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2018.12.19

インタビュー

全米図書賞受賞! 震災後の日本を想起させるディストピア文学『献灯使』を語る「多和田葉子×ロバート・キャンベル対談」第2回

2011年3月11日に起きた東日本大震災の福島原発事故後を描いたディストピア(ユートピアの対義語)小説とコメントされる『献灯使』(弊社刊、2014年10月)が、米国において最も権威のある文学賞のひとつとされる「全米図書賞」の第69回翻訳書部門(National Book Award/Translated Literature)を受賞しました。

大災厄を経て「鎖国」を決めた近未来の日本を舞台とする小説について、TVのワイドショー・情報番組でも知られるアメリカ合衆国出身の日本文学者・ロバート・キャンベルさんと作者の多和田葉子の対談を全3回にわたってお届けします。

(2)

■笑いながら真剣に考える

キャンベル 今年お書きになったエッセイ、「カラダだからコトの葉っぱ吸って」に「気をつけろホルモン」という言葉を書いてらっしゃいましたね。「犯罪の多い場所に行くと、身体が信号を受け取って『気をつけろホルモン』が出る。このホルモンが出続けていたらすぐに疲れて病気になってしまうかもしれないが、短い期間なら創作活動にとってはとても有益である。このホルモンが出ると、5つ以上の感覚が最大限に活性化される」。私は犯人との関係を描いた長篇『雲をつかむ話』が大好きなのですが、多和田さんの小説には、危険を感じることで生きる手応えや実感を得る、というようなところがあるように思います。

『献灯使』では、身近どころか主人公の周囲全てが危険な状態に置かれていますが、それは具体的には描かれない。例えば「一等地も含めて東京23区全体が、『長く住んでいると複合的な危険にさらされる地区』に指定され、土地も家もお金に換算できるような種類の価値を失った」とか、「どの国も大変な問題を抱えているんで、ひとつの問題が世界中に広がらないように、それぞれの国がそれぞれの問題を自分の内部で解決する」ために鎖国をするとか、これまでの、危険の気配を背中で感じるような雰囲気とは違い、危険さが旋回しているような印象を受けました。

多和田 『雲をつかむ話』は、犯罪者と犯罪者でない人たちは本当にそんなに違うのかな、という疑問から生まれた物語です。ですから、個人が法を犯してしまう可能性について書いています。一方『献灯使』は、それ自体が犯罪的である法律がどんどんできていってしまう社会を描いているとも言えます。

キャンベル しかも、法を作っている統治機構が見えないんですよね。

多和田 私は、日本にもし独裁制が来るとしたら─来るかもしれないという不安があるんですけれども─政府という存在がはっきりあって、それを批判した人が牢屋に入れられるという、わかりやすい形の独裁制じゃないと思うんです。そういうものなら、世界各地に最近まであったし、今もある。そうじゃなくて、正体不明のじめじめした暗い恐怖が広がって、「怖いからやらないでおこう」という自主規制のかたちで、人間としてやらなければならないことを誰もしなくなるような恐い時代がくるかもしれないと思うんです。

日本には一応民主主義があって、選挙も規則どおり合法的に行われていて、そこに不正は少ししかないと思うのですが、何故かみんな選びたくない人を選んでしまっているようで不気味です。そういう不気味な独裁制の出だしの様子を、小説という網でとらえることができるかもしれないと思いました。

キャンベル 言葉がまず規制の対象になっていて、外来語が禁止されているんですよね。でもそれも厳しく取り締まられているわけではなくて、「使わない方がいい」という表現がされている。オーウェルの『一九八四年』に登場するビッグ・ブラザーのような人類を監視する目が痕跡もなくなるほどかき消された結果、自粛をするという方法で統治機構が自動運転している、そんな印象を持ちました。

それにしても、言葉が規制されているからこそ生まれた、漢字でできた外来語はどれも傑作でした。「御婦裸淫の日」もですが、ジョギングを意味する「駆け落ち」や、パンの種類の「刃の叔母」「ぶれ麵」にも「ふふっ」と笑ってしまいました。多和田さんの作品は、ちょっとした言葉遊びかなと油断していると、それがいつの間にかさらに展開して、小説の重要な部分を照らしてくれることがありますね。

多和田 私はものを考える時に、言葉に手伝ってもらうことがあるんです。それは、言葉は私よりずっと長く生きているせいか、私とは比べものにならないくらい知恵があって、私にはとても思いつかないようなアイデアを与えてくれるから。それに、今回の作品のような深刻な問題を扱う時には、どのような言葉で語っていくかによって、思考が硬直化して先へいけなくなる危険もあるし、逆にほぐれて明るく先へ続くこともあるんです。

