェブサイトにて公開している(http://asaito.com/project/2020/08/post_19.php)。
修復を専門にされている方の、仏像の手にそっと自分の手を重ねたときのどきどきする気持ち。久しぶりに介助を受けるときの、その人ならではの体の密着度や力の入れ具合を思い出す懐かしさ。危篤状態の義父の手をにぎり、義母が来るまでの時間稼ぎをするときの「さわる」感覚。どのエピソードも、そのひとつひとつがひそやかで、そして尊い。
触覚をめぐる記憶は、写真にも動画にも映らないため、自分だけの記憶として生々しく残り続ける。人と語り合うこともほとんどないような、きわめて個人的な記憶だろう。ささやかな接触面の中にも、おどろくほど豊かな人間関係がある。それを丁寧に掘り起こすことが、コロナ禍で気づかないうちに負った傷を、そっと癒してくれている気がする。
重要なのは、触覚的な人間関係は、物理的な触覚がないところにも成立するということである。たとえば、「声でふれる」。あるいは、「物語がふれる」。自由な接触が制限された接触障害の私たちにとって必要なのは、触覚がひそかに行ってきたことを丁寧に観察し、「接触しない接触」の可能性をさぐっていくことなのではないだろうか。
(いとう・あさ 美学・現代アート)
読書人の雑誌「本」11月号より