2011年3月11日に起きた東日本大震災での体験を基にして描かれた、彩瀬まるさんの小説『やがて海へと届く』。
本作の文庫刊行に際して、愛に溢れたコメントを寄せてくださった住野よるさん。2018年9月に公開された劇場アニメ『君の膵臓をたべたい』の映画作中にも、本書が「主人公が読んでいる本」として登場しているほど。そこに隠された作品への思いを、著者の彩瀬さんとの対談で語って下さいました。
(全2回掲載の2回目・1回目はこちら)
■2人が描く人と人との関係性
彩瀬 『青くて痛くて脆い』を書いたとき、『君の膵臓をたべたい』の読者を殴ってやるような気持ちで書いた、と以前おっしゃっていたけれど、私は読みながら「本当にやってるー!」って思いましたよ(笑)。「男性が女性に甘えて、その甘えが許されることを期待している」という男性主人公の小説はたくさんあると思います。でも男性が女性に対してひどいことをして、かつそれに対して一切の赦しだとか甘えの虚飾を用いずに完遂される小説はこれまでも読んだことがなくて新鮮に感じました。同時に「傷ついてもいいんだ、傷つくことは恥ずかしいことじゃないんだ」って強く思えるのが素晴らしいなって。
住野 ありがとうございます。最初はもう少し甘やかしラストのパターンもあったんですけど(笑)。僕と担当さんが「こんな主人公が救われていいはずがない」と思いまして。 自己投影だと思うんですけど。自分にも主人公みたいなところがあるから、この子を甘やかしたら「自分が救われるに足る」みたいで嫌だったんです。だからちゃんと主人公にもいろいろと考えてほしいなと思って、このようなラストの流れになりました。
彩瀬 『やがて海へと届く』は、以前に別の担当さんから「友人という立場である主人公が、親族よりも彼氏よりも故人への気持ちが強い」という捻じれの現象は辛いでしょう、という感想をいただきました。1人の人が亡くなった時、近親者の悲しみがもっとも深いはず、友達はその人たちよりも落ち着いた風に見せなければいけない、近親者が泣いていなかったら泣いてはいけない、みたいな、悲しみを揃えようと、調整しようとする気持ちがありますよね。でも私は、友人だったら、仕事相手だったら、喪失の悲しみは親族や恋人よりも浅い、なんてことは絶対にないと思うんです。
住野 『君の膵臓をたべたい』は、ある場面で主人公が「僕が泣くのはお門違いだ」と思うシーンがあるんですけど、そう思わなければいけないっていうのは辛いだろうなぁと。『やがて海へと届く』の真奈ちゃんのことを考えているとそう思います。「自分よりももっと辛い人がいるはずなのに」という状況は……。
彩瀬 「こういうものだと思っている」関係性を分解して再検討したい、というのが私の本にも住野さんの本にも、そういう欲求があるのかなって思いました。
■2人の死生観について
住野 僕、いろんなインタビューでも言っているんですが、『君の膵臓をたべたい』に登場する彼らは今、日本のどこかで生きているっていう感覚で小説を書いているんです。だから彼が『やがて海へと届く』を読んでいるのは、僕の中では違和感はないことだと思っています。次回作の主人公「三歩」は「住野よるの本を読んだことがある」という設定だったりして。いつかどこかで会えるかもしれないという距離感がすごくやりたいなと思っていて。
彩瀬 おもしろい!
住野 『君の膵臓をたべたい』の主人公は、桜良の「出来事」でめちゃくちゃ悩むと思うんです。「自分じゃなくて、なぜ彼女だったのか」と。だから『やがて海へと届く』が、主人公の心の決着とまではいえなくても、考え方のひとつになればと思って、彼に読んでもらいたいとずっと思っていたんですよね。
彩瀬 ご自身の作品のキャラクターではなくて、知り合いの1人として語ってらっしゃるのがすごく印象的です。
住野 会ったことのない友達という感覚があるんですよね。彩瀬さんはそういう感じというよりは、脳内の登場人物という感じなんですか?