笑いながら真剣に考えるという、2つの感情を同時に活性化するような能力を、自分でも育てていきたいと思っているんです。この笑いは決して人間を笑うようなものではないのですが、人間の愚行を笑う覚悟はあります。そして、私にとって何よりも楽しい仲間は、言葉や漢字なんです。そこで言葉遊びが出てくるんですね。

■血のつながりを超えて

キャンベル 無名は着替えるだけでもひと苦労なのですが、本人はそれを楽しんでやっています。寝巻きをどちらの足から脱ごうか考えているうちに、ふと蛸のことを思い出して、自分の足も本当は8本あるんじゃないか、それが4本ずつ束ねられて2本に見えるだけじゃないのか、なんて想像して遊んでいる。

義郎は、2本足歩行に難儀する無名を、身体の機能が退化しているととても心配します。けれど同時に、もしかしたら将来、人類は蛸のようにはって歩くようになるのかもしれないと空想もする。2足歩行は人類にとって最上ではないのかもしれない、と考えるんですね。

多和田 この蛸化というのは、以前、とある舞踏家から聞いた話から思いついたんです。かつて日本にバレエが入ってきたときに、すばやく動き、高く跳ぶことのできる身体が進化した美しい身体だ、我々もそういう方向に向かわなくてはいけない、という考え方が出てきた。それもひとつの意見かもしれないけれど、西洋バレエとは全く異なる身体の動かし方も踊りの中で探っていくべきだとその人は言うんですね。それが日本的だからということではなくて、高く跳びはねるのではなく重心が下にあってもいいのだし、ゆっくりだるそうに動くのも素敵だし、くねくねと地を這うのも面白いじゃないかということです。

これから人類の身体は確実に変化していくと思いますが、それに対する受け皿がほんの少ししかなくて、とにかく速いのと強いのが偉いという狭い考え方にしがみついていたのでは、これから起こるいろいろな変化に対応していけないと思うんです。小説を書くことで、身体の可能性を探ってみたいですね。

キャンベル この小説で、ある意味衝動的に共感ができるのは、義郎が無名に抱いている、幼き者への愛おしさだと思います。

あまりにも突飛な発想なので笑われるかもしれませんが、70年代の井上陽水に「海へ来なさい」という歌があるんですね。ちょっと紹介させてください。歌詞を読むだけで、歌いませんからご安心を(笑)。

「太陽に敗けない肌を持ちなさい 潮風にとけあう髪を持ちなさい どこまでも泳げる力と いつまでも唄える心と 魚に触れる様なしなやかな指を持ちなさい 海へ来なさい 海へ来なさい そして心から幸福になりなさい」。2番は、「風上へ向える足を持ちなさい 貝がらと話せる耳を持ちなさい 暗闇をさえぎるまぶたと 星屑を数える瞳と 涙をぬぐえる様な しなやかな指を持ちなさい」。

すべて「~しなさい」という命令形なのですが、とてもやわらかい。私はこの歌は、海に来られないような子、来られたとしても魚と触れ合えないような子、そういう身体の弱い子供に向けられたんじゃないかと思っていたんですが、今回『献灯使』を読んで、初めてここで歌われている光景が私の中で固まったような感覚があります。しつけたり、教え込んだりするんじゃない。大人が子供に抱く、愛おしいという感情が表わされているんじゃないかと思ったんです。多和田さんは、いま日本の親子関係において、こういう無条件な愛おしみ合いみたいなものが薄れているように感じますか?

多和田 親子に限る必要はないと思います。無名と義郎は一応曾孫と曾おじいさんという関係ですが、血がつながっているかどうかは分からない。無名のお父さんの飛藻は無責任な男でどこかへ行ったきりですし、もしかしたら無名は、飛藻の奥さんと違う男性との間にできた子供かもしれない。だから必ずしも、家族だからとか、血縁関係にあるからとか、そういうことではなくて、これからの世代に対する思いみたいなものが義郎の中にあるんですね。

これは決して生まれた時から備わっていた感情ではなくて、原発事故のような大きな問題に直面したために生まれてきた、あるいは活性化されたのかもしれません。環境問題を真剣に考えたら、どうしても自分の死後も続く生命のことを考えないわけにはいきません。自分の子供のことだけでなく、もっともっと先の、赤の他人にあたる子供たちのことも、動物や植物たちのことまで心配になると思うんです。義郎が無名に感じる愛おしさは、家族や国家の枠組みを超えたものなんじゃないかと思います。だからやっぱり鎖国のままでは困るんです。

(続く)

(2014年11月5日、オトノハカフェにて行われた『献灯使』プレスイベントを収録しました)

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