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2019.12.19

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【乱歩賞作家のオーケストラ・ミステリー】時価2億のヴァイオリンが消えた!

二十年来の夢ついに! オーケストラ・ミステリ!

デビューから五年ほど経った頃、『ウィーン薔薇の騎士物語』というシリーズを書いたことがある。十九世紀末ウィーンのオーケストラを舞台に、音楽家志望の家出少年や皇帝の私生児、ヴァンパイアの一族かもしれない美少年たちがさまざまな事件に遭遇しながらその謎を解いてゆくジュヴナイル・ミステリだ。これはテーマがマイナーなためもあってそんなにものすごく売れたというわけにはいかなかったが、ありがたいことに、ファンの方々にはとても熱心に支持していただいた。今でも続編をと言われることがあるし、時には、高野史緒の作品の中ではあれが一番だったのにと惜しまれることさえある。私の作風からすると本筋ではないジュヴナイルだということを考えれば不本意と見ることもできるが、しかし同時に、やりたいことを素直にやった作品に対しての言葉という意味ではありがたいのだった。

続編のことは考えたことがないわけではない。別な出版社からもお誘いはあった。しかしこの頃すでに、私の中にはもう一つ、どうしてもやってみたい別な夢が生まれていたのだった。日本のアマチュア・オーケストラが舞台のミステリだ。

それから実に二十年もの歳月が流れてしまったのだが、私自身もその分経験を積み、満を持してその計画を実行することとなった。それがこの『大天使はミモザの香り』なのである。

アマチュア・オーケストラというものは世界中にあるが、どうやら日本はその中でも際立ってアマオケ文化が発達している国らしい。団体の数は東京近郊だけでも百を超え、学生オケや吹奏楽団、臨時編成オケ、古楽やオペラを専門にする団体、小規模なアンサンブルまで含めたら、日本全国には四桁に達する団体があっても不思議ではない。どういう統計か知らないが、一説には、日本人の二十五人に一人は吹奏楽の経験者なのだという。とすれば、オーケストラの経験者も実はけっこうな数に上るのではないかと思う。

特に上手い団体の中には藤倉大やジョン・C・アダムズ等、プロにもなかなか演奏困難な現代音楽作品をこなしてしまうところもある。そして何より、初心者歓迎のところから玄人はだしのところまで、どの団体も演奏が実に楽しそうだ。プロオケの演奏が熟練した名演を目指すものだとすれば、アマオケの演奏は音楽が生まれいずる瞬間の喜びを感じさせてくれるものだと言えるだろう。

私は思うのだ。百年に一人の大天才を輩出するけれどそれ以外の人たちはアマチュア楽士でさえない社会と、百人に一人はアマチュア楽士で日々どこかで演奏会がある社会とでは、後者のほうがはるかに豊かであると。百人に一人というと一見少ないようにも見えるが、人口一万人の街に百人編成のアマオケがある勘定になる。とすると、東京みたいな人口一千万都市では……? いやいや、それはさすがに多すぎでしょ。しかし、そんな想像をしただけで何だか嬉しくなってくるのは、きっと私ばかりではないはずだ。

私自身は声楽の人間で、器楽には憧れがある。特にオーケストラには、フルートを数年で挫折してしまったこともあって、もう妬みと言ってもいいくらいの強い強い羨ましさがある。それは実現しないだけに癒されることもない憧れだが、それに最大限近づく方法は私の場合、やはり小説なのだ。小説という手段さえあれば、私は客席を抜け出してオーケストラの一員になれる。

オーケストラには楽器の数だけ個性があり、ドラマがある。クラシックのように何百年も演奏されてきた曲には(いやショスタコーヴィチなんかだとまだ百年にならないけど)、その歳月の分だけアイディアの種がある。そこに、まだ誰もやったことがないんじゃないかというトリックを持ち込んで、これまた是非一度はやってみたかったあれとかこれとかを好きなだけやり、『大天使はミモザの香り』はことのほか愛着のある一冊に仕上がった。

とはいえ、私自身も今回の作品でその広大無辺な宇宙たるオーケストラを描き切ったわけではない。ごく一部のパートの、小さなドラマをどうにか切り取ったに過ぎない。今後またチャンスがあるのなら、これからもまた、やりたくてたまらなかったあれこれをオーケストラで奏でてみたい。

(出典:読書人の雑誌「本」12月号)

高野史緒(たかの・ふみお 小説家)

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