2011年3月11日に起きた東日本大震災の福島原発事故後を描いたディストピア(ユートピアの対義語)小説とコメントされる『献灯使』(弊社刊、2014年10月)が、米国において最も権威のある文学賞のひとつとされる「全米図書賞」の第69回翻訳書部門(National Book Award/Translated Literature)を受賞しました。
大災厄を経て「鎖国」を決めた近未来の日本を舞台とする小説について、TVのワイドショー・情報番組でも知られるアメリカ合衆国出身の日本文学者・ロバート・キャンベルさんと作者の多和田葉子の対談を全3回にわたってお届けします。
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■考えると明るくなる
キャンベル 最後に『献灯使』というタイトルについてうかがいたいです。もとになっているのはもちろん、唐に派遣された「遣唐使」で、これは小説家である義郎がかつて取り組んだ最初で最後の歴史小説のタイトルでもあります。外国を示す「唐」をなくそうと、「献灯使」という漢字の組み合わせになったこの言葉は、日本のために─密航ですが─海外に派遣される子供たちを意味します。15歳になった無名は、この使命を帯び日本を出ることになります。外に出ていくことが、非常に重要な意味を持っている。
多和田 まさにおっしゃるとおり、『献灯使』という題名には、外に出て、大陸に学ばないとだめなんじゃないか、という思いが込められています。無名は、身体は決して丈夫ではありませんが、「頭の回転が速くても、それを自分のためだけに使おうとする子は失格」、「他の子の痛みを自分の肌に感じることのできる子でも、すぐに感傷的になる子は失格」というような献灯使になるための条件をクリアできる子で、彼がいつか日本を出て、海の向こうに渡って何かを学び、交流が始まり、鎖国が終わるというのが、この小説のひとつの希望になっているんです。
キャンベル 日本から出る、だけでなく、東京から出る、というのも重要なポイントですよね。無名と義郎が暮らしている「東京の西域」は自給自足がほぼ不可能で、沖縄のような汚染されていない土地から豊かな農産物を輸入している。義郎の娘で、行動力があって決断の速い天南は、早々に夫婦で沖縄に移住しています。
食料を輸出できる沖縄は強気で、言語の輸出で経済を潤した南アフリカとインドの真似をして沖縄の言語を売り出そうか、などと考えた日本政府に、そんなことをしたら本州に2度と果物を送らないよ、と脅す。これはとても面白いです。
多和田 おっしゃるとおり、『献灯使』には、東京が他の県より重要だという考え方は全くありません。むしろその逆ですね。特に23区は住んでいる人もいなくて、西域だけが機能している。
キャンベル 多和田さんが育った国立から西ですね(笑)。
多和田 国立から奥多摩にかけてでしょうか。でも、それも東京への愛着から、あまり遠くに離れられないから仕方なく住んでいるだけで、本当はもっと遠くに行った方がいいんです。先ほど指摘していただいた沖縄なんかは実際、農業のおかげで非常に栄えていて、自分が正しいと思う政治を行うことのできる自治区みたいになっています。
それから、お金がものを言わない社会になっているんですね。食べることがいちばん大切になってくるから、たとえば沖縄などは、日本では沖縄でしかできないものがたくさんとれるので、発言権が強い。東京はお笑いみたいに植物の蓼を作ってみたりするのですが、全然だめで産業がない。
これも私の考えた噓ではありますが、東京から離れた別の土地、たとえば沖縄などで無農薬の農業を始めている人も最近は結構いますから、そういう傾向が実際ないわけではない。やはり、いまのことを描いた小説なんです。
キャンベル 物語は、決して明るいエンディングを迎えるわけではありません。献灯使として船に乗り込まんとする無名は、もうすぐ自発呼吸ができなくなるかもしれないとにおわされていて、とても心配です。だからといって最後の1ページを閉じたときに惨憺とした思いになるかというと、そうでもない。それは、さっきまさにおっしゃったように、真剣なお話をするのに軽やかに言葉で遊んでいらっしゃるからかもしれないし、無名と義郎の依存し合わない、けれど互いをひとつの生命として見つめ合っているような関係のおかげかもしれません。多和田さんは書いている時に、小説を読んだ後に読み手にこんなことが残るといいなとか、そういうふうに考えることはありますか?
