科学者にだって生活がある
ダ・ヴィンチ、コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートン……天才科学者たちが「何年に何を成し遂げたか」をテスト前に徹夜で覚えていた頃に、この本に出合いたかった。前のめりで勉強できたはずだ。でも、テストで無理やり覚えて、そのまま科学に疎い大人になってしまった今でも、この本は楽しかった。「わかる、わかる」と彼らと再会するのがめちゃくちゃ面白い。
『ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿 科学者たちの生活と仕事』は科学者たちの"勤め先と懐具合"にフォーカスを絞った本だ。そう、彼らだってお金がなきゃ生きていけないし、研究だって難しかったのだ。
当たり前の話なのに、歴史的発見や業績にばかり目がいって、彼らの生活基盤は見落としてしまう。コペルニクスの学費は誰が出していたのか? ケプラーはどうやって食いつないだのか? 単純にそれだけでも「知りたい!」となるけれど、そもそも、この本はなぜそういった懐事情や求職活動を取り扱ったのだろうか。
たとえばガリレオといえば「それでも地球は回っている」というセリフが有名な科学者だが……?
しかしこれだけではなにか物足りない。ガリレオの物心両面の息遣いといったものが伝わってこない。普通の人名辞典では、科学者についての記載は、紙面の制約もあって業績中心にわずかな記載で終わる。(中略)しかし、かなり分厚い科学史書でも百科事典の拡大版に過ぎないことがある。そこには科学者がごくありふれた人間として、日々、悲喜こもごもに感じながら人生を生き抜いた過程の描写が不足している。
人間としての息遣い。今まで知るチャンスがなかったし、だから、彼らは私にとって面白い存在ではなかった。
この本は天才科学者たちのすぐ側まで近寄ろうとする。脚色やイメージは取り除き、年表や資料を丁寧に紐解いて、なるべく公平に、誠実に、その顔を見ようとする。そうしてわかるのは彼らの科学への情熱だ。
ガリレオを大科学者の列に加えさせているものは、科学者として真理を擁護したという道義的規範ではなく、あくまでその科学上の達成の高さなのである。
この視点がすごく好きだ。この視点に導かれて科学者の人生を巡ることができた。生まれて初めて科学年表を読み込んでしまった。
本音を伏せて自分を売り込むダ・ヴィンチ
本書でまず登場するのはダ・ヴィンチ。ルネサンス期の科学は「職業」ではなかった。なので、財政的後ろ盾である「パトロン」が必要だった。
ダ・ヴィンチもパトロンたちがグッと来るような言葉を並べ、自分を売り込んでいたのだ。軍事技術者として役に立つ自分、建築・絵画・彫刻を自由に引き受ける芸術家……ダ・ヴィンチがミラノ公国の君主に送った自薦状を読むと、とにかく「戦争でも平時でも私は誰よりも役に立ちます!」というアピールがすごい。そして作者の佐藤満彦先生はこう締めくくる。
だが、科学の基礎研究をしたい、という本音はおくびにも出さなかった。科学は実用性がより重く見られる、という古今東西を通じての宿命のようなものが、この自薦状から感じとれる。
現在でもよく聞く話だ……。
本書の第I部では、科学者たちがいかにパトロンを得たかの苦労が綴られている。ダ・ヴィンチに限らずガリレオも苦労をしている。
(前略)パトロン時代の科学者にとって大学は、パトロンが彼らを集め収納しておく容器の役を果たしたともいえる。権力者たるパトロンの覚えがよくなければ、契約期限の到来とともにお払い箱にされる運命にあった。
科学的な価値の有無ではなく、パトロンからの印象で研究が続けられるかどうかが決まる。だから、科学者の生活基盤は、科学の発展に大きく関わっていたのだ。
副業で占星師となったケプラー
個人的に本書で一番好きだったのはドイツの科学者・ケプラーの人生だ。友達に「ケプラーってすごいんだよ!」と言いたくてしょうがない。
科学の歴史上、「知りたい」の一念で生活の安穏を放棄した人はいくらでもあげることができる。しかし、彼ほど執拗に貧乏神に憑かれ通しだった科学者は稀である。
最初から最後まで多難続きで、科学者には珍しく妻帯者で子供もたくさんいて、ひたすら生活が大変だったようだ。
そんな彼の最初の仕事では、占星暦編集も兼務しなければいけなかった。
彼は、科学するために「不本意ながら占星師に身を落とさねばならなかった」のである。
なぜ科学者であるケプラーが占星師をやらなきゃいけなかったのか。本書は、当時の社会背景と歴史をもとに解説する。しかもケプラーの占いは意外なほどよく当たったそうで、今まで「ケプラーの法則」しか知らなかったのに、一気に鮮やかで生々しい存在になった。
占星師で糊口をしのいだ話に始まり、ケプラーの結婚相手に求める基準が「貧乏生活に耐えうること」であったことを読むと、もう本当にケプラーって苦労ばっかりだったんだな……と思うが、同情だけで終わるなんて絶対にもったいないことも、本書は教えてくれる。
帝国内の各地を転々としたのは、宗教上の騒乱を避けつつ、職を得るためだった。(中略)もし彼がイギリスあるいはフランスに生を受けていたら、と仮定して同情するのもよいが、「知りたい」の一念でよりよい研究環境を求め歩いたこの科学者の心意気に敬意を表するべきではないだろうか。
ここを読んで背筋が伸びた。本書の優しくてまっすぐな目線がとても好きだ。悪玉と言われたフックも、善玉と言われたニュートンも、彼らの生い立ちや生活を紐解き、科学的業績とともに、一人の人間として描いている。だから彼らの人間臭さに親近感を覚えつつ、彼らの「知りたい」に突き動かされた強烈な人生にクラクラする。おなじみの美談やイメージを取り除いたあとに浮かび上がるのは、科学史のドラマだ。とても骨太で力強い。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。