離れてしまった故郷
かつて私が勤めていた会社は合併してしまって今はもうない。商品のブランドとして名前だけは残っているが、社内の様子はすっかり変わってしまっているだろう。 それなのに私はたびたび会社のことを思い出す。病気のために辞めなければならなかったことが不本意で、もし今でも働き続けていたらどんな人生だったのだろうと考える。
離れてしまった故郷を思う気持ちに似ているかも知れない。
なくなってしまった会社が、平成の大合併で都市にのみ込まれ、名前や景観の変わってしまった市町村と重なる。美化していることも、懐かしいのは遠くにいるからだということもわかっている。それでも思い出してしまう。
社風は顔に出る
それにしても、会社というのは変な場所だ。気が合うわけでも趣味が合うわけでもない、年齢も出身地も違う人達が毎日顔をつきあわせている。そして、おそろしいことにだんだん似通ってくるのである。関連業者が集まるゼネコンの工程会議では、名乗らなくても表情や態度だけで社名がほぼ、当てられた。社風は顔に出る。
私は営業だったから、一度も行ったことのない場所に配属され、予期せぬタイミングで転勤が決まった。車の運転にしても、今住んでいる群馬県にしても、自分ではわからなかったことが意外と向いていたり、大好きになったりした。
もちろん、理不尽ではある。
バカバカしいこと、くだらないことが山のようにある。好きな人とは遠距離になるのに、嫌いな人と朝から晩まで同行したりする。びっくりするほど無責任な人もいるし、信じられないような間違いも起きる。離れてみればいい会社だが、働いているときは腹を立ててばかりいた。
でも、面白かった。
話の上手い人が多い会社だった。定番の小咄がたくさんあった。仕事をサボって海に行ったら潮が満ちてきて車がスタックしてしまった話とか、皆が止めるのを押し切ってローカル線の始発で出張に出かけた後輩が行商のおばちゃんに囲まれて居心地の悪かった話、お客さんに頼まれたことを書くとなぜか内容を忘れてしまう「お忘れ帳」のこと、喧嘩の話やもてて困った話もあった。何度聞いても面白い話は、民話と似た構造を持っていることに気がついたのはずっと後になってからのことだ。会社は、私にとって物語の故郷でもあった。
やがて悲しき「チャラ男」
『御社のチャラ男』に出てくるジョルジュ食品は、もちろん架空の会社だが、書けば書くほど話がいびつになり、書ききれないことが浮上してくるので、苦しい仕事になった。後から似たようなニュースを聞いてヒヤッとしたり、現実に比べたらつまらないことばかり書いているような気がしてがっかりするときもあった。今なお古くさい慣行や筋の通らない方針がまかり通っている会社はたくさんあるが、小説で描いてしまうと、リアリティが薄れるかもしれないという不安もある。
一方で「チャラ男」については書いているうちに、どうにも憎めない存在に変わっていった。女性には隔てなく親切、見栄っ張りで負けず嫌い、偉い人には気に入られるのに男性社会には馴染みにくい、狡猾なのに損をしてしまう。その複雑さと「やがて悲しき」姿が、とても人間らしいと思う。確かめたことはないが「チャラ男」はどこの会社にもいるだろう。そして、「チャラ男」の周辺では、必ずバカバカしい事件が起きているはずなのだ。きっとこの小説には読者それぞれの「続き」があると思う。
絲山秋子(いとやま・あきこ 作家)
読書人の雑誌『本』 2月号より