対人関係や仕事のことで妙に落ち込み、負の海の中で溺れかけていたある日、ふと、何か贅沢でもしてみようかな、と思いついた。そのまま勢いで検索エンジンに「旅館 贅沢」と叩き込み、出てきた静岡の老舗旅館を熟考することもなく予約した。
翌日、旅館から電話がかかってきた。「余っていた部屋はすべて二人部屋で、宿泊費も二人分かかるのですがいいですか?」と丁寧に尋ねられた。その時になって、存在しない人間の飲食代や空間分まで支払う無駄というのは究極の贅沢ではないだろうか、と半ば強引に思い込むようにして、「大丈夫です! そちらでぜひお願いします!」と宿泊代も聞かずに承諾した。
当日は車で三時間近くかけてゆっくりと向かった。快晴で、とても気持ちのいい日だった。
旅館に着いたら、思っていたよりもすることがなかった。ひとり旅はそれなりに楽しめるほうだが、いつもの自分とは何か様子が違った。二階から見渡す、春に色づいた山景色に感動しようとしても、無になろうとしても、次々と浮かんでくるのは心が破裂しそうな苦しいことばかりで、気が滅入っていく一方だった。
隣の部屋から若い夫婦らしき談笑の声が聞こえてきたのをきっかけに、ふかふかのキングベッドの上でのたうち回るように泣きだしてしまい、涙で濡れた枕を柔らかい陽ざしに当てながら、選んで得た一人の空間に、一人で来てしまったことを強く呪った。結局泣き疲れて、何もせずベッドを下りて床で寝た。これは贅沢ではなくてただの苦行である、と後悔しながら。
しばらくして、外から笛の音が聞こえてきて目が覚めた。頰に畳の跡がくっきりと残っていたけれど、催しの気配に引き寄せられるように部屋を出てみると、庭の大きな池の上に建てられた能舞台の上で、太鼓や笛が神秘的に響き渡っていた。渡されたパンフレットに目を通しながら鑑賞していると、静かな水面の上で、一人の男性が歌を詠み始めた。
──願はくは花のしたにて春死なん その如月の望月のころ
西行の詠んだ和歌だ。
「願うことには、旧暦二月十五日の満月のころ、桜の花の下で死にたい」
さみしさは年齢を問うことはなく、その輪郭は尖ったり丸まったり形や大きさを変えていき、その果てしなさに疲れたりあきらめたりしながらも、とことん向き合っていかねばならないのだろう。自分が望む時期に、自分が望む死を経験できることを、どんな時代でも人々が普遍的に願ってしまうのは、絶望ではなく強い励ましだった。「西行もそうだったのなら、私も仲間なんじゃないのか?」と勝手な解釈とともに、会ったこともない偉人に思いを馳せることができた。
現代に西行がいたとしたら、と想像する。西行だって、こんな春の晴れたやさしい日に、かすかに揺れ動く花に目もくれず、キングベッドの上でわんわん泣いてしまうのかもしれない。けれど、私のように畳の跡を頰には決してつけず、素晴らしい歌に落とし込み、自身のさみしさの形を改めてなぞり眺めながら、美しい眠りにつくのではないか。
そんな風に無駄な贅沢を消費している中で取り掛かって書いたのが「春、死なん」だった。宿泊費十八万円(おったまげ~)に適切に見合った土産なのかはわからないけど、この和歌が支柱となって生まれた物語で、しかも初めての文芸誌掲載で、私は純粋にこの機会をいただけたのがうれしかった。
「ははばなれ」は、「春、死なん」から一年後の二〇一九年十二月号の『群像』に掲載された。いつも主人公の名前は最後に決めるのだけど、令和になったタイミングだったので、「暦が変わる」というところから「コヨミ」と主人公の名前を気持ちよく決めて書き始めた。
ちょうど、東京オリンピックを控え、世の中のルールや規律が少しずつ変わろうとし、国の見せ方を、それは同時にその国にいる人々の立ち方や価値観までも、問われ始めていた時期だった。そんな時に、年号が令和に代わった。すぐに流れ忘れ去られていく膨大な情報の波の中で、私でも必ず思い返せる瞬間になったのは間違いない。
世界が確実に、だけれど目に見えにくい形で変わるという一種の高揚と、その世界に追い付けなさそうな自身の焦燥感から立ち上がった気持ちも、書いている中にひっそりと潜んでいたように思える。そんな変化の予感が不穏に感じられて怖くて、わからないことがわからないまま増えるのが嫌で、過剰に震えていたのかもしれない。私は相当、臆病なのだなぁと思う。
もし懲りずに泣く贅沢を再び味わうことになるなら、次もまた春がいい。
紗倉まな(さくら・まな AV女優・作家)
読書人の雑誌『本』2020年3月号より