麺と、食文化と、世界が好きになる。
「蕎麦がき」を生まれて初めて食べたとき、「“麺”を発明した人ありがとう」と心の底から思った。蕎麦がき本人には申し訳ないが、味より何より「人類の進化」みたいなスケール大きめの気分が「喉越しのいい蕎麦切り」と一緒に頭を駆け巡ったのだ。食は人間をムキにも壮大にもする。蕎麦がきのプリミティブさも愛らしいが、やっぱり、麺が一番好きだ。
だから、理科も化学もまるで苦手なのに『麺の科学』を読みたかった。
こういうのが見たかった! 「うどん好き」といってもいろんな派閥があるが、五島うどんと稲庭うどんは、電子顕微鏡レベルでも別人だった。こんなめくるめく麺の世界が待っています。
で、読んだあと私に何が起きたかというと、もともと大きめだった麺への愛情がさらにムクムクと育った。新しい方法でスパゲッティを茹でて、お腹も心も満ち足りた。……ここまでの展開は読む前から予想していたのだが。なんと最終的に心が大きくなった。おおげさじゃなく。理由は大きくわけて2つ。それらを通して本書を紹介したい。
1:麺の大河ドラマとミクロの世界
まず、顕微鏡レベルからどんぶりサイズまで、あらゆる「麺のお話」がフルスケールかつグローバルに揃っているので、星を見上げるような気持ちになる。生麺も乾麺もインスタントもみんな美味しく語られている。どこを読んでも、どこから読んでも、麺のたのしい世界に放り込まれます。「はじめに」の言葉からすでにワクワクする。
筆者はもともと食品プロセス工学といって食品の製造に関する技術分野が専門ですが、食品を高品質で製造するには食品の化学が重要であると考えており、職人さんたちの疑問に答えてきた結果、素麺、冷や麦、うどん、蕎麦、あるいはスパゲッティといった麺の品質特性について、ある一つの概念にたどりつきました。(中略)ある一つの概念とは、小麦という植物が進化してきた厳しい環境で獲得した形質と深く関わっており、それが小麦粉の特性に強く現れていることです。
そう、小麦粉。小麦粉、めちゃ不思議だったんですよ。なんで世界中で粉々にされているのか。こんな素朴な疑問について「小麦の起源」と「小麦の科学的特性」を通して、きちんと答えをくれました。まず小麦の断面図から。
小麦、こんな顔してたのか。上部がクリッと丸まっています。
微生物が侵入しやすい構造となっており、身を守るという観点から一見不利なようにみえます。
この構造が「水の少ない砂漠でも生きられるという利点」にも繋がっている……という小麦の生存大作戦が語られます。小麦は、この丸腰スタイルと麦の穂のツンツン(ノギ、という名前です)などを総動員して、水が少ない地域でも枯れずに生きていけるんです。ということで、カサカサの土地でも育つタフさと、粒の大きさゆえ、小麦と人間は1万年以上も前からお付き合いが始まることに。ところが。
小麦を食品として見た場合、皮部は何とも風味の悪いものです。
皮が美味しくない。でも、本書によって小麦には小麦の事情があることもわかったので、小麦を責めることはできない。
エジブト文明の壁画には、サドルカーンと呼ばれる石でできた粉砕器で穀物を粉砕している様子が描かれている (後略)
ピラミッド作る時代の人だって、美味しくないものは食べたくない。わかる。だから粉砕して皮を取り除く工程が入り、小麦粉が生まれました。さらに小麦粉の食べ方は2つのルートにわかれます。一つはパンのコース。そしてもう一つが、我らが麺です。
もう一つは練った生地を小さくちぎって「すいとん」のように食べることでした。(中略)だんだんいろいろな形状になっていき、最終的に細長い麺になりました。
まるで大河ドラマのようだ。物語は「小麦の成分」たちが「麺の美味しさ」と、いかなる関係にあるかにシフトチェンジします。
パンや麺といった小麦粉二次加工製品の品質に強く寄与するのはデンプンとタンパク質の2つです。
ここで「あら?」となる。麺類(小麦粉)って糖質だった気が。タンパク質あるの? この引っ掛かりについては第3章の「麺の栄養学」で述べられています。
麺の主要な原料である小麦粉は、タンパク質(10%程度)と脂質(2%程度)に関しては少なく、栄養学的には糖質源と位置づけられます。しかし、小麦粉のタンパク質は水和してグルテンとなり食感をよくし、脂質は風味や品質変化に関わるなど、さまざまな働きがあります。
たとえ少ししか含まれていなくても「麺の美味しさ」に作用する成分については、本書はとことん語り尽くします。
