懐かしき生活への想い、過去への回帰。温故知新か? 昭和だ、平成だの、懐古趣味華々しき時代には、馴染(なじ)みすぎるほどのテーマ。タイトルを聞いた瞬間、反射的にそう思った。
人間なんて、過去を否定してなんか生きていけない。ましてや、人生駆け出しのティーン・エイジャーじゃあるまいし、高齢化社会のメインストリームで逃げ場を失っているような世代にとっては、いくら口で「新しいことを」なんて言ったって、本音じゃどこか懐古趣味だ。いや、それこそが安住の秘訣だと思っているからだ。
レトロへの回帰はなにもあと戻りを意味するのではありません。「古き良き時代」への郷愁でもないのです。現代のよいところを取り入れ、今の私たちでも手に入れることのできる、良識のある簡素な生活を求めていくことなのです。
著者のドミニックは、最初にこのように宣言する。
良識のある簡素な生活。本の著者は女性だが、わたしの以前に知る「簡素な生活=シンプルライフ」の提唱者は、ジョン・レノンだ。女性の書いた本だとは気づかずにこの本を手に取り、男性の読者でも共感できるだろうかと、少しドキドキしながら読み進めた。なるほど、この本は役に立つし、なんだかやる気が湧いてくる。
簡単でいい。複雑に考えなくていい。いまの生活で充分、あなたが選んだものであなたは充分よ、とこの本は教えてくれる。著者の示した例はこうだ。
いつも同じ人形と遊んでいる女の子がいました。クリスマスが来て、周りの大人が次々お人形をプレゼントしたので、お人形は6つになってしまいました。
するとその女の子はお人形遊びをぱたっとやめてしまったのです。大人たちは「どうして遊ばないの? あなたはお人形遊びが大好きだったじゃない?」と尋ねると、女の子はこう答えたそうです。
「あんなにたくさんのお人形とは遊べないわ」と。
人は決断に疲れ、選択肢が多いほど不安になる。ものや情報であふれる人々の現状に、著者は警鐘を鳴らす。
モノは(ある意味で)欲望や嫉妬の象徴なのだと思う。著者のあげた「女の子」の例になぞらえれば、個人的だが、わたしにもこんな経験がある。
小さい頃、兄であるわたしは、どちらかというと積極的な子で、両親に対してほしいものをどんどんプレゼンし、(クリスマスや誕生日などのイベント以外にも)まんまと手に入れるタイプだった。それに対し妹は、羨(うらや)ましそうに、指をくわえて見ているだけだった。
そんな妹を見て、ある日両親が、「おまえもほしいものがあるのなら、言ってみろ」と言った。すると、妹は「欲しいものがない」と、本格的に泣き出した。両親は笑いながら抱きしめた。単なる身内のエピソードではあるが、案外これは核心をついている。
人がものを欲しがることなんて、たいした意味はなく、「いいなーいいなー、わたしもわたしもー」ぐらいの、そんないたって「子どもじみた」感情に過ぎない。一方、(幸運にも)モノを手に入れた兄であるわたしのほうはというと、これもまた、その遊具にはすぐに飽きて放り出し、また次を「狙う」というありさまなのである。
「私が選んだもので私は充分」「人生はもう少し無頓着なほうがいい」(目次より)
アップルの創業者・スティーブ・ジョブズやフェイスブックのマーク・ザッカーバーグが、同じ服ばかりを大量に着回しているのは有名な話だ。意味のない「幻」のようなモノにとらわれるのではなく、自分の生活にフィットした「最適」を保持し、身につけ、大事にし、余計な決断で頭を悩まさない。そんな生き方こそが著者の言う「レトロ」だ。
著者は生活者の視点から、竹製のざるや古い磁器の茶碗、麦わら帽子などにも注目し、その価値や汎用性に改めて言及している。日本での滞在も長く、日本文化に造詣の深い著者は、京都「俵屋旅館」に伝わる「美的信条」を披露する。
一、部屋の中ではいかなるものも目立たせない。二、古いというだけで尊ぶな。その場にふさわしければ、新しいものも用いる。
モノだけではない。人のあり方まで描き出しているような、なんとも、味わい深い言葉である。
健康問題、アンチエイジング、SNS。人々は常に「そういなければならない」という強迫観念に追い回されている。手に入れられないモノやライフスタイル、ましてや永遠の若さ。そんなものにとらわれるのではなく、「自分の体が必要としている欲求に選択の余地を与えてあげてほしい」と、著者は語る。
居心地の良い部屋やあたたかみのある家具。カラダの欲求に忠実な「ちょうどいい」暮らし。「毎日楽しく暮らすことを目的にしていませんか?」。著者からの大きな投げかけ。
「さまざまな快感が私たちを無感覚にする」「楽しみに飢えず、待つことも愉快に」「幸福とは“自分らし”く生きること」「自分の生き方を肯定すれば、大事なものがわかる」(目次より)。これが彼女から出される生き方のヒントだ。
自分の生き方を肯定する。自分の存在をありのままに肯定する。これは簡単なようでいて、なかなかの難問だ。先述のジョン・レノンは、トラウマやコンプレックス、爆発的な名声などに振り回されていた自己の姿を、恋人のオノ・ヨーコに「イエス」と肯定されたことで救われたと語ったのは、有名な話だ。
そのままでいい。私(あなた)が選んだもので私(あなた)は充分。女性が男性に教えるのもいい。男性が女性に教えるのもいい。もちろん、自分で肯定できるのなら、これにまさるものはない。意味のない「自己陶酔」ではなく、意味のある「自己肯定」。これが、何よりも大事だということに気づかされる1冊である。
レビュアー
コラムニスト。1963年生。横浜市出身。『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。座右の銘は「諸行無常」。筋トレとホッピーと瞑想ヨガの日々。全国スナック名称研究会主宰。日本民俗学会会員。