ゴーン氏の犯罪
本書の冒頭は、日産のトップでありルノーの重役であったカルロス・ゴーン氏の行状を解説することにあてられています。
ゴーン氏の事件がテレビなどのマスメディアで大きく取り上げられたのは、2018年末、氏が金融商品取引法違反容疑で逮捕されたときのことです。東京地検特捜部は、何度も再逮捕を繰り返し勾留期間を延長しました。ゴーン氏の容疑は表に出ていることよりずっと深く、検察はその証拠をつかもうとしている。それは誰の目にもあきらかでした。
とはいえ多くの人は、このあたりをピークとして、本件に関する興味を失っていったように思います。所詮は社員が世界中に何万人もいる企業のトップの、自分の生涯賃金よりずっと多い金額の不正です。あまりに自分が立っている場所とちがいすぎるため、興味が持続しなかったのでしょう。多くの人が堪能したのは、ゴーン氏(がしたといわれる)不正ではなく、豪腕と呼ばれ、奇跡のV字回復を成し遂げたカリスマ経営者の「転落劇」だったと思われます。
とはいえ、ゴーン氏に対する追及は終わったわけではありません。
むしろこれからが本番だとも言えるのです。
著者はこう述べています。
〔2018年〕12月21日の東京地検特捜部が発表した容疑内容に私は驚いた。日産の名前と巨額資金をフルに利用した構造は、「黒い経済界に多少通じている」レベルではない。
(中略)
もし「黒い経団連」があるならば、ゴーン氏を会長に推挙したいほどだ。一方で、この手口を理解できる人間はほとんどいない。この犯罪の本質は、黒い金融界で実務を行った者にしか理解できない。
元経済ヤクザだけがわかること
本書の著者は、元山口組系組長。早い話がヤクザだった方です。
とはいえ、元山口組系組長という肩書きは、それほどめずらしいものではありません。山口組は巨大な組織であり、関連団体の組長も決して少なくはないからです。著者が独特なのは、その経歴にあります。
氏にはカタギの世界で会社勤めの経験があります。氏のキャリアはそこから始まりました。経済に関する該博な知識も、この時代に培われたものでしょう。
ファイナンスでは、大もうけすることも、大損することもあります。氏はその両方を経験した上で、裏社会に入りました。
誤解を恐れず単純にいえば、裏社会のファイナンスとは、常勝のしくみをつくることです。早い話がイカサマをやるってことです。
ただし、その道筋をつくるためには相当の知恵と知識を必要とします。たいていの人には不可能です。
本書の中盤以降で語られる経済史は、とてもスリリングです。歴史事項の羅列ではなく、ある投資家が裏社会に入り活躍するまでが重ねられているため、生きたドキュメンタリーたり得ています。
そして「神殺し」に向かっていく
忌野清志郎さんがかつて、「善良な市民」という歌を歌ったことがありました。
善良な市民は金儲けの仲間には入れてもらえない。せいぜいディズニーランド行ったりプロ野球見てビール飲んだりするだけさ、という歌ですが、本書の読者の多くは、自分もそうだよなーと感じることでしょう。善良な市民って言葉は優しいですが、福本伸行さんの作品『銀と金』によれば「薄い」人ですから、ほめられたことじゃありません。
そんな人は、「ゴーンさんはマネーロンダリングしていました」と聞かされても、「へー」という以外のリアクションをとることができません。自分が今いる場所とあまりに距離がありすぎて、怒りを感じることもできないのです。
それは断じて本書の罪ではありませんが、ゴーン事件を扱う以上、どうしてもたどらざるを得ない道であります。
もっとも、本書で事件はあくまでマクラにすぎません。白眉は、次のひとことです。
情報を吸い上げてまるで市場を司る神のようにふるまい始めたAI。裏社会に長く生き、無神論者である私には、それが気に食わない。
「神殺し」の日に向かって、私は爪を研いでいる。
新しい技術は潤沢な資金のあるところに取り入れられますから、AIなどの技術は、金融の現場にはかなり早い段階で導入されていたでしょう。ひんぱんにアップデートされていることは疑いようもありません。
AIをふくめたフィンテックにまつわる事柄は、近い将来、私たち全員がかならず直面する問題になります。すなわちこれは、「善良な市民」の課題なのです。
著者がここで開示した「神殺し」の方法は、誰にとってもおおいに参考にすべきものとなるでしょう。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。https://hon-yak.net/