この本には、『筋肉はふしぎ』という先駆作があります。まずは、そこから引用しましょう。
筋肉のはたらきは、われわれの身体機能のレベルでもふしぎに満ちている。筋肉はなぜ「自由意志」によって意のままに活動を制御できるのであろうか。なぜ筋肉は使えば使うほど発達し、逆に使わなければ退化するのだろうか。
アリが体重の数十倍もの荷物を軽々と運ぶ能力は、ヒトで言えば何トンもの荷物を運ぶことになり、ノミの跳躍はヒトで言えば数十階のビルを飛び越すことに相当する。二枚貝の貝柱の筋肉は外敵に襲われると何時間も燃料の補給なしに大きな力を発生し殻を閉じ続ける。
また、鳥類が空を高速で飛翔するばかりか、水中に突入して魚を捕らえたり、木の枝にさっと止まったりする能力に比べれば、飛行機の運動などは全く無様なものである。
多くの人はほとんど意識することはないでしょうが、筋肉のはたらきはまったく「ふしぎ」に満ちています。著者が指摘するとおり、人間が人工的につくったものは、自然が構築したこれらのはたらきを、模倣することすらできていません。
『筋肉はふしぎ』は、「筋肉」に着目し、人間が「無様に」しか表現することができない動きを、「どのようなメカニズムで実現しているか」を平易に述べた書物でした。
筋肉の専門家(生理学者)がこれをていねいに、一般の人でも理解できるように解説した本はほとんどなく、『筋肉はふしぎ』は多くの人に受け入れられ、現在でもブルーバックス(科学を平易に解説したシリーズ)の1冊として、刊行を続けています。
とはいえ、ご存じのとおり医学(科学)の進歩ははやく、このジャンルにもめざましい進展がありました。『筋肉はふしぎ』がはじめて発行された2003年には謎だったことも、現在は解明されたことが多くあります。
本書は、これら科学の進展によって明らかになったことを述べるとともに、『筋肉はふしぎ』では割愛された内容にふれるものとなっています。たとえば、筋肉の研究がいかにして発展してきたかを述べる本書の第1部は、著者・杉博士自身の寄与もふくめ、優れたドキュメンタリーとして読むことができます。
『筋肉はふしぎ』が発刊された当時は、高齢化が大きな問題として取り上げられることがすくなかった時代です。しかし、現在はもっともアクチュアリティのある問題になっていると言っていいでしょう。
本書の第二部では、人間の筋肉のしくみを詳説すると同時に、「老い」の問題と健康寿命の増進が取り上げられています。ある意味で「もっとも科学的な肉体維持のヒケツ」が開示されていると言うこともできるでしょう。
本書の多くをしめる第三部は、『筋肉はふしぎ』の正統な続編と言ってもいいかもしれません。前書から十数年経って明らかになった事実を加味しつつ、昆虫や鳥、二枚貝などの驚異的な能力に、新たな光を投げかけています。
私事になりますが、以前、科学に明るいある人から、こう言われたことがあります。
「人間がもっとも進化した存在だというのは誤りだよ。たとえば昆虫は、身体を小さくすることによって、すくない水分でも生きられるようになっている。どっちが優れているなんて、誰にも言うことはできないんだ」
人間は産業革命と石炭から石油へのエネルギー革命によって、爆発的に人口を増やしています。過去数百年間でもっとも数の増えた動物であると言っていいでしょう。しかし、昆虫の繁栄は、文字どおりケタが違っています。比べるのも馬鹿馬鹿しいほどに。
「筋肉」という一点に着目したとき、思い起こされるのはそのことでした。昆虫は、鳥は、魚は、貝やイカなどの軟体動物は、なんて効率的に筋肉を使っているのでしょう。
本書は、そのことに気づかせてくれます。
この本を読みながら、「うまくできてんなあ」「大したしくみだなあ」と何度もつぶやきました。人間としての自分の苦悩とは、なんてチマチマしてるんだろうか。そう思いました。
本書の読者は感じることでしょう。
自然はすごい。筋肉は本当にすごい。それは、この本でしか得られない貴重な視点であります。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。 1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/