小麦のタンパク質(小麦グルテン)のアミノ酸組成図です。先に紹介した小麦の大河ドラマと、この表はつながっています。この細かな数字たちは小麦が厳しい環境を生き抜いてきた証……ますます壮大な気持ちになる。
うどんは生地を練った後、一晩寝かせるという作業がありますが、これはクロスリンクの時間効果を狙ったものといえるでしょう。
うどんの工程にも科学的な名前がついて、仕組みを解き明かします。
しかも小麦だけじゃ終わりません。蕎麦、米、ジャガイモ、サツマイモ、緑豆、キャッサバといった作物についても丁寧な解説があります。流行中のタピオカにも詳しくなった。とにかく壮大です。
2:もっと美味しく、もっと良くしたい
麺を美味しく食べたいだけだった私の心が、読後ちょっとビッグになった理由のもう一つは、「より良くしたい」人たちの気持ちに触れたから。麺を作った人、今まさに麺を進化させている人、みんなと握手をしたくなる。
筆者が食品の化学と工学に関わるようになってから、麺職人といわれる方々は、ご自身の匠の技の科学的な意味を求めていることを強く感じています。腕によりをかけて作った麺の歯ごたえが強いのはなぜだろうか。素麺はなぜ保管しておくだけで歯ごたえが増すのだろうか。ゆで水によって麺の食感が変わるのはなぜだろうか。さらには国産小麦を使ったうどんの風味が強いのはなぜだろうか。これまで筆者はこういった職人一人一人の疑問に答えたいと努めてきました。
「疑問に答えて、麺を美味しくしたい」作者の情熱が本当に素敵なのだ。それに、麺の匠でもなんでもない私にとっても、ラーメンのあのラーメンらしさって何者? 麺を茹でるときに吹きこぼれるのは、どうにもなんないの? ……などなど疑問が尽きない。でも、なんせ目の前の麺を味わうことに夢中だし、作り方は教えてもらえても、仕組みは誰も教えてくれなかった。本書はそんな「知りたい」と「美味しく作る秘訣」をたくさん教えてくれる。
ということで、実践編についても紹介したい。ここにも科学と情熱が込められていた。たとえば「スパゲッティの水蒸気調理法」。
スパゲッティの水蒸気調理法は、試行錯誤の結果、フライパンに400ccの水を入れて、沸騰させたところで、スパゲッティ乾麺100gを入れて標準時間調理する方法がいいという結論に達しました。
こちらを実際に試してみます。ぎゅっと捻ってパスタを半分に折って、恐る恐るフライパンに投入。
たまたまフライパンの蓋がガラスだったので中を見ることができた。吹きこぼれないが、ブクブクが豪快すぎる。大丈夫なんだろうか……。
そして完成したのがこちら。ブクブクいい続けるフライパンを凝視しすぎて茹で上がるラスト4分までソースのことを完璧に忘れていたので、大慌てでペペロンチーノに。湯切り不要ですぐ作れました。
茹でる際に塩は入れません。大事すぎて茹でるときには絶対使えないマヨルカ島の塩を足して完成。とにかくモチモチ。この食感についても、『麺の科学』は「モチモチになります」では終わらない。光学顕微鏡の画像付きで丁寧な解説がある。まさか自分が光学顕微鏡の画像を見て「こりゃ美味しいわ」とうなづくなんて……と衝撃だった。そしてこの調理法でもう一つガツンと衝撃を受けることに。
もう一つ、スパゲッティの蒸し調理の利点として、水の節約と環境に優しいという点が挙げられます。(中略)水資源の節約、また、デンプンの溶けた排水を抑えることで環境負荷低減につながるはずです。
本当だ。あの茹で水、毎週捨ててる!
そこでどれくらい環境負荷低減につながるか評価をしてみました。
ここから続く「乾麺の年間消費量」と「使用する水の量」の数字にクラクラした。
こんなふうに、どの章にも作者の山田先生の麺への愛とサービス精神と探究心がつまっている。だから読後とても広々とした気持ちになったのだと思う。
麺の歴史と小麦の成分値に「へええ!」となり、食感・香り・うまみといった麺の美味しさのパラメータの一つ一つと、栄養と、調理法への理解が深まる。麺のことも、世界のことも、とにかく大好きになった。「あとがき」に綴られた「うどん愛」もしみじみ良い。国内旅行の目的地をうどん視点で選ぶのも楽しそうだ。あと、「冷凍うどん」のストックは絶対に切らさず、上手に調理して、美味しくいただきます。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。