彩瀬 うーん、「こういう人たちがいることは知っている」という感じかな。過去の自分の一側面かもしれないし、「こういう人に会ったことある」かもしれないし。
住野 なるほど。リアルタイムかどうかはともかくとして、どこかにはいる人……。
彩瀬 そうですね。リアルタイムでは考えてなかったかな。住野さんと登場人物との関係より、私はちょっと遠いかもしれない。『やがて海へと届く』に登場する遠野くんは、すごく私に似たタイプ。私が生死について考えた時、遠野くんのような「なんとか決着の道を見つけて、なるべくはやく日常に帰還したほうが健全なんじゃないか」という思想がわきやすかったんですけど、そう思いながらも「行き詰まり感」もあって。遠野くんの言うことをまっこうから否定するような主人公を据えたほうが、たぶん物語が広がっていくんだろうな、と思っていました。遠野くんの写し鏡のような思いで、主人公の真奈をつくりました。
住野 ぼくは完全に主人公の真奈の考え方に近いです。
彩瀬 そうなんですね!
住野 凄惨な事件があったときに、亡くなってしまった人に対して何もできない自分に、関係ない罪悪感を抱いてしまうんですよね。その人たちに何ができるかなと思ったとき、祈ることしかできないですが……。最初『やがて海へと届く』の帯にあった文章「惨死を越える力をください。どうかどうか、それで人の魂は砕けないのだと信じさせてくれるものをください」を見たとき、自分が抱いているような悩みを持っている主人公だなぁと思って読み始めたんですよね。真奈ちゃんは「苦しみがともなっていなければ真実ではない」と思っていますが、すごくよくわかるんです。自分は、ある程度不幸じゃないといけないと思って生きていて。それはたぶん、いろんなものを助けられなかった自分への言い訳だな、と。そういうのが『君の膵臓をたべたい』にもつながっているんだろうなと思います。
彩瀬 負担や不幸が人の共同体で、なるべく公平であるべきだって――
住野 思いたくはないけれど、思っちゃうんです。幸せの絶対量は世の中で決まってるような考え方をしてしまっていて。ある程度の不幸を背負わないと怖いって思ってしまうんです。同時に自分の感じている不幸が、世間一般では不幸じゃないとみなされた時に、「不幸じゃないんだ自分は」と思いこんじゃうんですが、これを抱えている人も多いなと思っています。『やがて海へと届く』にも内包されているテーマかなと思います。わりとちゃんと生きられる人が多くなってきた現代、「持つことの苦しさを感じる人たちが多い」中で、『やがて海へと届く』が世に放たれるというのは、すばらしい現代小説だなと思うんです。
彩瀬 ありがとうございます。以前お会いしたときにも「持つ人の苦しみ」に言及してくださいました。それを聞いて、「そうか私が気になっていたのは、そういうことだったのか」と自分でも腑に落ちました。
住野 僕、『やがて海へと届く』のタイトルも素晴らしいと思います。
彩瀬 タイトルを決めるのは実は苦しかった……。そう言っていただけて良かった。
住野 音としても気持ち良いし、ラストまで読み終わったときに、このタイトルしかないと思いました。自分もやがて、海へと届いたらいいなって。
(2018年12月対談収録)
明日より、小説『やがて海へと届く』の一部を2回にわたって公開します。ぜひお見逃しなく!
彩瀬まる
1986年生まれ。2010年「花に眩む」で第9回「女による女のためのR‐18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。自身が一人旅の途中で被災した東日本大震災時の混乱を描いたノンフィクション『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』(新潮社)を2012年に刊行。『やがて海へと届く』で第38回野間文芸新人賞候補、『くちなし』(文藝春秋)で第158回直木賞候補となる。
住野よる
高校時代より執筆活動を開始。デビュー作『君の膵臓をたべたい』がベストセラーとなり、2016年の本屋大賞第2位にランクイン。その後『また、同じ夢を見ていた』、『よるのばけもの』(すべて双葉社)、『か「」く「」し「」ご「」と「』(新潮社)、『青くて痛くて脆い』(KADOKAWA)を発表し、いずれもベストセラーとなる。