多和田 書く側としては、書くという行為そのものに明るさを感じるんです。たとえば福島について語ったり書いたりすると、暗く重くなってしまうから避けるという人がいますが、私はそうじゃなくて、むしろ語ったり書いたりした方がいいと思う。だってそれは他人事ではないのだし、第一どんなことをしていても不安は決して自然に消えてくれるわけじゃない。だったら真正面から見つめて、言葉をフル回転させて考えたり、書いてみるんです。すると明るくなってくる。考えるという行為、そして書くという行為は、脳みその中に電気がバーッとつくような、エネルギーを生むんです。こんないい発電の方法はないですよ。自然を破壊しないで発電できる(笑)。
キャンベル 「気をつけろホルモン」もいらないんですね。なるほど。
多和田 「気をつけろホルモン」は、観察しているときに出ますね。社会現象を観察していると怖さを感じて「気をつけろホルモン」が出る。そうすると、もっとよく観察できるようになるんです。その上で、いろいろ考えながら小説を書いていると、今度は「幸福ホルモン」が出てきますね。まあ、そういうホルモンが本当に存在するのかどうかは知りませんし、「幸福」という言葉もかなり疑ってかかった方がいいのでしょうが、これは単なるものの例えです。
書き手である私が、読み手の感想を操作するつもりは全くありませんが、読む人も、私が書いているときと同じように、ただ文字を追うのではなくて、自分でいろいろ考えながら読んでくれていると思うんです。そうすると、その考える活力によって、非常に気分が明るくなるんじゃないかな。そうだといいなと思ってます。
キャンベル ありがとうございました。
■質疑応答
○質問者 私は、キャンベルさんがおっしゃるのとちょっとずれてしまうかもしれないんですけれども、義郎が心配してあれこれやってあげているのに対し、無名が、僕と曾おじいちゃんは、身体も立ち方も何もかも違うからなあと悟っているようなところに、逆にすごく希望を感じたんです。
曾おじいちゃんは僕にいろいろ食べさせようと必死になっているけど、僕はあんまり食べなくても平気なんだよな、ほんとによく食べるよな、あの世代は、なんて見ているのがとても面白くて。上の世代は今の手持ちの材料だけですごく心配して人類は亡びるかもしれないと思っているけれど、全く違う体を持った蛸人間の世代は、また蛸人間の価値観とかシステムの中で全く違うことに幸福を見出して、私たちが不幸と思っていることさえ、もしかしたら幸福だと思って生きていくのかもしれない、と不思議な希望を見出した感覚がありました。
○多和田 どうもありがとうございます。まさにそういうところもあると思います。『献灯使』は、ひとりの視点から書いている小説ではなくて、視点の転換があります。無名と義郎は助け合い、しっかりつながってはいるけれども、2人のものの見方が一致しているわけではないですよね。義郎は自分の見方を無名に押しつけるのではなく、無名も自分なりの見方を伸び伸び発展させていく感じで、私も無名のもののとらえ方にむしろ共感できるところもある。そこに希望があるかもしれませんね。
○キャンベル いまおっしゃった、無名の、僕はそんなに食べないからなあというシーンは、私も印象的でした。曾おじいさんの積んできた経験や、それから生み出される価値観や考えは自分には想像もつかないけれど、自分がとても大切にされていることはよくわかる。だから、曾おじいさんを困らせたりすることはしたくないなと、彼を尊重している。私はそこに、無名の健気さや、自立した精神力を見て、大人と渡り合っていく力を、すごいリアリティーを持って描いておられるなと感じました。
○質問者 今回の本には、表題作の「献灯使」以外に、「不死の島」「動物たちのバベル」「韋駄天どこまでも」「彼岸」という全部で5つの作品がおさめられていますが、全て震災をモチーフにしています。いちばん古い作品が「不死の島」(2012年発表)、その後、戯曲の「動物たちのバベル」(2013年発表)、そして今年に入って「韋駄天どこまでも」「献灯使」「彼岸」と3作発表されています。このような多様な形で震災をテーマに小説を発表される意図は最初からお持ちだったのか、また今後このテーマはまだ書き続けられるのか、おうかがいしたいと思います。
○多和田 「不死の島」は震災のすぐ後、ほんとに差し迫った不安に押されて書いてしまった短篇です。小説を書くにはまだちょっと早いけれども、これだけは書いておかないと我慢ができないという気持ちでした。でも、短篇としてできあがった後も、これだけでは終われないという気がしたんです。本当はもっと長いものなんだという思いが、ずっと残っていました。
その後、震災について何作も続けて書こうという意図は特になかったんです。でも、全然違うテーマを考えていても、震災抜きでは今の日本は書けない。ですから、結果として、震災をめぐる1冊をつくることができました。
「不死の島」を書いた時はまだ福島に行っていなくて、ドイツから見て思っていたことを小説にしました。一方「献灯使」は、福島に行って、そこにまだ暮らしている人たちと話をしているうちに、だんだん違った形で膨らんできたものがあってできあがりました。最初は、「不死の島」をそのまま長くするつもりだったのですが、それはあり得ないと気がついたんです。そこで、別の立ち位置から、もう一度、若者が弱っていて、年寄りが死ねない時代を書いたのが「献灯使」です。
○質問者 福島に行ったとき、また書いてみたいと思うきっかけになったような出来事はあったんですか。
○多和田 ひとつの出来事というより、見たもの、聞いた話、すべてショックでした。仮設住宅に住んでいる人たちは、一見驚くほど普通に日常生活を送っているようなのですが、話を聞いてみると、身近に無数の問題があるんだということがわかりました。もちろん仮設の問題だけではありません。食べるものひとつひとつについて、毎日3食、これは子供に食べさせても大丈夫なんだろうかと心配する人も当然います。祖母のつくった野菜を孫に食べさせるかどうかで夫婦親子の間に意見の相違が当然生まれ、喧嘩も起こります。また子供が外に遊びに行くたびにお母さんが心配して、1日に30分以上は外では遊ばないという規則をつくったりもする。外という空間が基本的に危険な空間になってしまった人間の暮らしなんて悲しすぎますよね。それから、よく覚えているのは、子供が植え込みのお花を摘もうとすると、「お花に触ったら危ないわよ」とお母さんが注意をしていたんですが、実は、花は危ないものだという意識を持って子供が成長していくことに胸を痛めながら注意しているんですね。そういう日常生活の中に隠れたつらさや苦しさのひとつひとつに驚きました。それで気がついたら「不死の島」とはまた違った「献灯使」という小説ができていました。
(了)
(2014年11月5日、オトノハカフェにて行われた『献灯使』プレスイベントを収録しました)