10月28日、『文庫版 ルー=ガルー 忌避すべき狼』(京極夏彦著)『古事記異聞 オロチの郷、奥出雲』(高田祟史著)の刊行を記念して、東京ミッドタウン日比谷で開催された、京極夏彦と高田崇史のトークイベント。人気作家ふたりの初対談は創作活動の裏話満載で、会場は大いに盛り上がりました!
(対談を全3回で連載いたします)
【第3章】記録と記憶の記号論~その真相
京極 冒頭に、僕らは小説家としてジャンル的にはそんなに遠くないと思われているけれど、作品をつくる過程はかなり違うという話をしたと思います。高田さんって執筆するときは取材するでしょう?
高田 必ず行きます。
京極 作品を書くために準備をされるわけですよね? すごいと思いますね。
高田 京極さんは取材には行かないって聞いたんですが、たいがいの神社にはもう行ったから必要ないってことですか?
京極 神社は好きだから、よく行きますよ。でも取材としては行ったためしがないですね。寺も大好きです。行けば必ずお金使います。グッズも買います(笑)。趣味です。高田さんは目的があって行くわけでしょ? 例えばその神社にまつわるお話を聞くとか?
高田 そうですね。基本的にまず作品の構想があって、取材をしたり、必要な資料を集めたりしてから書き始めます。でも、某編集者に「熊野に行きませんか?」って言われて、構想もなにもないのに無理やり連れて行かれたこともありました。その結果、2冊くらい本を書きましたね。
京極 問題ないじゃないですか!
高田 それは僕ががんばったからでしょう(笑)。せっかく取材に行ったんだから。
京極 僕の知っている某作家は担当編集をだましてアメリカに長期取材に行ったのに、1冊も書いていないですね。なんで書かないのかって聞いたら「ルーマニアの話だから」って。
高田 ひどい人がいますね!(笑)
京極 高田さんは無理やり連れて行かれた取材でも、作品に活かせるものを見つけて書く。きちんとされてますよね。資料も管理されてるでしょう? 使う資料は作品タイトルごとにファイルにまとめているんですよね?
高田 そうです。ファイルは作品を書いた数だけあります。
京極 僕はファイリング好きなんですよ。整理整頓が信条で、人生は整理整頓だと思っていますからね。整理整頓してるうちに命が尽きることでしょう。でも作品の資料ファイルは、ひとつもないんです。
高田 取材も資料もなしで、よくあんなに長い作品を書けますね。
京極 いや、僕は“ためにする読書”が苦手なんですよ。「この作品を書くためにこれを読む」ということができないの。
高田 僕はそんなのばっかりですけど……。
京極 著作の後ろに参考文献を載せてますけど、いったい何が参考になったのかかなり考えないとわからない。書いているときはただ書くだけですからね。書き終わった後に、間違ってちゃいかんと資料を確認することはありますけど。
高田 記憶力がいいのか悪いのかわかりませんね(笑)。京極さんの話を聞いていると、僕は割と真面目な作家なのかな?と思えてきました。
京極 真面目ですよ。構想がまとまった段階で資料を集められてお書きになる。実に建設的です。
高田 普通じゃないですか? すごく時間がかかるのでもう少し楽に書けたらいいのにといつも思ってはいますが。
京極 でしょう? 準備なんかしてたらいつまでも書き始められないから、適当でもとにかく書くんです。みなさん、僕の本を信じない方がいいですよ(笑)。
高田 でも、小説っていかに嘘を作るかってことでしょう?
京極 僕なんか嘘ばっかりだもん。小説ですからね。嘘のかたまり。
高田 ひどいなあ(笑)。歴史的なこともきちんと考えて書いてらっしゃるじゃないですか。
京極 知っている範囲でとりあえず書くんです。確かこんなだったよなあ的に(笑)。もちろん間違っていたらイヤだから、できるだけ確認して、違ってたら直しますよ。でも、小説は歴史や資料そのままに書くものではなくて、新しく物語を創るものですから、正確にこしたことはないけれど、正確かどうかはそんなに重要じゃないですよ。
高田 そうですね、アプローチは違っても小説は創作ですから。
京極 つまり、僕はまず記憶に基づいて書く。高田さんは記録に基づいて書かれている。僕たちは、記録と記憶を小説という記号に置き換えているわけだから、トークショーのタイトルも「記録と記憶の記号論」でいいんです。いいですよね?
高田 すっごくきれいにまとまった(笑)。