ダーウィン博士、すみません──。喰わず嫌いにもほどがある。「進化学」がこんなに面白い学問なら、もっと早くに門を叩けばよかった。
でも、そう思えた私はラッキーである。「進化学」をめぐる最高の入門書であり啓蒙書であるこの1冊に出会えた。
本書まえがきに、著者はこう書いている。
本書の目的は、進化を巡る謎解きのストーリーとその成果を読者に楽しんでいただくこと、そして進化を共に考え、知り、楽しむ「進化学ファン」を世に増やすことである。
いきなり進化、進化、進化のオンパレードに、思わず身構えた。「進化論」や「進化学」のことは気にはなるけど同時に煙たくも思っていたからだ。強くて、有能で、美しきものへ向かって進んでいく──。それが進化であり、それを為し遂げたものだけが生き残る。そのプロセスを生物学的にモットモらしく検証して説いていくのが「進化学」、なのであればそれはちょっと窮屈だなあと。
ところが、これがとんでもない私の勘違いだとわかった。
冒頭で、著者は「ダーウィンが考えた生物進化の意味」を整理する。二つの特徴があるという。一つは、
生物進化は遺伝する性質に起きる、世代を越えた変化である
ふむふむ、ここまでは誰もがなんとなく。しかし、「もう一つの特徴」を読んで目が覚めた。
生物進化は性質の発達や発展の意味ではない。方向性のない変化の意味である。進化の過程では、体の一部が発達したり複雑になったりすることがあるが、その逆もある。(中略)『種の起源』の初版では「転成」(transmutation)という用語を使い、「進化」(evolution)という用語を使わなかった。
なんと! そうだったのか。ダーウィン自身が「進化」という言葉の窮屈さにナーバスになっていた証ではないか。俄然、その先を知りたくなった。
講義序盤のオリエンテーションは、じつに鮮やかだ。
「進化論」の着想へと導いたマネシツグミ(鳥)の形質変化についてのダーウィン自身の“気づき”に始まって、やがて世に流布していくダーウィン伝説の紆余曲折。さらに、ある時点から『種の起源』着想の原点として認識されるようになったダーウィンフィンチ類(鳥)の進化を解明していく“後継ダーウィン”たちのエピソードまで。『種の起源』がまさに転生していく過程をコンパクトに紹介していく。
とくにグラント夫妻の研究について語るあたりで、「進化論」のエッセンスを明解に示してみせる。
彼ら(グラント夫妻)の研究は、私に幾つものアイデアの素材となる知識を与えた。特に重要だったのは、ある性質の有利・不利は、環境が変われば逆転しうる、という点だった。(中略)集団の中で今はまだ少数派の、役に立たない、あるいは不利な性質の中に、未来を制するものが含まれているのだ
グラント夫妻は、40年という短いスパンの中でリアルタイムに起こる「進化」を観測・分析し、「種分化」を実証した“後継ダーウィン”のひとり。その研究によれば、フィンチ類は大陸から遠く離れたガラパゴス諸島の島ごとに数種ずつ生息する。山側・海側に棲む種、固い大きな種子を割って食べる種、小さな実を啄む種……。同じ島内で進化・種分化したという。
リアルタイムで進化していく様子が興味深い。例えば、嘴(くちばし)の形質はこんな具合に進化する。ある時エルニーニョに伴う気候変動によって島の植生が変わった。フィンチが好んで食べていた固く大きな種子が減った代わりに、小さな種子が増えた。それまでは大きな嘴をもつ個体の方が固く大きな種子を割って食べるのに適していたが、小さな種子を啄(ついば)むには都合が悪い。すると徐々に小さな嘴をもつ個体の生存率が高まり、やがて種集団を作り、種分化した。40年間で他にもそうした環境変化に伴う「進化」が何度も起こったという。
「進化」というと、何十万、何百万年という年月を想像するが、意外にも人の半生程度のタイムスケールで現れたと知って驚く。と同時に、「進化」自体が多義性を含むことに興奮を覚える。
すると、著者の講義は生物学を超えて、思いもよらぬ分野へ広がりはじめた。
刻々と変化していく環境の中では、どれが有利になってどれが不利になるかは、事前には誰にもわからない。どの変異が役に立つかは、後にならなければわからないのである。
この変化する環境下での自然選択による適応の過程は、イノベーションの素材=「知」を選び出し、組み合わせて洗練させ、役立つ新技術や売れる新商品に変えていく過程と似ている。(中略)どんなに強い選択がかかっても、多様な遺伝的変異がなければ、環境への新たな適応は生じない。それどころか強すぎる選択は、変異をどんどん削ぎ落とすので、多様性が失われ、進化は止まる。
世のビジネスマンは身につまされる。「選択と集中」なんてフレーズに自分を閉じ込めていると、プロジェクトを「進化」の真髄から遠ざけてしまいかねない。いやあ「進化学」の視点はじつにラディカルである。
そんなことを思いながらさらに読み進めると、著者自身の口から真逆の、如何にも中間管理職的な「選択と集中」発言が飛び出した。
すぐに成果に結びつき、論文になる所に資金を集中的に投入せねばならぬ。限られたリソースの下では、それが最も効率的で生産性が高いやり方なのだ。選択と集中である。
実社会では、著者も研究室のトップとしてプロジェクトを差配する一人の管理者なのだった。プロジェクトメンバーは、ポスドクや院生など“未来のダーウィン”たち。ときには、著者が信じる「進化」の真髄と相反しかねない、いかにも管理者らしい理屈に取り憑かれる。そんな時は若き日の自分に立ち返り、ポスドクや院生らの胸の内を想像してみる。
今、自分が与えようとしている研究ミッションは果たして誰のためのものか。我が為か、彼らが為か。また、ミッションを遂げるために、大局を見るべきか現場にこだわるべきか。
ときに迷いながら、歩を進めていく。そんな人間臭さが随所に滲むのも本書の魅力だ。「現代のダーウィン」たちの群像ドラマは、決して一本道に進まない。研究もまた然りである。
著者の研究素材は巻貝。なかでも小笠原諸島のカタツムリが専門らしい。一見すると地味でローカルな専門領域のようだが、その研究交流はじつにグローバルだ。本書には世界中の様々な生物を研究対象とするユニークな進化学者が次々に登場する。実際、冒頭のグラント夫妻のフィンチ研究は著者の巻貝研究に影響を与え、その成果は翻ってグラント夫妻のその後の研究にも示唆を与えているという。
一つの祖先種が突然変異や自然選択を繰り返しながら、環境に応じて新たな種集団をつくって進化を遂げていくように、ある研究が別の研究と交わることで、新たな知見へと転生していく──。
このプロセス自体が「進化」の真髄であり、さらに言えば、学びの尊さそのものだ。進化学とは生物学の一分野ではなく、あらゆる学問の地平を見渡す壮大な学問なのだと思い知らされる。
レビュアー
出版社勤務ののち、現在フリー編集者。学生時代に古書店でアルバイトして以来、本屋めぐりがやめられない。夢は本屋のおやじさん。