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2018.05.27

レビュー

【幸せすぎるパンの科学】パン人生がふくらむ「香りと食感」の全工程

クラストの食感はパン生地の表面部分の炭化の度合いによって厚みが変化します。薄ければ食感は柔らかく感じ、厚ければ硬く感じます。(略)一方のクラムはパン生地が加熱されることで膨張した後に固化します。クラムはグルテンで形成された無数のセルで構築されているので、加熱によって余分な水分が蒸発することで、それらが弾力のあるスポンジ状(海綿状)の組織に変化します。

本書の「パンの食感と味の秘密」の1節の書き出しです。クラスト、クラム、グルテン、セルなどの用語はパン作りをしている人にはなじみが深いと思います。もちろんこれらの言葉を知らなくてもパンの美味しさはわかります。でも美味しさの秘密を知れば自分の味覚の世界を拡げることができます。パンについてパン好きな人と語り合い、情報交換もできるでしょう。情報も、美味しいベーカリーの紹介だけでなく(これは重要!)パンの作り方の違いといった実践的(!)なものになるでしょう。ホームベーカリーも普及していますし、どこからどのようにしてパンの美味しさが生まれてくるのか知れば自分の腕磨きにも役立ちます。(クラム:スポンジ状で柔らかい部分。クラスト:外側のカリッとした焼き色のついた部分)

この本を一口でいうとパンとはそもそもどういうものか、どこで生まれどのように広まっていったかという歴史、さらにパンはどのようにしてパンになるのかまで詳述したパン百科です。新書というコンパクトな体裁ですが書かれている内容は十分に膨れ上がったパンのようにいっぱいです。(小麦の栄養分析もしっかりと記されています)

多くは小麦粉を主原料とし、それに水、塩、イーストの基本材料とその他の副材料(砂糖、油脂、卵、乳製品など)を混ぜ合わせてパン生地を作る。次にイーストのアルコール発酵によって生成される炭酸ガスを利用してパン生地を膨張させる。それらの生地を分割・成形した後、最終発酵を経て加熱(焼く、蒸す、揚げるなど)によってパンに加工すること。

これが著者によるパンの定義です。抽象的な定義ですので、かえってここからはパンにはたくさんの工夫がなされてきて、またこれからも新しさが追究できるということがわかります。 たとえば基本材料の選び方、穀物の混ぜ方、塩加減、副材料等の選択には無限といっていい組み合わせがあります。またグルテン化させるための練る(揉む、叩くも)というところでも力や時間の違いなどでもパンの仕上がりに大きな差が出ます。 さらにインドのチャパティーのように発酵させない(無発酵)パンまでを含めれば自分の好みのパンはいくらでも追究できるのではないでしょうか。

ですから自分の好みの味をつかむには、パンの製造の過程でどのようなことが起きているのか科学的に知ることは役に立ちます。そのための知見に溢(あふ)れているのがこの本です。 たとえば「パンの骨格を作るグルテン」。小麦粉を水と合わせていくだけですが、そこではグルテンは4つの段階に変化します。点と線のような構造から複雑に絡み合った構造まで変化します。はじめは硬いグルテンは酸化することなどグルテンの「弾性」「伸張性」にさまざまな違いを生じます。ですから捏ねる時間や強さによって変化します。

グルテンは疲労してその性質を失うまでは、「緊張と緩和」の繰り返しが可能となります。実際のパン作りには、この弾性の「緊張と緩和」を活用しています。

さらにこのグルテンの特徴に大きな影響を与えるのが塩です。

現象としては明らかに生地が引き締まり、ベタつきも減少します。これは弾性(抗張力)が強化され、粘性が減少するからです。

塩は塩味を出すだけでなく、酵母などの「増殖速度を抑制」するとともに、グルテンの構造に大きな影響を与える素材となっています。「塩はグルテンを鍛える」というパン職人の言葉があるそうです。塩はパン生地のベタつきを緩和し、弾力を強めます。と同時に塩に含まれるミネラル類が「えもいわれぬ旨さ」をもたらします。 この塩を始め、小麦粉、イースト、水をパンの4つの主役としてその意味合い、効果などを詳述した章はパンの作り手だけでなく、味わい手(!)にも必読です。

さらに主役に続いて4つの脇役が登場します。糖類、油脂、卵、乳製品がそれにあたります。とりわけ重要な脇役は糖類です。イーストの栄養になる、ならないという糖類の分類もさることながら、糖類はパンの焼き色(クラストカラー)に深く関わります。これを生み出す反応(メイラード反応とキャラメル化反応)は、あのパンの魅力的な香りにも関係します。(これらの反応がどのようなものなのかは本書を読んでください。わかりやすく丁寧に解説されています)

かつてパンを美味しく作る手助けをする妖精がいるといわれていました。この本はその妖精の仕事ぶりを科学の目で検証したものです。一見難しそうな分子式や構造式、素材や加熱などの反応のプロセスも丁寧な図表で解説されています。この本を読むと、パン作りをしている人には、妖精の仕事ぶりに自分の個性を加え、より自分風の美味しさを追求できるヒントが見つかると思います。 著者もこう記しています。

分析のテクノロジーが進んでいるとはいえ、すべての香りや味の科学的な特定はまだまだ難しく、人の五感に訴えかける微妙な成分や、それを受けとる人の嗅覚や味覚の分析はまだまだこれからといえましょう。ゆえに「味」の秘密の解明は、未だ「秘密」の部分が多く残されています。

そして食べるのが好きという人は「種類豊かな欧米のパン」の章から読んでみてはいかがでしょう。多くのパンがどう生まれたか、そのパンの秘密をきっと知りたくなると思います。そう感じたら、この図を手にパンの世界をたずねてみましょう。もっとパンに惹かれるようになると思います。

写真協力:Sekiguchi

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の2人です。

note⇒https://note.mu/nonakayukihiro

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